5ー5

(にしても、この人が板前ねぇ……)


 俺は改めて岡君の姿を眺めた。話しぶりを聞く限り悪い人ではなさそうだが、それでも見た目はやはりチンピラだ。彼が厨房で包丁を握っている姿を想像しても、別の危ない場面しか浮かんでこない。


「……まぁ、知り合いならよかった。これなら心配する必要もなかったな」俺はぼそりと言った。


「ん? 何、涼ちゃんってばあたしのこと心配してくれたの? あたしが岡君に口説き落とされちゃうんじゃないかって?」


 喜美が期待のこもった目で俺を見上げてくる。俺は自分の失言に気づき、急いで憮然とした顔を作った。


「……別にお前のことなんかどうでもいい。俺はもう帰るからな」


「えー、せっかく来たんだからもうちょっとゆっくりしていきなよ! ほら、友達も帰っちゃったみたいだし、この後ヒマでしょ?」


 俺は入口の方に視線をやった。昌平が戻ってくる気配はない。っていうかあいつ、金払わずに帰りやがったな。


「でも俺もう飯食ったし、これ以上ここにいてもすることないし……」


「あ、じゃあサイドメニューはどう? 茶碗蒸しくらいなら入るんじゃない?」


「茶碗蒸し! いいっすね!」岡君がガッツポーズをした。「喜美さんの茶碗蒸しは絶品なんすよ! これ食わないで帰ったら絶対後悔しますって!」


「茶碗蒸し、なぁ……」


 俺は腕組みをして考え込んだ。天津飯で腹は満たされたものの、胃袋にはまだ余裕がある。食べないと後悔する、とまで言われて興味が芽生えたのも確かだ。


「……わかった。でもそれ食ったらすぐ帰るからな」


「オッケー! 岡君は何にする?」


「俺は出汁巻き定食で! 茶碗蒸し俺にもお願いします!」


「出汁巻き1つに茶碗蒸し2つね。りょうかい! すぐ作るから待っててね!」


 喜美はにっこり笑って厨房へと駆けていこうとする。だがそこで何かを思い出した顔ではたと足を止めた。


「あ、そうだ涼ちゃん。うちの店ツケはやってないから、お友達の分もお勘定お願いね! 卵焼き定食と天津飯で2000円くらいかかると思うから」


 喜美はそれだけ言い残して厨房へ去っていく。俺はげんなりしてため息をつき、今度昌平に会ったら2倍にして請求してやる、と決意した。


 


 俺が元いたテーブルに戻ると、岡君は当然のように向かい側に腰かけてきた。喜美の料理が待ちきれないのか、そわそわとして両手を擦り合わせている。いかつい見た目と子どものような仕草がアンバランスだ。


「あの、ところで涼太さんって、いつからこの店に通ってるんすか?」岡君が尋ねてきた。


「この春からだな。適当に歩いてたらたまたま見つけて入ったんだよ」


「へぇ。それで喜美さんの料理に惚れ込んだってわけですか。その気持ちわかるっすよ! 俺も初めてあの人の料理を食べた時は、感動して昇天するかと思ったっす!」


「いや、そこまでじゃないけど……」


「喜美さんの料理って、あの人の人柄を表してると思うんすよね」岡君は興奮気味に続けた。「あったかくて優しくて、どんな奴でも笑顔にしちまうっつーか……。そう思わないっすか?」


 俺は記憶を辿って考え込んだ。仕事や家庭生活に悩んでいた山本さんや、喧嘩していた大原さん親子を思い出す。最初は憂鬱そうだったあの人達も、食堂を出る頃にはみんな晴れやかな顔をしていた。それを可能にしたのはあいつの料理の力だ。


「……まぁ、確かに料理の腕前はかなりいいと思う」俺は渋々頷いた。

「ただ、人の領域にずかずか踏み込んでくるのは勘弁してほしいけどな」


「え、そうなんすか? 俺にはそんなこと全然……」


 岡君はそこではたと動きを止めた。俺の顔をじっと見つめた後、納得した顔でゆっくりと頷く。


「……ははぁ、なるほど、そういうことっすか。つまり俺と涼太さんはライバルってことっすね」


「は? 何の話だ?」


「俺ね、喜美さんと夫婦食堂を経営するのが夢なんすよ」岡君が声を潜めて言った。

「今はまだ相手にもされてないっすけど、いつか絶対喜美さんに弟子入りして、喜美さんを振り向かせて見せます。俺、狙った獲物は逃さないタチなんで」


 岡君は不敵に笑って親指を立てた。俺は呆気に取られてその顔を見返す。昌平に続いてここにも喜美を狙う奴が一人。あいつ、あぁ見えて意外とモテるんだろうか。


「はぁ……どうぞご勝手に。俺には関係ない話だからな」


 俺はそう言ってお冷を口に運んだが、なぜか喉の渇きは全く癒やされなかった。

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