5ー7

「……喜美さんと涼太さんって、仲いいんすね」


 岡君がぽつりと言った。俺が視線をやると、岡君は柄にもなく肩を落とし、寂しそうな目で喜美の方を見つめていた。


「喜美さん、俺一人の時はあんなに丁寧に教えてくれないっす。まるで俺じゃなくて、涼太さんの方を弟子にしたがってるみたいで……。何が違うんすかね?」


「……見た目に問題があるのかも」俺はぼそりと言った。


「え、何すか?」


「いや、何でもない。でも、あいつが俺を弟子にしたがってるってことはさすがにないと思う。俺は料理に関してはど素人だから、わざと丁寧に説明してるだけだよ」


「うーん、そうっすかねぇ。俺からしたら、喜美さんは涼太さんを育てようとしてるように見えるんすけど……」


「だから勘違いだって。俺は板前になんかなる気はないし」


「でも、バイトならあり得るんじゃないっすか? 喜美さん、さっき人手が足りないみたいなこと言ってたし、そのうち涼太さんに声かかるんじゃないっすか?」


「バイト? 俺が?」


「はい。もしかしたら喜美さん、涼太さんにバイトに来てほしくて、料理の知識仕込んでるんじゃないですか?」


 俺は呆気に取られて岡君を見つめた。確かに俺はたまご食堂に通う中で、喜美の実演調理を何度となく見せられてきた。その過程で料理に関する知識は多少なりとも増えたが、まさかそれが、俺をバイトに引き込むための壮大な伏線だったというのか。


「……もしそうだったとしても、俺はあいつの下でバイトなんかしない」俺はぶすっとして言った。「俺、もうバイトしてるし。別に辞める気もないしな」


「そんなに割のいいバイトなんすか?」


「……いや、割は全くよくない。むしろ条件的にはブラック寄りだと思う」


「じゃあさっさと辞めればいいじゃないっすか。何でそんなとこで続けてんすか?」


 岡君は心底不思議そうに俺を見つめている。言われてみれば、どうして俺は条件の悪いバイトをいつまでも続けているのだろう。仕事を覚え直すのが面倒だとは言っていたが、本当にそれだけが理由なのだろうか。


「……だってほら、辞めたところで次が見つかるかわかんねぇし、あったとしてももっと条件悪いかもしれないだろ。そんなリスク取るくらいなら続けた方がマシなんだよ」俺は自分に言い聞かせるように言った。


「そうっすかねぇ。そんなこと言って、実は涼太さん、変化を起こすのが怖いだけなんじゃないっすか?」


「え?」


 俺は眉を上げて岡君を見返した。岡君は訳知り顔で続けた。


「ほら、よく言うじゃないっすか。人間は変化を恐れる生き物だって。新しい環境に一から入っていくのってかなりストレスっすからね。だったら今いるとこで我慢した方が、昨日までと同じことしてりゃいいんだから安心です。でもそれって、実際は他の可能性を狭めてるだけだと思うんすよね」


 俺はぽかんとして岡君を見返した。似たような言葉を以前にも聞いたことがある。


「岡君、それ、誰かの受け入り?」


「あ、わかります? やっぱこんなこと言ってもキャラじゃないっすよね」岡君が頭を掻いた。


「これ、喜美さんからの受け入りなんす。俺、昔は料亭で働いてたんすけど、そこもやっぱり条件悪くて。新人のいびりが当たり前で、朝から晩まで師匠に怒鳴られて、給料もろくに払われずにこき使われてました。そのくせ料理の技術は全然教えてもらえないから、他に入った弟子もすぐに辞めていきました。

 俺も何度も辞めようとしたんすけど、俺はこんな成りだから、ここ逃したら他に雇ってもらえないだろうと思って我慢して続けてきました。でも状況は全然変わらなくて、このまま続けても板前にはなれないってことがわかってきて、余計に迷うようになって。そんな時にこの食堂と出会って、喜美さんにそのこと相談したら、さっき言ったことを教えてもらったんす」


「そんなことがあったのか……」


 見た目によらず――いやこの見た目だからこそかもしれないが――苦労してきたらしい岡君を、俺は同情の目で見つめた。彼が喜美への弟子入りを志願しているのは、料理の味に惚れ込んだだけでなく、辛い境遇を喜美に救われたことも理由なのかもしれない。


「だから俺、涼太さんも行動した方がいいと思うっすよ」岡君が言った。

「今のバイトが嫌ならさっさと辞めて、他の仕事経験してみた方がいいっす。喜美さんは確か、『殻を割る』って言ってましたね」


「殻を割る……」


 確かにそれを同じことを言われた。いつまでも殻の中に閉じこもっていることは、自分の可能性を狭めるだけだと。勇気を出して殻を割ることで、今とは違う自分に出会えるかもしれないと。いつもは冗談しか言わない喜美が、あの時は妙に真剣な口調だった。


「……まぁ、俺からしたら、涼太さんがバイト辞めたら喜美さんが誘いかけるかもしれないんで、手放しで応援はできないんすけどね」岡君が苦笑した。


「それは安心してくれ。俺がこの店で働くことは絶対ないから」


 俺は力強く断言した。短時間一緒にいるだけでもペースを乱されるのに、その上バイトまで付き合わされるなんて絶対にごめんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る