5ー2

 それからきっかり1時間後、俺はたまご食堂の前で昌平と落ち合った。熱さと気の重さで早くもげんなりしている俺とは対照的に、昌平は妙に浮足立った様子だ。服装もいつもよりめかし込んでいて、この暑いのに長袖のジャケットを着て、いつもは寝癖がついたままの髪を今日はきっちりと梳かしている。結婚相手の両親に挨拶に行く男かよ。


「よう、涼太! 来ないかと思ったぜ!」昌平が元気よく言った。


「俺もできれば来たくなかったよ」俺は無表情で言った。「っていうか何だよその格好? 飯食うだけなのに何でそんな気合い入ってんだよ」


「何たってお前の彼女に会うんだからな。ちゃんとした格好しとかないとって思って!」


「いや、気合い入れるとこ間違ってるだろ。そもそもあいつは俺の彼女じゃな……」


「よし、じゃ、早速入ろうぜ! 今なら客も少なそうだし!」


 昌平はジャケットの襟を正すと、勢いよく店の引き戸を開けた。俺は大袈裟にため息をついた。何で俺の周りは人の話を聞かない奴ばっかりなんだ。




 夏休みにもかかわらず、店には相変わらず一人の客もいない。店の奥にあるテレビにはドラマの再放送が映っている。そういえば昼に来るのは初めてだったな、と俺は考えた。


「あ、いらっしゃーい!」


 奥から喜美の大声が聞こえ、すぐにぱたぱたと足音を立てて本人が現れる。俺は咄嗟に昌平の後ろに隠れた。


「いらっしゃい! 1名様……じゃなくて2名様かな? あれ、あなた、どこかで会ったことあるような……?」


 喜美が首を傾げて昌平の顔を見る。昌平は大きく頷いて言った。


「はじめまして、俺、井川昌平って言います! 涼太の友達なんですけど、この前フードフェス行った時に会いましたよね?」


「フードフェス……。あぁ、あれ!」喜美がぱちんと両手を鳴らした。

「そうそう。あたしあの時、涼ちゃんに友達いるって知ってびっくりしたんだよね。ほら、涼ちゃんっていつもカッコつけてて、『俺は一人でも平気なんだぜ』みたいなオーラ出してるから、てっきり友達いないのかと思って」


「……人を中二病みたいに言うな。友達くらい普通にいる」


 俺は思わずぼそりと突っ込みを入れた。昌平が俺の前から身体をどかす。あ、と気づいた時にはこちらを見つめる喜美と目が合っていた。


「何だ涼ちゃん、そこにいたの? 来てたなら声くらいかけてよ」喜美が膨れっ面をして言った。


「……別に好きで来たわけじゃない」俺はむっつりとして答えた。「昌平がどうしてもこの店来たいって言うからついてきてやっただけで、用が済んだらとっとと帰るからな」


「もう、涼ちゃんは相変わらずだねぇ。昌平君ごめんね? 涼ちゃんっていつもこんな感じだから付き合うの大変でしょ?」


「いや、普段はそうでもないですけど……。っていうか涼太、何でお前そんな突っ張ってんだ?」昌平が不思議そうに俺を見た。

「お前、彼女の前でデレるんじゃなくて、逆に粋がりたくなるタイプなの?」


「……違う。っていうか何度も言うけど、こいつは俺の彼女じゃな……」


「あ、もしかして誤解させちゃってる?」喜美がはたと何かに気づいた顔をした。

「あー、なるほど。そういうことかぁ。だから涼ちゃんしばらく店に来なかったんだねぇ」


 喜美は一人で納得して頷いている。昌平がきょとんとした顔で喜美を見返した。


「あのね、昌平君。あたしと涼ちゃんは付き合ってるわけじゃないんだよ」喜美が真面目な顔で言った。


「え、そうなんですか!?」昌平が目を丸くした。「だって一緒にフードフェス行って、手まで繋いで……」


「フードフェス誘ったのはたまたま涼ちゃんがその場にいたからで、手繋いだのは……何て言うか、成り行き? ま、あれ見たら誤解させちゃっても無理ないよね」


「じゃあ、喜美さんと涼太は本当にただの店長と客の関係ってことですか?」


「うん。だってあたしと涼ちゃんって歳8つも違うんだよ? 涼ちゃんからしたらあたしなんてオバサンだし、そもそも恋愛対象にならないでしょ」


 喜美があっけらかんと言った。オバサンどころか未成年にしか見えないのだが。


「なーんだ、俺はてっきり喜美さんが涼太の彼女だとばっかり……。おい涼太、何でちゃんと説明してくれなかったんだよ!?」昌平が憤慨したように言った。


「いや説明しただろ。お前が端から聞く気なかっただけだ」俺は素早く突っ込んだ。


「あれ、そうだっけ?」


 昌平は腕組みをして頭を捻っている。こいつ本気で忘れてるんだろうか。だとしたら相当おめでたい奴だ。


「……うーん、まぁいいや。何にしても、これで彼女いないのが俺だけじゃないってわかって安心したぜ!」昌平が意気揚々として頷いた。

「あー、誤解だってわかったら急に腹減ってきたな。喜美さん、メニューもらっていいですか?」


「うん! すぐ持ってくるから、好きな席に座って待ってて!」


 喜美は元気よく頷いて店の奥へ駆けていく。昌平は目に見えて機嫌が良くなり、口笛を吹きながらテーブル席へと向かった。一人取り残された俺は、唐突に展開した事態を前にまだ理解が追いつかずにいた。


(……まぁでも、とりあえず誤解が解けてよかったな)


 まさか喜美の口から俺達の関係を否定されるとは思わなかった。これならわざわざ店に来る必要もなかった。このままUターンして帰ってしまおうとかとも思ったが、俺も気疲れと安堵で腹が減っていたので、食事を済ませてから帰ろうと思い直す。


 昌平は店の一番奥にあるテーブル席を確保していた。俺もそちらに向かおうとしたが、そこであることを思い出して立ち止まった。


(……でも、あいつが俺のことを何とも思ってないんだったら、あの告白は何だったんだ?)


 さっき入口で話した時、喜美は至っていつも通りだった。普通、告白した相手に会ったら、もっと恥じらったり緊張したりするものだと思うが、喜美にはそのどちらも見られなかった。となれば、やっぱりあれはただの冗談だったんだろうか。


 店の奥に視線をやる。喜美はちょうどラックからメニューを取り出したところで、俺と目が合うとにっこり笑いかけてきた。その能天気な笑顔が無性に腹立たしくて、俺はすぐに視線を外すと、大股でテーブルに向かって昌平の向かいに腰かけた。昌平がお冷をコップに注いで渡してくれたので、苛立ちをぶつけるようにコップを握り締める。


(……ったく、人騒がせな奴だな。散々人に気ぃ揉ませたくせに何もないとか、タチ悪すぎるだろ……)


 俺はコップを豪快に煽り、中身を飲み干してから乱暴にテーブルに打ちつけた。

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