6ー2
「ちょっとそこ、いつまでお喋りしてるの?」
急にバックヤードからぴしゃりと声が聞こえ、俺と小林さんは咄嗟に背筋を伸ばした。髪が薄くなった中年の店長が、不機嫌そうな顔でレジに近づいてくる。
「あのねぇ君達、いくらお客さんが少ないからって、店員がべちゃくちゃ喋ってていいと思ってるの?」店長が唾を飛ばした。
「レジですることがないなら、商品を並べ直すなり掃除するなり何かしらすることあるでしょ」
「はぁ。でも、商品の並べ替えならさっきやりましたよ」俺は言った。
「それに掃除も、さっき床のモップ掛けしましたし、そんなに何回もする必要ないと思いますけど」小林さんも便乗した。
「口答えしない」店長がけんもほろろに言った。「僕が問題にしてるのはね、外から見た時に君達がどう見えるかってことだよ。店員が仕事もしないでレジで食っちゃべってるの見たら、お客さんはどう思うかわかる?」
正直何も思わない。暇な時間にちょっと喋るくらいどこのコンビニでもやってるんじゃないだろうか。でもそんなことを正直に言うと火に油を注ぐことは目に見えていたので、俺は模範的な回答をした。
「……ここの店員は態度が悪い、給料もらってるのに仕事してない、とかですか」
「そう。そういうことだよ」店長が俺に人差し指を突きつけた。「店員の態度はそのまま店の品位を表す。君達一人一人が店の看板を背負ってるってことを忘れないでよね」
店長は言いたいことを一気に言ってしまうと、憤然と肩を怒らせてしてバックヤードに戻っていった。雑誌を立ち読みしていた客がちらりと俺達の方に視線を向ける。客の前で店員を叱りつけることは店の品位を下げないんだろうか。
「……バイトやパートに品位を求めるなんて、店長もおかしなこと言うわよね」
小林さんがバックヤードを見やりながら、小声でため息混じりに言った。
「私達はただ条件が合ってるから働いてるだけなのに、看板を背負えとか大層なこと言われても困るわよね。これじゃ人がすぐ辞めるのも無理ないわ」
「ですよね……。あの店長の下で続けられる人の方が珍しいと思います」俺は激しく同意した。
「でも笠原君はけっこう長いわよね。確か今月で9か月目だっけ?」
「そうですね。俺も正直、こんなに長く続けるとは思いませんでした」
「偉いわね。大学生だったら他にいくらでも働き口があるでしょう? なのにこんな条件の悪い店でわざわざ続けてるなんて」
「まぁ、慣れたとこ変わるのも面倒ですから。それに、条件悪くても続けてるのは小林さんも一緒じゃないですか」
「私はほら、子どもの送り迎えとかで時間の制約があるから、条件に合う職場が少ないのよ。ここはシフトも週2日からでいいし、時間も短くて済むから重宝してるの。ま、それにしても店長の要求多すぎるのはどうかと思うけど」
小林さんは苦笑して肩を竦めた。茶目っ気のある仕草ではあるが、実際はかなり辟易しているに違いない。
「そっか。時間の制約があると探すのも大変なんですね。そう考えると俺はまだ選択肢があるんだな……」俺はしみじみと言った。
「そうよ。私がこんなこと言うのもなんだけど、笠原君はここで続ける理由ないと思うわ。他に働いてみたいお店とかないの?」
「働いてみたい店……」
なぜかたまご食堂のことが頭をよぎる。いつ行っても閑古鳥が鳴いているようにしか見えなかったあの店だが、ああ見えて意外と繁盛しているらしく、喜美はバイトを探していると言っていた。だが、俺がそこに応募する理由は断じてない。飲食店で客に愛想よくするのなんて疲れるだけだし、そもそもあいつの下で働くのなんて絶対にごめんだ。
俺は小林さんの目を見つめ、力を込めて「ありません」と言った。
その後は何事もなく時間が過ぎ、俺と小林さんは同時に退勤した。時刻は18時。晩飯をどうしようかと考えていると、小林さんが声をかけてきた。
「ねぇ笠原君、もし時間あったら、この後ご飯でもどう?」
「え? 俺とですか?」
「うん。今日旦那が出張で、明日まで帰ってこないの。子どもの方もうちの両親が面倒見てくれてるから、急いで帰る必要ないのよ。帰ってもまた家事に追われるだけだし、それならゆっくり外食でもしようかと思って」
「あぁなるほど。俺は別にいいですよ」
「そう、よかった。オバサンと二人で食事なんて、若い子は嫌がるかと思ったけど」
「全然ですよ。俺も飯どうしようか迷ってたとこなんで有難いです」
「ふふ、それはよかった」小林さんが目尻を下げた。「何か食べたいものある? 男の子だったら量がたっぷり食べられるお店の方がいいのかしら」
「いや、別に何でもいいですよ。小林さんが選んでください」
「うーん、私、あんまりこの辺りのお店を知らないのよね。笠原君の方が詳しいと思うんだけど、何かお勧めのお店はない? 安くて美味しいお店とか」
「安くて美味い店……」
真っ先にたまご食堂の光景が頭をよぎったが、すぐに首を振ってその映像を打ち消した。さっきから何であいつは俺の脳内を侵食してくるんだ。
「いや、特に思いつかないですね。適当に歩いて、気になった店に入ってもいいですよ」
「じゃ、そうしましょうか。ふふ、若い男の子と2人で歩くのなんて何年ぶりかしら」
小林さんは微笑んでさっそく歩き出す。心なしかその足取りは軽く、まるでデートに出掛ける女子みたいだ。やっぱりこの人は若いな、と思いながら俺はその後を追った。
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