6ー10

「……ね、涼ちゃんはさ、あたしのことどう思ってるのかな?」


 喜美が上目遣いに尋ねてきた。


「やっぱり8歳も年上だと対象外? それか逆に見た目幼すぎてイヤ? フードフェスの時はけっこう頑張ったんだけどね」


 俺は2か月前の喜美の服装や髪形を思い浮かべた。確かにあの時の喜美はいつもと違っていた。いつもよりお洒落で、いつもより大人っぽくて、そしていつもより――可愛く見えた。


「……対象外、ってことはない」


 俺はようやく言った。喜美がはっとして視線を上げるが、俺は制するように続けた。


「でも、じゃあすぐに付き合えるかって聞かれたら話は別だ。俺、今までお前のことそういう目で見たことなかったから、いきなりどう思うかって聞かれても正直わからん。だから……今は何とも言えないって言うしかない」


 逃げていると思われるかもしれない。ずるいと罵られるかもしれない。でも、それは俺の本心だった。喜美の気持ちに応えることも、断ることも今はできそうにない。


 会話が途切れ、店内に気づまりな沈黙が落ちる。空気を読んだかのように客は来ず、俺はこの事態にどう収拾をつければよいか考えあぐねていた。こんな空気の中では食事をするのは元より、話を切り上げて帰るのも難しい。やはり来ない方がよかっただろうかと思っていると、不意に喜美が大きなため息をついた。


「……そっか。よくわかったよ。それが今の涼ちゃんの気持ちなんだね」


 そう言った喜美の表情は、安堵しているようにも落胆しているようにも見えた。俺は良心が咎めるのを感じたが、だからと言ってそれ以上言葉をかけられそうになかった。


「うん。はっきりしたこと言えなくて悪いけど、それが今の俺の正直な気持ちだ。でも、変に期待もたせるのも嫌だから、他の奴のとこ行ってくれても構わない。お前のこといいって思ってる奴は他にもいるだろうし……」


「何言ってんの? そんな簡単に諦めるわけないじゃん」


「え?」


 俺は当惑して聞き返した。先ほどまでのしおらしい態度は消え、喜美の顔にはいつもの不敵な笑みが浮かんでいる。


「今ここではっきり無理だって言われたらさすがに諦めたけど、涼ちゃん対象外じゃないって言ったよね!? だったら諦めるわけないじゃん! 殻を割れば可能性は無限大! 童顔のアラサーにだってチャンスはあるんだから!」


 喜美はガッツポーズをして勢いよくまくし立てる。すっかりいつもの調子を取り戻した喜美を、俺は呆気に取られて見つめた。


「となればさっそく作戦開始だね! 異性と距離を縮めるには、まずは一緒にいる時間を増やすことが不可欠! というわけで涼ちゃん、うちの店でバイトしよう!」喜美が俺の方に身を乗り出した。


「いや、何でそうなるんだよ!? つーか強引過ぎるだろ! そんなんで男落とせると思ってんのかよ!」


「いいのいいの。あたしにはこういうやり方しかできないんだから。押してダメでも押しまくれ! があたしのモットーだから!」


「いや意味わかんねぇし! つーか俺バイトしてるって言っただろ……」


 そこで俺ははたと口を止めた。ついさっき自分が失業したことを思い出す。


「ん? 何か言った? 俺は今バイト……?」


 喜美がこれ見よがしに片耳に手を当てる。俺は舌打ちをすると渋々言った。


「……バイトは辞めたけど、この店で働く気はない。俺やる気も愛想もないから、接客とか向いてないんだよ」


「大丈夫だって。明るく楽しい喜美ちゃんのお店で働いてたら、涼ちゃんも自然とスマイル振り撒けるようになるから!」


 俺は自分がにこやかな笑みを浮かべて客に料理を運んでいる光景を想像したが、すぐに吐きそうになったので止めた。別の方法で抵抗を試みる。


「……っていうか、そもそも俺料理とかしたことないし、役に立たないだろ」


「今からでも練習すればいいじゃん! あたしが何のために実演調理見せてきたと思ってるのさ!」


 喜美が腰に手を当てて怒ったように言う。あれやっぱり伏線だったのかよ。


「最初はホールだけで、キッチンは徐々に覚えてくれればいいからさ。下手に知らないとこで働くより、知り合いの店の方が気持ちも楽でしょ?」


「いや、そうだけど……。告白された相手の店で働くってどうなんだよ。普通気まずいとか思うだろ」


「え、そうなの?」


 喜美は本気でびっくりしたように目をぱちくりさせている。こいつどんだけ神経図太いんだよ。


「……とにかくバイトは止めとく。別のコンビニでも探すよ」


「なーんだつまんないの。せっかく美味しいまかないを食べさせてあげようと思ったのに」喜美が唇を尖らせた。


「まかない?」


「そう! 飲食店だとよくあるでしょ? 余った料理を従業員に食べてもらうの! あたしの店でバイトしたら、毎日ふわとろのオムライスが食べられるんだけどなぁ……」


 喜美は頬に人差し指を当て、ちらちらと俺の方を見上げてくる。オムライスの味を思い出した途端に口の中が唾でいっぱいになり、俺は気まずそうに視線を落とした。


 俺はしばらく逡巡した後、いかにも気が進まなさそうに言った。


「……そこまで言うなら試しにやってやる。でも合わないと思ったらすぐ辞めるからな」


「ホント!?」喜美がぱっと顔を輝かせた。「やった! これってチャンスだよね!? 涼ちゃん、あたし頑張るからね!」


「……頑張るのは料理だけでいい。っていうかあんまり期待するなよ。俺はバイトをするのを決めただけなんだからな」


「わかってるって。じゃ、さっそく来週からね! あー楽しみだな! せっかくだし週末に美容室でも行こっかな?」


「どうせくくるんだから一緒だろ。変に気合い入れなくていい」


「ちぇっ。相変わらずノリが悪いなぁ涼ちゃんは。ま、そういうつれないとこも好きなんだけどね!」


 喜美が満面の笑みを浮かべる。面と向かって好きと言われるとさすがに恥ずかしく、俺はばつが悪そうに視線を逸らした。


「ね、涼ちゃん、せっかくだし何か食べてけば? お腹空いてるでしょ?」喜美が両手を合わせて提案した。


「あぁ……。確かに腹は減ってる。怒ってエネルギー使ったから余計にな」


「へぇ、怒ったんだ。誰にどんなこと言ったの?」


 喜美が興味津々で俺の顔を覗き込んでくる。バイトを辞めるのにお前の台詞を受け入りしたんだとはさすがに言えない。


「……別に何でもいいだろ。それより早く飯作ってくれ。普通のオムライスでいいから」


「りょうかい! すぐ作るから待っててね!」


 喜美がにっこり笑って厨房へと駆けていく。背中で結んだエプロンの紐がぴょんぴょんと跳ねる様子は、喜美がいかにこの展開を喜んでいるかを伝えているようだ。


 俺はその半ば呆れてその様子を見つめながらも、まぁいいか、と思い直した。

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