4ー8
喜美に連れられて俺が辿り着いたのは、会場の端の方にあるブースだった。中心部に比べると客足は疎らで、店員も暇そうに見える。
「あ、あった! ほら涼ちゃん、あそこ見て!」
喜美が前方を指差して叫んだ。俺が視線をやると、『本場の味・特製
「あのー、すみません!」
喜美はコックに声をかけた。コックはしばらくぼーっとしていたが、喜美に気づくとぱっと顔を明るくして振り返った。
「いらっしゃい! 本場の味、何でもそろってるヨ! 何がいいネ?
コックが片言の日本語で言った。どうらや中国人らしい。
「天津飯2つお願いします!」喜美が2本指を立てた。
「天津飯? そんなめぬーはないヨ……。あ、お客さんが言うの、もしかして芙蓉蟹のことネ?」
「そう! 芙蓉蟹のことです!」喜美が勢いよく頷いた。「できたら作り方の説明もしてほしいんですけど、できますか?」
「うーん。作り方、ホントはしーくれっと。でも、お客さん可愛いから特別教える。出血さーびすネ!」
「やったぁ! 涼ちゃん聞いた? 実演調理してくれるって!」
喜美が顔を輝かせて両手を打ち鳴らした。こいつ、つくづく得な見た目してるよな。
「でも、どういうことなんだ?」俺は喜美に尋ねた。「天津飯って中国語で芙蓉蟹っていうのか?」
「うーん、ちょっと違うんだけど……あ、調理始まるよ!」
喜美に言われ、俺は店の方に視線を戻した。中国人コックが立ち上がり、テントの奥にある調理台に材料を並べたところだった。
「では、さっそく芙蓉蟹を作るネ!」コックが笑顔で言った。「材料は卵4つ、シイタケ、ネギ、蟹を用意するネ! まず卵割る。ここ日本だから黄身も使う。でも本場じゃ白身しか使わないネ!」
「え、黄身使わないんですか?」俺はいきなり面食らって尋ねた。
「お客さん、芙蓉蟹の意味知ってるアルか?」
「いや、知らないですけど」
「芙蓉は、中国語で白い蓮の花という意味ネ! 花が白いから黄身は使わないネ!」
つまり芙蓉蟹は、白い蓮の花をイメージした料理ということか。意外な由来を知り、俺は感心した顔で頷く。
「卵割ったら混ぜて、シイタケ、ネギ、蟹を入れるネ! 火早く通すために、全部細く切っておくヨ!」
コックはボウルに割り入れた卵を菜箸で混ぜ合わせると、すでに細切りにしてある椎茸、葱、蟹をその中に投入した。そのままで卵と具材を混ぜ合わせる。
「あたしもお店だと蟹の缶詰を使うんだけど、家庭だとカニカマで十分だと思うよ」喜美が補足した。「カニカマの方がカロリー低いし、何より安いからね」
「まぁ、蟹は高いからな……。カニカマでいけるならそっちの方がいいな」
俺は頷いた。といっても、自炊する気なんて毛頭ないのだが。
「具材混ぜたら軽く味つけするネ! 塩と胡椒入れて混ぜるヨ!」
コックが言い、ボウルに調味料を入れていった。塩と胡椒をそれぞれ少々。
「ここで下味をつけておくと、卵の旨味を引き出せるんだ」喜美が言った。「お店によっては餡だけで味するとこもあるけど、あたしも基本下味をつけてるよ」
「ふぅん……。細かいとこで工夫してんだな」
俺は感心して言った。その間にコックはボウルを持ってコンロの前に移動していた。しゃがんで火をつけ、油を中華鍋に投入する。
「味つけしたら次は焼くヨ! 鍋温めて、油多めに入れるネ!」
「そうそう、この『油多め』っていうのが大事なんだよ」喜美が訳知り顔で頷いた。「卵はよく油を吸うから、たくさん入れておかないとすぐに焦げちゃうんだ。卵4つだと大さじ2くらいは必要かな」
「でも、そんなに油使ったらべちゃくちゃするんじゃないか?」
「普通の炒め物だったらそうだけど、卵の場合は意外と気にならないよ。油多い方が火も早く通って、半熟でふわふわに仕上がるしね!」
そういうものなのか。卵料理は油多め、と俺は心の中でメモしたが、すぐに使い道のない知識だということを思い出した。
「鍋温まったら卵入れて、外から混ぜるネ! 色ついたらひっくり返すヨ!」
コックは中華鍋に卵液を一気に投入すると、外側から内側に向かって円を描くように混ぜた。焼き色を確認し、中華鍋を器用に動かして卵をひっくり返す。
「もし、ひっくり返すのが難しい場合はお皿を使うといいよ」喜美が言った。「鍋の上にお皿を被せてひっくり返して、それから鍋に移せば簡単にいくから」
「……あのさ、さっきからいちいち解説挟んでるけど、俺別に自分で作る気ないぞ」
「そうなの? でも簡単だよ? シイタケとネギ切るのが嫌だったら卵とカニカマだけでもいいし」
「でもこれからまだ餡作るんだろ。調味料混ぜるのとか面倒くせぇよ」
「大丈夫だって! 芙蓉蟹は天津飯より味つけシンプルだから!」
だからその2つはどう違うんだよ。調理のコツより先にそれを説明してくれよ。
「卵ひっくり返して、色ついたら皿移すネ! これ、日本語で何て言う? みつめ色?」
「あ、きつね色ですね!」喜美が嬉しそうに言った。
「そう! いつね色! 両面いつね色になったら完成ネ!」
コックが表情を綻ばせて言った。結局間違ってるんだが。
「卵焼けたら皿に移す。後は鍋で餡作るネ!」
コックは平たい皿の上に芙蓉蟹を乗せた。それを見て俺は思わず尋ねた。
「あれ? 卵ってご飯の上に乗せるんじゃないのか?」
「ご飯?」コックがきょとんとした。「ご飯なんかないネ。芙蓉蟹ご飯使わない」
「どういうことだ? 天津飯なのにご飯がないって……」
俺は不可解そうに尋ねた。すると横から不吉な笑い声がした。
「ふっふっふ……。涼ちゃんもようやくこの謎に気づいたようだね」
俺は訝しげに隣を見た。喜美が腰に手を当て、不敵な笑みを浮かべて俺を見上げている。また面倒なことになってきた。
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