3ー7

「お前、また何か企んでるだろ」


 大原さんが帰宅し、ようやく会計を済ませながら俺は喜美を問い詰めた。


「企んでるなんて人聞きが悪いなー」喜美がむくれた顔をした。「ちょっとあの親子の仲を取り持とうとしてるだけだよ?」


「それが企んでるって言ってるんだよ。で、今度はどんな手を使う気だ?」


 俺はお釣りをしまいながら尋ねた。喜美は人差し指をぴっと立てて言った。


「涼ちゃんも話聞いててわかったでしょ? あの親子のキーワードは『出汁巻き』なんだよ。茜ちゃんはお母さんが作った出汁巻きが大好きだから、ここでも迷わずに出汁巻きを頼んだ。で、大原さんも、奥さんの味を再現するために頑張って出汁巻きを作ってた……。そこに和解のポイントがあると思うんだ!」


「だから茜ちゃんに出汁巻き定食食わせて、グレる前のことを思い出させるって? そんな簡単にいくかなぁ」俺は懐疑的に言った。


「まぁ、上手くいくかはわからないけどさ。成功したらちょっと感動的だと思わない?」


「まぁ……な」俺は渋々認めた。


「だよね! というわけで涼ちゃん、連絡先教えてくれる?」


 俺は危うくずっこけそうになった。何が「というわけで」なんだ。


「おい待て。今の流れでどうして、俺がお前に連絡先教える話になるんだよ」


「だって涼ちゃんも見たいでしょ? 親子の感動的な和解シーン。大原さん達が来たらすぐ教えたげるからさ!」


「……いや、別にそこまで興味ない。第一、俺がタイミングよく携帯見るかわからないし、見たところで来れる距離にいるとは限らないだろ」


「大丈夫だって。あたしと涼ちゃんは以心伝心なんだから。ベストなタイミングで連絡するから安心して!」


 だからその謎の自信はどこから来るんだよ。

 その後も俺と喜美の押し問答は続いたが、結局俺が折れることになった。渋々スマホを取り出し、喜美の連絡先を登録させられる。


「よし、これからはいつでも連絡できるね!」喜美がぱちんと両手を合わせた。「ただ待ってるのも退屈だろうから、毎日何かしら送ってあげるね! 『喜美ちゃんの愉快な一日』みたいな感じで」


「いらん」


 俺が一蹴し、喜美が「ちぇー」と唇と尖らす。このやり取りも見慣れたものになってきてしまった。


「ま、とにかく楽しみに待っててよ」喜美が気を取り直すように言った。「あたしも、とっておきの出汁巻き作れるように練習しとくからさ」


「勝手にしろよ。俺には関係ないからな」


 俺は素っ気なく言うと、レジに背を向けて入口へと向かった。この店に来ると面倒なことになるとわかった以上、たとえ喜美から連絡があったとしても無視するつもりでいた。




 それから2週間、喜美から特に連絡はなかった。


 店を出た時は関わるまい、と決意していたものの、結局大原さん親子のことが気になり、俺はいつ連絡が来るか気にしていた。ズボンの尻ポケットにスマホを常備し、新着通知が来るたびにチェックして、関係ない連絡だとわかると軽く落胆することを繰り返した(一度バイト中にそれをして、店長に10分くらい小言を言われた)。

 でも、それも最初の1週間くらいのことで、そのうちに通知をチェックするのも面倒になって、スマホを常備するのを止めた。繰り返しの毎日を過ごすうちに大原さん親子のことも忘れ、俺は喜美やたまご食堂に侵食されない、平和な日常を過ごしていたのだった。

 そんな平和な日常が崩れたのが2週間後のことだった。

 その連絡を受けたのは、折しもバイト終わりのことだった。いつものように店長からねちっこく文句を言われ、今度こそ辞めてやると思いながらもどうせ辞めないんだろうと半ば諦め、鬱屈とした気分を振り払うために好きな音楽でも聴こうとスマホを取り出したその時、ちょうど喜美からLINEの通知が来たのだ。


『涼ちゃん、大原さんと茜ちゃんが来たよ! 今すぐ店に来て!』


 俺はとっさに舌打ちしたくなった。まるで図ったようなタイミング。あいつ、マジで何か持ってるんじゃないだろうか。


 道端で立ち尽くす俺の脇を、傘を差した人達が足早に通り過ぎていく。雨がビニール傘を叩く音を聞きながら、俺はたまご食堂に行くべきかどうか逡巡した。


 正直なところ気乗りはしない。すでにバイトで疲れているし、雨の中を歩いていくのも面倒くさい。行ったところで、またあの親子の騒動に巻き込まれるだけだという予感もある。だから俺は回れ右をして、食堂とは反対側にある自宅の方へ歩き出そうとした。


 でも――そこではたと俺は立ち止まった。1ヶ月前の山本さんのことを思い出す。奥さんとの間に距離を感じていた山本さんは、喜美の料理をきっかけとして奥さんの大切さを思い出した。あれと同じような奇跡が今回も起こらないとは限らない。他の人には無理でも、喜美ならあるいは、という期待がどこかにあった。


(……まぁ、中途半端に放置するのも気持ち悪ぃしな。でも、今度こそ絶対に最後にするんだからな)


 俺は自分に言い聞かせると、再び回れ右をし、渋々たまご食堂へと向かった。

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