4ー4

「……やっぱりここは、店の外に出て勉強しなきゃダメだね。ねぇ涼ちゃん、今週の日曜ヒマ?」


 急に話題を振られ、俺はオムライスを口に運んでいた手を止めた。胸の中にある警報が黄色信号になる。


「……暇じゃない」俺は喜美と目を合わさずに言った。


「嘘! 大学生なんて年中ヒマでしょ!」喜美が腰に手を当てて怒った。


「普段はそうだけど、今はテスト前なんだ。お前もLINEで言ってただろ」


「ちぇっ、何だ。ヒマなら一緒にフードフェス行こうと思ったのにさ」


「フードフェス?」


「そう! これ!」


 喜美はそう言うと、エプロンのポケットから折り畳んだチラシを取り出して俺に渡した。広げて見ると、『第3回 野外中華フェスティバル』という文字が目に飛び込んできた。


「それ、日本全国にある中華料理の名店が集結して、本場の味を楽しめるっていうイベントなんだ!」喜美が言った。「前から気になってたんだけど、行くなら店閉めなきゃいけないからどうしようか迷ってて。でもここなら本場の天津飯の味が学べるかもしれないし、行くっきゃないよね!?」


「はぁ……どうぞご勝手に」


「だーかーら! あたしは涼ちゃんと一緒に行きたいの! 1人でお店回ったってつまんないでしょ!?」


「いや、お前なら十分楽しめると思うけど」中国人と談笑する喜美の姿を想像する。


「かもしれないけど、女の子が1人で参加するのも恥ずかしいじゃん。ここは男らしく一肌脱いでやろう! って気にならない?」


「ならない」俺は即答した。「第一テストがあるって言ってるだろ。俺普段勉強してないから、やらないとヤバいんだよ」


「ふーん? オムライス食べに来る暇はあるのに、あたしに付き合う暇はないんだ? ふーん?」


 喜美が明らかに拗ねた顔で言ったが、俺は無視した。誰に何と言われようが、店の外でまでこいつに付き合う義理はない。


「……あーあ、涼ちゃんがそんなに薄情な人なんて思わなかったよ」喜美が悲しげに首を振った。「あたしよりテスト勉強の方が大事だなんて……」


「いや当たり前だろ。こっちは単位かかってんだよ」


「こんなにお願いしてるのに聞いてもらえないなんて……。喜美ちゃん、泣いちゃう!」


 喜美は芝居がかった調子で言うと、両手に顔を埋めてうっうと泣き声を上げ始めた。怒ったり悲しんだり忙しい奴だ。俺はいい加減面倒になり、さっさとオムライスを片づけようと正面に向き直ろうとした。


「……お前さん、喜美ちゃんを泣かせたな?」


 急に凄みのある声がして、俺はびくりとして肩を上げた。小刻みに震えながら顔を上げると、本田さんが顎を引き、ヤクザのように恐ろしい形相で俺を睨みつけている。


「さっきから黙って見てりゃあ何だ! テストだの単位だの小せぇことにこだわりやがって! てめぇそれでも男か!?」本田さんが怒鳴った。


「……いや、小さくないですって」俺は小声で言い返した。「こっちは卒業かかってんですから……」


「やかましい!」


 本田さんがバンっとカウンターを叩き、その音と気迫に俺は仰け反った。


「いいか、涼太。お前も男ならな。女の子を泣かすような真似だけはしちゃいけねぇ」本田さんが俺に人差し指を突きつけて説いた。「男ってのはな、生まれてから死ぬまで、女を幸せにする役目を背負ってんだよ。勉強するのも、仕事をするのも、全部は好きな女を幸せにするため。それがわからねぇようじゃあ、お前は男とは言えねぇな」


「……はぁ」


 それ、いつの時代の価値観だよと思ったが、当然口には出さなかった。


「……つまり本田さんは、俺にこいつとフードフェスに行けと?」


「おうよ。単位なんて後からいくらでも取り返せるが、女は一度逃がしたら二度と戻らねぇ。わかったらいつまでも泣き言言ってねぇで、腹括るこったな」


 本田さんはそう言うと、爪楊枝で口の掃除をし始めた。話は終わったように思えるが、ここで俺が渋ったら、また怒髪冠を衝く勢いで説教を垂れ流すのだろう。


 喜美の方に視線をやると、両手を顎の辺りで組み、うるうるとした目で俺を上目遣いに見つめている。こいつ、絶対確信犯だ。


 俺はこれ見よがしにため息をつくと、「……何時から?」と喜美に尋ねた。

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