3ー5
それから5分ほどして喜美は戻ってきた。俺が頼んだ卵焼き定食とそっくりな定食を女の子の前に置く。
「はい! おまちどおさま! 『お袋の味・出汁巻き定食』です!」
「へぇ……結構おいしそうじゃん」
女の子が感心した顔で定食を眺めた。突っ張った表情が少し和らいだように見える。
「何たって『お袋の味』だからね。一口食べれば、お母さんの出汁巻きを思い出しちゃうかも?」
喜美が得意げに言ったが、女の子はそこでなぜか表情を曇らせた。無言で箸を持ち、味噌汁に手を伸ばす。俺はぼんやりとその様子を見つめていたが、そこでようやく自分の用事を思い出した。
「なぁ、早く会計してくれよ」
「あれ、涼ちゃんまだいたの?」女の子を見つめていた喜美が振り返った。
「まだいたのって……金払ってないのに帰れねぇだろ。俺が呼んでもお前全然気づかないし、しょうがないから出汁巻きできるまで待ってたんだよ」
「そうなの? ごめんごめん」喜美が拝むように頭を下げた。「涼ちゃんうちに馴染み過ぎて、お客さんって感じがしないんだよね」
「……お前が勝手に親しみ感じてるだけだろ。俺はこの店のことなんか何とも……」
俺がそう言った時だった。突然、店の引き戸が勢いよく開かれ、そこにいた全員が驚いて振り返った。ずんぐりとした身体に、薄手のパーカを羽織った中年男性が入口に立っている。男性は店を素早く見回り、女の子の姿を見つけるとかっと目を吊り上げた。
「
「げっ! 親父!」
女の子が箸を取り落とした。慌てて椅子から立ち上がり、鞄を引っ提げて猛然と入口へ走っていく。男性が女の子を捕まえようとしたが、女の子はするりとそれを交わし、傘もささずに道路へ飛び出して行ってしまった。
「こら! 待たんか! 茜!」
男性は急いで女の子の後を追った。開かれたままになった引き戸から、ざぁざぁと振る雨の音が聞こえてくる。
「……今の、何だったんだ?」俺はぽかんとして呟いた。
「わかんない。親子みたいだったけど、仲良しってわけじゃなさそうだね」
喜美が言った。そこへ再びどかどかと足音が聞こえてきたかと思うと、先ほどの男性が店に戻ってきた。雨に打たれたせいかずぶ濡れになっている。
「あぁ、お騒がせしてすみませんな。人様のお店やいうのに、ついかっとなってしまって……」
男性が恥ずかしそうに頭を掻いた。口調からして関西の出身なのだろうか。
「構いませんよ。それより、いったい何があったんですか?」喜美が尋ねた。
「いや、それが……。あの馬鹿娘は私の娘で、名前は茜言うんですが、夜遊びがひどくて困っとるんですわ。あ、私は大原と言います」
大原さんは大きな身体を丸めて頭を下げた。つられて俺と喜美もお辞儀をする。
「で、茜の携帯の位置情報を辿ってきたらこの店に着きましてな」大原さんが言った。「見つけたまではよかったんですが、あいつは逃げ足だけは早いもんで……まんまと逃げられてしまいましたわ」
大原さんが大きな肩を窄めた。どうやらかなり手を焼かされているようだ。
「あの、よかったら、中で詳しくお話を聞かせてもらえませんか?」喜美が提案した。「大原さんもこのままだと風邪ひいちゃいますし、タオルか何かお貸ししますから」
「いやいや、そこまでしてもらうのは申し訳ないですわ」大原さんが首を振った。「茜が注文した料理の代金だけ払わせてもらいます。それですぐ帰りますから……」
「その料理なんですけど、よかったら食べていってもらえませんか?」喜美がにっこり笑って言った。「茜ちゃん、結局お味噌汁しか飲まずに帰っちゃったんで。このまま廃棄したら食材が可哀そうです」
「はぁ……そちらさんがいいなら構いませんが、ちなみに何の料理を?」
「出汁巻き定食です」
喜美の言葉を聞き、大原さんがぴたりと動きを止めた。視線を落として「出汁巻き……」と呟く。
俺は訝りながらその様子を見つめた。迷わず出汁巻きを注文した茜ちゃんと言い、この親子、出汁巻きに何か曰くでもあるのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます