3ー10

「お前って大した奴だよな」


 大原さん親子が帰ってから、俺はカウンターの拭き掃除をしている喜美に向かって声をかけた。


「お、涼ちゃんってば、今頃あたしの魅力に気づいたの!?」


 喜美が布巾を置いて得意げにポーズを取って見せた。別にそういう意味で言ったわけではないのだが。


「出汁巻きで仲違いしてた親子を和解させるなんて、最初は寝ぼけたこと言ってると思ったけど、本当に仲直りさせちまった。よくあんな作戦を思いついたよな?」


「作戦っていうか、あたしはただきっかけを作っただけだよ。殻の中に隠された本心を出すきっかけをね」


「殻、ねぇ……。確か前もそんなこと言ってたな」


「あぁ、山本さんのこと? あの時は人の可能性の話だったけど、今回は心の話だったね。

 人ってどうしても、目に見える言葉とか表情で相手のことを判断しちゃうけど、それがその人の本心を表してるとは限らないんだよね。本当に伝えたい気持ちは自分の内側、つまり殻の中にあるんだけど、意地とか誤解とか、いろんな理由があって表に出てこないことも多い。

 だからあたしは、そういう気持ちをちょっとでも表に出せるように、殻を割るきっかけを作ろうと思ったんだ!」


「はぁ……なんていうか、つくづくお節介な奴だな」


 俺はお冷を飲みながらため息をついた。料理を提供するだけでは飽き足らず、客の抱える問題にまで踏み込むなんて、本当に変な店だ。これ以上来店を続けていたら、いずれ俺の問題にまで突っ込まれかねない。今後はもう来ない方がいいだろう。


「でもさ、涼ちゃんって実のところ、かなりうちの店気に入ってるよね」


 喜美が出し抜けに言った。俺は訝しげに喜美の方を見やる。


「毎回次は来ないって言ってる割に、1ヶ月に1回は必ず来てるし。今月なんかもう2回目だよ。胃袋掴まれちゃった証拠じゃない?」


「……今日はお前が呼んだんだろ。それに、好きで来てるわけじゃなくて、たまたま他に行く店がなかっただけで……」


「はいはい、言い訳しないの。言ったでしょ? 殻を割って本心を出すのが大事だって。素直に認めちゃいなよ。美味しい料理と可愛い店長さんの虜になっちゃいましたって」


「やかましい」


 俺ははねつけるように言うと、伝票を手に立ち上がった。料理はともかく、こんなうっとうしい奴のために店に通っていると思われるのは心外だ。


「ま、これに懲りずにまた来てよ」喜美がレジを打ちながら言った。「新しいメニューできたら、携帯に連絡して教えたげるからさ」


「……いらん。っていうか、用は済んだんだから連絡先消しとけよ」


「えー、やだよー。せっかく交換したんだし、いろいろ喋りたいじゃん!」


「俺はもうお前にもこの店にも関わるつもりないから。絶対連絡してくるなよ」


 俺はすげなく言うと、お釣りを財布に入れて店の入口へと向かった。引き戸を開け、空を見上げる。雨はもう上がっているようだ。

 ふと、俺は食堂から帰る大原さん親子の姿を思い出した。ピンクと黒の傘が2つ並び、雨の中を歩いて帰って行く姿。2週間前の騒動が嘘のように、その足取りはゆったりと落ち着いたものだった。


(……出汁巻きが結んだ親子の絆、か)


 そんな恥ずかしいワードが頭に浮かび、俺は慌てて首を振った。ちらりと店内に視線をやるが、喜美はカウンターの拭き掃除に戻っている。気づかれていないとわかり、俺は安堵の息をつく。


(……俺もだいぶあいつに影響受けてるな。本当にこれっきりにしないと、ますます恥ずかしいことになるな)


 俺はそう自分を諫めると、水たまりのできた道路を歩いて行った。

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