6ー7
さっきの出来事などなかったように、店長はパソコンで何やら熱心に作業をしている。俺は大股で店長に近づいて行って声をかけた。
「店長」
「ん?」
店長が横目で俺を見たが、俺が私服のままでいるのを見るとすぐに顔をしかめた。
「何、笠原君。もう18時過ぎてるけど、着替えもせずに何やってるの? 君も給料から天引きされたいわけ?」
店長は悪びれもせずにそんなことを言う。それを見て俺の決意は揺るぎないものとなった。店長を真正面から見つめてはっきりと言う。
「店長、俺決めました。この店辞めます」
「は?」
店長が裏返った声を上げた。身体ごと俺の方に向け、まじまじと俺を見つめてくる。俺はその目を真正面から見返した。
「正直なとこ、前から辞めたいとは思ってたんです。給料安い割に人使い荒くて、ちょっとでも口答えしたら文句言われるし。でも慣れた仕事辞めるのも面倒だったし、他んとこも大して変わらないだろうと思って我慢して続けてきました。
でも……さっきの小林さんの一件見てわかりました。店長は結局自分のことしか考えてないんです。俺達には店の品位下げるなとか言うくせに、自分は客の前で平気で従業員を叱りつけてる。人にいろんなこと要求する割に、自分のことは全部棚に上げてるんです。権利ばっかり主張して、義務を果たしてないのは店長の方じゃないですか?」
店長は答えなかった。呆けた顔で俺を見つめた後、顔を引き攣らせて言った。
「……笠原君さぁ、君、自分が何を言ってるかわかってるわけ? 君は今勤務時間中なんだよ? なのに制服に着替えもしないでいきなり辞めるって言い出して、おまけに雇い主に面と向かって文句をつけるなんて……。いくら何でも勝手すぎるんじゃない?」
「勝手なのはわかってます。でもそれは店長だって同じです。俺はそれがこの店の方針だってわかったから、自分も勝手にしようって決めたんです」
俺はきっぱりと言ってのけた。店長が一気に老け込んだような顔でため息をつく。
「……まったく信じられないね。9か月も働かせてもらった店の人間にそんな口の聞き方をするなんてさ……。
笠原君ねぇ、僕がどうして君を雇ってあげたかわかるかい? 君は面接の時から愛想もやる気もなくて、どう見ても接客業には向いてなかった。それでも僕が君を雇ったのは、うちで雇ってあげなかったら、君みたいな人間は他に行くところがないと思ったからだよ。君もそれがわかってたから、今までうちにしがみついてきたんだろう?」
あまりに勝手な言い分に、俺はもはや腹立ちを抑えきれなくなってきた。拳をぐっと握り締め、店長を殴りつけたい衝動を必死に堪えようとする。
「……人のこと決めつけるのは止めてください。俺が他の店で働けるかどうかなんてわからないじゃないですか。なのにそれを全部否定して、自分にはここしかないみたいに言われるのは納得いきません」
「はっ、随分ご立派なことを言ってるけど、君はどこにでもいるただの大学生でしょ? そんな人間に選択肢がいくつもあるわけないでしょ」
店長はさも馬鹿にしたように笑う。それを見てとうとう俺の堪忍袋の緒が切れた。拳を勢いよく机に打ちつけると、店長が笑みを引っ込めてびくりと肩を上げる。
「さっきから上から目線で好きなこと言いやがって。あんたが俺の何を知ってるって言うんだよ! 今いる場所から出て行くのを怖がって、他の可能性を頭から否定して、それじゃいつまでも変わらないままなんだ! 俺にはあんたの知らない可能性がある。なのに勝手に俺のことを判断して、俺の人生を決めつけるな!」
一気にまくしたてた俺を、店長が呆気に取られた顔で見返す。俺は肩で息をしながら、自分が感情的になったことに驚いていた。いつもなら腹が立つことがあっても黙ってやり過ごすのに、俺はいったいどうしてしまったのだろう。
「あの……店長。そろそろレジに入ってもらえませんか。私ももう上がりなんで」
小林さんがおずおずとバックヤードに入ってきて言った。店長がレジの方を見ると、前に長蛇の列ができている。俺達が口論している間に客が増えたようだ。
「ほら、店長、お客さんが待ってますよ。愛想もやる気もないアルバイトの代わりに、お手本みたいな接客をしてきてください」
俺は発破をかけるように言った。店長は忌々しそうに俺を睨みつけると、憤然と立ち上がって大股でレジへと向かった。
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