5ー8

 岡君と会話をしているう15分が経っていたらしい。喜美はお盆に出汁巻き定食と茶碗蒸しを2つ乗せて戻ってきた。


「はい、お待ちどおさま! 『お袋の味・出汁巻き定食』と、『真心たっぷり・茶碗蒸し』です! 出来立てで熱いから気をつけてね!」


 喜美はそう言って料理を順番にテーブルに置いた。出汁巻きは相変わらず艶やかな黄色をしていて見るからに食欲をそそる。一方の茶碗蒸しは、淡い黄色にかまぼこや三つ葉が彩りを添えて見た目が華やかだ。


「おお! やっぱり美味そうっすね喜美さんの料理は! これは期待大っす!」


 岡君が興奮気味に言って箸を取り上げる。俺もスプーンを手にさっそく茶碗蒸しを食べてみることにした。器を持ち上げると中身がふるふると震え、まるで繊細な生き物のようだ。俺は壊れ物を扱うようにそっとスプーンを茶碗蒸しの中に入れると、椎茸やかまぼこなどの具材と一緒に口に運んだ。


 口に入れた瞬間、滑らかな食感が舌の上を転がっていった。硬すぎず柔らかすぎず、絶妙な固まり具合が均一に保たれた茶碗蒸しはとても舌触りがよく、いつまでも口の中でその食感を堪能したいと思えるほどだった。軽く咀嚼すると具材の旨味があふれ出し、口の中を贅沢な味わいでいっぱいにしていく。飲み込んだ後もつるんと喉元を通り過ぎていき、最後まで気持ちよさを失わせない。プリンのような食感も相俟って、まるでデザートを食べているような気分だった。


「くうぅ……。やっぱり喜美さんの茶碗蒸しは美味ぇっす! 絶品っす! ね、涼太さんもそう思うっすよね!?」


 岡君は感動しているのか、目に涙を浮かべながら茶碗蒸しを搔っ込んでいる。大袈裟だな、と俺は思いながらも頷いた。


「……まぁ、確かに美味い。俺、普段あんまり茶碗蒸しなんて食べないけど、こんなに美味いんだったらもっと食べてもいいな」


「ふふん。当然でしょ? 何たってあたしの真心がたっぷり入ってるんだからね」


 急に横から声がして、俺は驚いて顔を上げた。腰に手を当て、得意げな笑みを浮かべた喜美がいつの間にかテーブルの横に立っている。


「……何だよ驚かすな。厨房に戻ったんじゃなかったのかよ」


「やっぱお客さんが食べてるとこは間近で見たいからね。で、どう? 涼ちゃん。あたしの真心のお味は?」


「味がいいのは認める。でも真心とかそういうのは知らん」俺はすげなく言った。


「あーあ、涼ちゃんは相変わらずだねぇ」喜美が肩を竦めた。「もっと素直に褒めればいいのにさ。あまりの美味しさに、僕も心をがっちり掴まれちゃいましたって!」


「人を変なキャラにするな。つーか早く厨房戻れよ。見られてると落ち着かないんだ」


「はいはいわかったよ。でもホント涼ちゃんって素直じゃないよね。岡君みたいに思ってることはっきり言えばいいのにさ」


「美味いことは認めてやってるだろ。それ以上何を言う必要があるんだよ?」


「あ、わかんない? わかんないかぁ。まったくこれだから涼ちゃんは……」


 喜美はさも嘆かわしそうに言って厨房へ戻っていく。何だよ、お前の方こそはっきり言えよ。例の告白と言い、思わせぶりなことばっか言いやがって――。


「……涼太さん、よかったんすか?」岡君がそろりと尋ねてきた。


「何が?」


「さっきの喜美さん、明らかにモーションかけてる感じだったじゃないっすか。あれ、絶対涼太さんのこと待ってるんすよ」


「待ってるって、何を?」


「告白に決まってるじゃないっすか! 喜美さんも女の子っすからね。自分から告白する勇気が出ないから、男の方から言ってほしいんじゃないっすか?」


 俺は目を瞬いて岡君を見返した。いや、あいつなら自分からしてくるという言葉が喉まで出かかったが、すんでのところでそれを堪えた。


「いや……それはないと思う。あいつは俺のことなんか何とも思ってないよ」


「そうっすか? でもさっきも意味深なこと言って……」


「あれは俺をからかってるだけだ。あいつからすれば俺なんて大学生のガキだし、端から恋愛対象になんかならねぇよ」


「そうっすかねぇ。でも年下が無理ってことは、俺も対象外ってことっすよね」岡君が肩を落とした。


「そうとも限らないだろ。岡君とあいつには料理っていう共通の話題があるし、何度もアプローチしてりゃあ、あいつもそのうち本気で取り合ってくれるようになるだろ」


「そうっすかね……。喜美さん、年下でも相手にしてくれますかね?」


「大丈夫だろ。あいつも未成年みたいな見た目してるし」


「……そうっすね。何か涼太さんと話してるうちに、行けるかもって気になってきました。俺頑張ります! 涼太さん、ありがとうございました!」


 岡君はそう言って勢いよく立ち上がり、直立した姿勢で頭を下げた。チンピラみたいな岡君にそうされると、自分がヤクザのボスになった気分になってくる。


「うん。頑張ってくれ。俺の心の平穏のためにもな」


 俺は『真心をこめて』言った。岡君が喜美と付き合ってくれれば、俺がこれ以上あいつに振り回されることもない。たかだが食堂の店主の分際で、あいつは人の領域に踏み込み過ぎなんだ。

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