6ー4

 食事の間、俺達は当たり障りのない話をした。俺の大学のことや、小林さんの旦那や子どものこと。小林さんはどんな話題にも興味を持ち、熱心に話を聞いてくれるので俺もいつもより口数が多くなっていた。喜美のことさえ持ち出さなければ、話してて楽しい相手だと思えるんだけどな。


 そうして20分ほど経ったところで食事は終了した。小林さんはピラフを完食し、満足そうにナプキンで口を吹いていたが、そこでふと俺の方を見て尋ねた。


「あら、笠原君。オムライスもう食べないの?」


「あ、はい。何かこれ以上食べる気がしなくて」


 俺は言いながら自分の皿を見下ろした。オムライスが3分の1くらい残っている。


「そう。男の子なのに珍しいわね。あんまりお腹減ってなかった?」


「いや、そうじゃないんですけど……いまいち口に合わないって言うか」


「そう? ピラフは十分美味しかったけど……。あ、もしかして笠原君、彼女の店で美味しいものばっかり食べてきたから、舌が肥えちゃったんじゃない?」


「そんなこと……」


 ない、とは言い切れなかった。実際、この店のオムライスも不味いわけではなく、今までの俺だったら普通に完食していたと思う。それがこうして残しているのは、やはり喜美のオムライスの味が舌に残っているからだろうか。


 俺が無言でいるのを見て小林さんは何かを察したらしく、目を細めて陽だまりのような笑みを浮かべた。何だよその「黙ってても全部わかってるわよ」みたいな顔は。


「……胃袋は素直みたいね。ねえ、笠原君って普段料理はするの?」小林さんが尋ねた。


「いや、全然しないです。基本面倒なこと嫌いなんで」


「してみようと思ったことは?」


「それもないですね。自分1人のために作ろうとも思わないですし」


「一人暮らしだとそうかもしれないわね」小林さんが頷いた。「私も独身の時はそうだったわ。材料切るのも調理するのも手間だし、何より後片付けが面倒。だからいつもお惣菜ばかり買っててね。でも、ある時から急に料理に目覚めたの」


「へぇ、何かきっかけがあったんですか?」


「旦那と同棲を始めたことね。うちの旦那って結構忙しい人で、帰りは大体9時を過ぎることが多いの。毎日疲れて帰ってくる旦那を見てると、出来合いのものじゃなくて、ちゃんと自分で作った料理を食べさせてあげたいって思うようになって。それで料理を始めたんだけど、慣れないから最初は失敗続きでね。焦がしたり、逆に火が通ってなかったりすることがしょっちゅうあったわ」


 小林さんが苦笑した。俺は意外な気持ちでその話を聞いていた。今はベテラン主婦にしか見えない小林さんにも、新米みたいな時代があったのだ。


「でもね、そんな拙い料理でも旦那は喜んでくれたの」小林さんが目を細めた。

「帰ってくるなり、『今日の晩飯は何だ?』って聞いてきて、自分の好物だとすごく嬉しそうな顔になってね。市販のお惣菜に比べたら味も見た目も悪かったはずなのに、旦那は一度も残さずに私の料理を食べてくれた……。

 それを見てるうちに、私、この人のためにもっと料理が上手くなりたいって思うようになったの。この人が私の料理を楽しみに帰ってきて、一日頑張ったご褒美だって思えるような、そんな美味しい料理が作れるようになりたいって……」


 当時の記憶を思い出しているのか、小林さんはどこか遠い目をしている。この人は本当に旦那さんのことが好きなんだな、と俺は感じ入った。


「それからね、私が料理を頑張るようになったのは。相変わらず失敗ばかりだったけど、それでも続けてるうちに少しずつコツが掴めてきてね、だんだん自分でも美味しいって思えるものが作れるようになったの。

 そしたら旦那も喜んでくれて、美味い美味いって言いながら食べてくれるから私も嬉しくなって。もっといろんな料理を作れるようになりたいと思って、新しい料理にも挑戦するようになったの。新しい料理を作るたびに、これを食べたら旦那はどんな反応をするかしら? って想像するのが楽しくてね。

 で、そうこうしてるうちに結婚して子どもが生まれて、そしたら今度は子どもにせがまれてハンバーグとかカレーを作るようになったの。でも子どもは正直だから、不味いものははっきり不味いって言って食べないのよね。せっかく作ったのに残されるとショックだったけど、そのうち逆に意地になってきて。次は絶対美味しいって言わせてやるから! ってかえってやる気が出てきたの。これじゃどっちが子どもかわからないわね」


 小林さんは目を細めてふふっと笑う。その表情だけでも、彼女が心から楽しんで料理をしているのが伝わってくる。


「何か意外ですね。俺、料理って面倒なイメージしかなかったですけど、小林さんの話聞いてると楽しそうに思えてきました」


「ええ、料理は楽しいわよ。笠原君もこの機会に始めてみたらどう?」


「でも俺は一人暮らしですし、食べさせる相手なんていませんよ」


「食堂の彼女は? 味見してほしいって言ったら喜んで食べてくれると思うけど」


 小林さんがここぞとばかりに言った。結局そこに戻るのかよ。


「それはないです。そもそもあいつはプロですし、素人が作った料理なんて不味くて食べる気しないでしょ」


「そうかしら。普段自分が作る側だからこそ、たまに作ってもらったら嬉しいんじゃない? 特に相手が気になる男の子なら、ね」小林さんがウインクした。


「ないです」


 俺はきっぱりと言った。この人はどうあっても俺と喜美を引き合わせたいらしいが、あいにく俺の方には一切その気持ちはない。話は終わりだとばかりに俺は伝票を持って立ち上がろうとした。

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