第4話 男は黙って天津飯

4ー1

 7月中旬。梅雨が明け、連日うだるような熱気がアスファルトを焦がす中、俺、笠原涼太かさはらりょうたは大学の図書館で試験勉強をしていた。


 どこの大学でも大抵は7月下旬に学期末の試験が行われるため、普段は空席の目立つ図書館もこの時期は人でいっぱいだ。授業をすっぽかしてバイトやコンパに精を出していた学生達は、試験範囲の膨大さを目の当たりにして日頃のつけを痛感する。


 俺も状況は似たようなものだ。公然と授業をサボったわけではないが、科目の内容には大して関心がなく、出席点を稼ぐためだけに出席することが大変だった。だから今、試験前になって慌てて付け焼き刃の知識をせっせと取り入れているわけだ。


 俺が気のない顔でテキストに線を引いていると、スマホの着信音が鳴った。LINEの新着通知だ。画面をタップして相手を確認するが、途端に俺は顔をしかめた。それが喜美きみからのLINEだったからだ。


『やっほー、涼ちゃん! テスト勉強は順調?』


 俺は思わず舌打ちしたくなった。こいつ、何で俺が試験前なこと知ってんだよ。念のために周囲を確認するが、もちろん喜美の姿はない。


 1ヶ月前に無理やり連絡先を交換させられてから、喜美からはちょくちょくLINEが来ていた。内容は実に取るに足らないもので、

『今日、占いで1位だったよ! ラッキーカラーは黄色と白だって!』とか、

『今日、お客さんに可愛いって褒められちゃった!』とか、日記に書けよと思うことをいちいち報告してくるのだ。俺は一度も返事をしていないが、それでも喜美は性懲りもなくLINEを送り続けてくる。そのバイタリティーは見上げたものだと思うが、送られる側からしたら迷惑千万でしかない。


(はぁ……。何であいつ俺に構ってくんのかな。客なら他にいくらでもいるってのに……)


 大原さん親子の一件以来、俺はたまご食堂には行っていない。時折料理の味を思い出し、無性に卵焼きや出汁巻きが食いたくなることはあるが、そのたびにぐっと堪えてコンビニ飯で胃袋を納得させた。これ以上あいつと関わって、俺の領域を侵食されたくない。


 俺はスマホを置いて試験勉強を再開しようとした。が、一度気力が削がれてしまうとどうにも集中できない。しかも間の悪いことに今勉強しているのは語学で、テキストには登場人物がベーコンエッグとタマゴサラダを食っている場面が描かれている。何かの嫌がらせかよ。


 俺はため息をつくと、目障りな語学のテキストを閉じ、別の科目の勉強をしようと鞄を漁り始めた。そこへ再びLINEの通知音が鳴り、俺は舌打ちをして顔を上げた。無視しようかと思ったが、もしかしたら他の奴からの通知かもしれないので、念のためにLINEを立ち上げる。が、送ってきたのは結局喜美で、俺はうんざりした顔でため息をついた。未読スルーしようと電源ボタンに手をかけるが、そこではたと動きを止めた。画面に表示されたメッセージの1行目が目に入ったからだ。


『☆新着メニューのお知らせ☆ その名も、【きのこたっぷりクリーミーオムライス】!』


 俺は硬直したように動けなくなった。10秒ほど静止した後、おもむろに新着メッセージをタップする。トーク画面に切り替わったところで、喜美のアップしたオムライスの写真が目に入った。とろりとしたホワイトソースは見るからに濃厚そうで、俺は口の中に溜まった唾をごくりと呑み込んだ。


 30秒ほど写真を見つめた後、俺はスマホの電源を落とした。語学のテキストを鞄にしまい、そのまま席から立ち上がる。勉強は少しも進んでいなかったが、このまま続けても内容が頭に入ってこないだろう。腹ごしらえし、脳に栄養を行き渡らせてから再開した方がよっぽど能率的だ。


 俺は自分にそう言い聞かせると、逸る心を抑えて図書館の入口へと向かった。

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