6ー5

「……でも笠原君、私思うんだけど、その子の料理が美味しいのって、笠原君のことを考えて作ってるからじゃないかしら?」小林さんが出し抜けに言った。


「え?」


 俺は当惑した顔で立ち止まった。小林さんは上目遣いに俺を見上げ、ゆっくりと語りかけるように言った。


「私、さっき言ったわよね? 旦那のために頑張ってたら料理が上手くなったって。その子も同じなんじゃないかしら。あなたが食堂に来てくれるのが嬉しくて、あなたに喜んでほしいと思ったから美味しい料理を作れるようになった」


「いや……それは考えすぎですよ。食堂なんてやってんだから、飯が美味いのは当たり前です」


「でも、相手のことを考えて作った料理は、そうでない料理の何倍も美味しいと思うわよ。その人に喜んでほしいと思えばこそ、好きな食材を使ったり、好みの味つけをしたりできるものね。だからあなたが彼女の料理を美味しいって思うのは、彼女の気持ちがそこに表れてるからだと思うけど」


 俺は腕組みをして考え込んだ。確かに喜美の料理はどれも美味くて、オムライス以外にも全く外れがない。俺はその飯の美味さにつられてたまご食堂に何度も通う羽目になってしまったのだが、それはあいつの心遣いの表れだったのだろうか。


 黙りこくった俺を小林さんはじっと見つめていたが、やがてふっと笑みを漏らした。俺の手から伝票を取り上げると、鞄を持って立ち上がる。


「じゃ、お節介なオバサンからのアドバイスはここまで。後は笠原君次第よ。じっくり考えるのはいいけど、考えすぎて逃げられないようにね?」


 小林さんはそう言って足早にレジへ向かった。俺はしばらく呆気に取られていたが、小林さんが財布を取り出したのを見て慌てて後を追いかけた。


「あ、自分の分は自分で払いますよ。ちょうどこないだバイト代入ったとこなんで」


「ううん、今日は私に払わせて。付き合ってくれたお礼よ」


「でも……」


「女性からの好意は有難く受け取るものよ。私は笠原君のファンなんだから」


 小林さんは片目を瞑って悪戯っぽく笑う。俺は曖昧にはぁ、と返事をしながら、今しがた二人でしたやり取りを一つ一つ思い返していた。


 普段のおちゃらけた言動からは窺い知ることのできない喜美の本心。それを確かめるためにも、もう一度たまご食堂に行った方がいい。それによって何かが変わることを小林さんは期待しているのだろう。


 でも俺は気が進まなかった。小林さんはああ言ったけれど、喜美はやっぱり俺のことなんて何も思ってないかもしれない。それをはっきりさせるためにも食堂に行った方がいいんだろうけど、もしそこであいつにその気がないことを知ったら、一人で悶々としていた自分が馬鹿みたいに思える気がしたのだ。


 煮え切らない思いを抱えながら、俺は小林さんが会計を済ませるのを見つめていた。




 それからまた2週間が経ったが、俺の状況は変わらなかった。バイトの終わりに、あるいは休みの日に喜美のことを思い出し、たまご食堂に行こうとしたこと自体はあった。だが、近くまで行ったところで思い直し、結局Uターンして帰ることを繰り返した。自分でも情けないとは思うが、どうしても喜美と面と向かって話す勇気が出なかったのだ。


 幸か不幸か、小林さんとはあの日以降シフトが重ならなかった。小林さんと話す機会がないのをいいことに俺は結論を先延ばしにし、そうこうしているうちに夏休みは終わりに近づいていった。このまま夏休みが終わって、また夜のシフトだけに戻ればいい。そうすれば小林さんと会うことも、喜美のことを思い出すこともなくなる。


 だが、俺のそんな逃げ腰な姿勢を天は許してはくれなかった。夏休み終了が3日後に迫ったところで、バイト先で事件が発生したのだ。

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