第6話 私の心を召し上がれ
6ー1
暦は9月へと突入したが、月が変わっても連日の熱さは相変わらずで、照りつけるような日差しが容赦なくアスファルトを焦がしている。むわりとした熱気の漂う外の景色をげんなりと眺めながら、俺、
普段のシフトは夕方からだが、夏休みの間は昼間から夜までぶっ続けでシフトに入ることが多い。平日の昼間は客も少なく、ぼーっと立っているだけで金がもらえるのだから楽だ。ただし、今日に限っては仕事が暇なことが恨めしかった。変に時間があるせいで、ついあいつのことを考えてしまうからだ。
「二度と
(……あの時は本気だったのかと思ったけど、結局何もなかったってことだな)
更新されないLINEの画面を見るたびに俺は自分にそう言い聞かせた。あいつとの関係が切れたことをもっと喜んでもいいはずなのに、なぜかかえって虚しい気持ちになっている。その理由が俺にはわからなかった。
「笠原君、最近元気ないわね。どうかした?」
横から声をかけられて俺は顔を上げた。隣のレジに入っている女性が、俺に心配そうな視線を向けている。見た目は40代くらいで、目尻や口元には年相応に皺が寄っているが、ボブカットの髪型は若々しさを感じさせる。
彼女は小林さん。最近入ったパートさんで、2児の子育てをしている主婦だ。俺が夏休みに入り、昼のシフトが増えてからシフトが重なることが多く、自然と仲良くなった。
「いや……ちょっと考え事してて。すみません」俺は頭を下げた。
「考え事、ね。もし悩みがあるなら相談に乗るわよ? 特に恋愛相談なら任せて。こう見えても若い頃はモテたんだから」
小林さんが悪戯っぽく笑ってウインクしてくる。だが俺はすぐにかぶりを振った。
「別に悩んでることはないです。特に恋愛なんてここ1年くらいしてないんで。期待に添えず申し訳ないですけど」
「あら、そうなの? 勿体ないわね。気楽な恋愛をできるのは今だけなのに」
「別にいいです。俺、そっち方面には何も期待してないんで」
「あらあら、若いのに欲がないのね。でも意外。笠原君ってクールだから、女の子にモテそうだと思ってたけど」
「全然ですよ。俺の友達も彼女いない奴ばっかりなんで」
「そう? でも気になってる子くらいいるんじゃない?」
「気になってる子……」
なぜか喜美の姿が頭に浮かんだが、すぐに首を振ってその映像を打ち消した。だが小林さんは俺のその反応を肯定と解釈したらしく、目を細めて優しい微笑みを向けてきた。
「あら、何だいるんじゃないの。ちゃんと青春してるみたいで安心したわ。で? 相手はどんな子なの?」
「いや、誤解ですって。俺には好きな奴なんていません」俺はきっぱりと言った。
「そうお? 笠原君の今の反応は、明らかに特定の子を思い出してる感じだったけど」
「たまたま思い浮かんだだけです。それに俺、そいつとは今後一切会う予定はありませんから」
「あらそうなの? せっかくいい子がいるのに勿体ない」
「……俺が行かなくても、代わりの奴はいくらでもいますから」
昌平や岡君の顔を思い出す。昌平とはあれ以来連絡を取っていないが、あの時の気合いの入れようを見るに、今頃本気で喜美にアプローチを仕掛けているかもしれない。それに岡君も、料理の修行と称してたまご食堂に通い詰めている可能性は十分にある。そう考えると俺はなぜかもやもやした気持ちになった。
「でも、笠原君はそれでいいの?」小林さんがまたも尋ねてきた。
「いいのって、何がですか?」
「その子ともう会えなくて。内心寂しいって思ってるんじゃないの?」
「俺が? まさか。むしろうっとうしいのがいなくなって清々してますよ」
「あらそう? 笠原君が元気ないの、その子に会ってないからだと思ったんだけど」
「違います。元気ないのはその……ただの夏バテです」
「ふうん。じゃ、そういうことにしておくわね」
小林さんは含み笑いをして頷いた。何だよその「全部わかってるわよ」みたいな顔は。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます