第6話 私の心を召し上がれ

6ー1

 暦は9月へと突入したが、月が変わっても連日の熱さは相変わらずで、照りつけるような日差しが容赦なくアスファルトを焦がしている。むわりとした熱気の漂う外の景色をげんなりと眺めながら、俺、笠原涼太かさはらりょうたはコンビニのレジに立っていた。


 普段のシフトは夕方からだが、夏休みの間は昼間から夜までぶっ続けでシフトに入ることが多い。平日の昼間は客も少なく、ぼーっと立っているだけで金がもらえるのだから楽だ。ただし、今日に限っては仕事が暇なことが恨めしかった。変に時間があるせいで、ついあいつのことを考えてしまうからだ。


 「二度と喜美きみには関わらない」と宣言してたまご食堂を後にしてから早2週間が経った。食堂を出た直後はさすがに言い方がきつかったと思い、喜美に連絡して謝ろうかと思った。だが、自ら宣言を覆すのも癪だと思い直し、自分からは一切連絡せず、あいつから連絡があれば一応謝ることにしようと決めた。しかし、喜美の方からもそれ以来連絡はなく、何度かLINEのトーク画面を開いて確かめてみたが結果は同じだった。今まで散々しつこくしてきたのに、この変わり身の早さは何なのだろう。


(……あの時は本気だったのかと思ったけど、結局何もなかったってことだな)


 更新されないLINEの画面を見るたびに俺は自分にそう言い聞かせた。あいつとの関係が切れたことをもっと喜んでもいいはずなのに、なぜかかえって虚しい気持ちになっている。その理由が俺にはわからなかった。


「笠原君、最近元気ないわね。どうかした?」


 横から声をかけられて俺は顔を上げた。隣のレジに入っている女性が、俺に心配そうな視線を向けている。見た目は40代くらいで、目尻や口元には年相応に皺が寄っているが、ボブカットの髪型は若々しさを感じさせる。


 彼女は小林さん。最近入ったパートさんで、2児の子育てをしている主婦だ。俺が夏休みに入り、昼のシフトが増えてからシフトが重なることが多く、自然と仲良くなった。


「いや……ちょっと考え事してて。すみません」俺は頭を下げた。


「考え事、ね。もし悩みがあるなら相談に乗るわよ? 特に恋愛相談なら任せて。こう見えても若い頃はモテたんだから」


 小林さんが悪戯っぽく笑ってウインクしてくる。だが俺はすぐにかぶりを振った。


「別に悩んでることはないです。特に恋愛なんてここ1年くらいしてないんで。期待に添えず申し訳ないですけど」


「あら、そうなの? 勿体ないわね。気楽な恋愛をできるのは今だけなのに」


「別にいいです。俺、そっち方面には何も期待してないんで」


「あらあら、若いのに欲がないのね。でも意外。笠原君ってクールだから、女の子にモテそうだと思ってたけど」


「全然ですよ。俺の友達も彼女いない奴ばっかりなんで」


「そう? でも気になってる子くらいいるんじゃない?」


「気になってる子……」


 なぜか喜美の姿が頭に浮かんだが、すぐに首を振ってその映像を打ち消した。だが小林さんは俺のその反応を肯定と解釈したらしく、目を細めて優しい微笑みを向けてきた。


「あら、何だいるんじゃないの。ちゃんと青春してるみたいで安心したわ。で? 相手はどんな子なの?」


「いや、誤解ですって。俺には好きな奴なんていません」俺はきっぱりと言った。


「そうお? 笠原君の今の反応は、明らかに特定の子を思い出してる感じだったけど」


「たまたま思い浮かんだだけです。それに俺、そいつとは今後一切会う予定はありませんから」


「あらそうなの? せっかくいい子がいるのに勿体ない」


「……俺が行かなくても、代わりの奴はいくらでもいますから」


 昌平や岡君の顔を思い出す。昌平とはあれ以来連絡を取っていないが、あの時の気合いの入れようを見るに、今頃本気で喜美にアプローチを仕掛けているかもしれない。それに岡君も、料理の修行と称してたまご食堂に通い詰めている可能性は十分にある。そう考えると俺はなぜかもやもやした気持ちになった。


「でも、笠原君はそれでいいの?」小林さんがまたも尋ねてきた。


「いいのって、何がですか?」


「その子ともう会えなくて。内心寂しいって思ってるんじゃないの?」


「俺が? まさか。むしろうっとうしいのがいなくなって清々してますよ」


「あらそう? 笠原君が元気ないの、その子に会ってないからだと思ったんだけど」


「違います。元気ないのはその……ただの夏バテです」


「ふうん。じゃ、そういうことにしておくわね」


 小林さんは含み笑いをして頷いた。何だよその「全部わかってるわよ」みたいな顔は。

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