5ー3
メニューを見て散々悩んだ挙句、昌平は卵焼き定食、俺は天津飯を注文した。注文したのは昌平で、俺は頬杖を突いて壁に視線をやり、喜美と目を合わさないようにした。
「なぁ涼太、お前やっぱ喜美さんと何かあった?」
喜美が厨房に引っ込んだのを見計らって昌平が尋ねてきた。
「……別に何もない」俺は壁を見たままぶすっとして答えた。
「そうか? お前、さっきから意図的に喜美さんのこと無視してるみたいに見えるけど……」
「俺はここに飯食いに来ただけだ。あいつと話に来たわけじゃない」
「ふーん? まぁいいけど……。あ、そうだ。涼太、お前結局、喜美さんとは何もないんだよな?」
「……さっきからずっとそう言ってるだろ。いい加減しつこい」
「まぁ怒るなって。ってことはさ、俺が喜美さんにアプローチしてもいいんだよな?」
「え?」
俺は咄嗟に昌平の方に視線を向けた。てっきり冗談かと思ったが、昌平は真面目な顔をしている。
「いや、俺、最初に会った時から喜美さんのこといいって思ってたんだよな。明るくて可愛いし、食堂やってるってことは料理も美味いんだろ? 彼女にするには最高じゃん!」
「いや、そうだけど……。っていうかお前、年上趣味だったのか?」
「違うけど、喜美さんのことはマジでいいなって思ってさ。お前が狙ってないんだったら、俺、アプローチしちゃおうかな?」
昌平は急にそわそわし出すと、鞄から鏡を取り出して髪型をチェックし始めた。俺は呆気に取られてその様子を見つめる。こいつ、だから今日はこんなにめかし込んでたのか。
「……勝手にすれば。俺には関係ないし」
俺はそっぽを向いて言ったが、なぜか胸の内では落ち着かない気持ちでいた。
それから二十分ほどして、卵焼き定食と天津飯が同時に運ばれてきた。俺はさも関心なさそうな顔をして料理を見たが、天津飯を見た瞬間におや、と思った。餡の色が前に見た赤色から透明に変わっていたからだ。
「これ、もしかしてあのフードフェスの?」俺は思わず喜美に尋ねていた。
「そう! あのコックさんが作ってた塩餡を真似してみたの!」喜美が頷いた。
「本田さんにも食べてもらったんだけど、これがドンピシャで! 『俺の嫁が作ってた天津飯はこれだ!』って言って、お皿洗わなくてもいいくらい綺麗に食べちゃったんだよ!」
「へぇ、そりゃすごいな。本場の味を見事に再現したってわけだ」
「うん! 本田さんにも満足してもらえたし、他のお客さんにも好評で! それもみんな涼ちゃんのおかげだよ! ありがとね、涼ちゃん!」
喜美が満面の笑みを俺に向けてくる。俺は気まずくなって天津飯に視線を落とした。
「じゃ、後はごゆっくり! 追加の注文あったら呼んでね!」
喜美はそう言って厨房へと駆けて行く。俺はどう反応していいかわからないまま蓮華をいじくり回していた。
「うわー、メニューで見るより一段と美味そうだな」昌平が感嘆の息を漏らした。
「俺の母さんも昔よく卵焼き作ってくれたけど、こんなに綺麗な色してなかったもんな。やっぱプロは違うよなぁ」
「見た目だけじゃなくて味も違うぞ。甘くてふわふわしてケーキみたいだった」俺は無意識のうちに言っていた。
「へぇ。お前ここの卵焼き食ったことあるんだ。何かんだ言って通い詰めてんじゃん」
「いや、俺は……」
自ら墓穴を掘ったことに気づいて俺は黙り込んだ。気まずさを振り払うように天津飯に蓮華を入れる。湯気の立つ天津飯にふうふうと息をかけ、たっぷりの餡を絡めて一口で頬張る。
その瞬間、フードフェスで体験した味が口の中で再現された。半熟の卵の内側から卵がとろりと溶け出し、餡と絡み合って優しい舌触りを生み出している。具材の椎茸や蟹から染み出した出汁の旨味が葱の風味と混ざり合い、濃厚な味わいが口の中いっぱいに広がっていく。塩ベースの味つけはあっさりとしているが、それがかえって卵本来の旨味を引き出し、ご飯を何杯でもおかわりしたくなる。
「あのシェフが作ったのとほとんど同じ味だ。あいつ、ここまで再現しやがったのか……」俺は感じ入ったように呟いた。
「ん、どうかした?」昌平が口をもぐもぐさせながら尋ねた。
「いや、あいつがフードフェスに行ったのって、元々天津飯を研究するためだったんだよ。常連さんのために本場の味を極めたいって言ってさ」
「へぇ。で、それで見事に極めったってわけか。やっぱすげぇな喜美さんって! この卵焼きもめちゃくちゃ美味いし、これはマジでアプローチしねぇとな……」
昌平は興奮気味に言って夢中で卵焼きを搔っ込んでいる。俺は返事をせずに無言で天津飯を咀嚼した。
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