第3話 だし巻きは親子の絆

3ー1

 20時過ぎ。コンビニの店内には、仕事帰りのサラリーマンやOLが多く詰めかけている。俺、アルバイトの笠原涼太かさはらりょうたは、レジに立ちながらその様子を眺めていた。


 客のお目当ては、大体がその日の夕食となる総菜だ。残されたおにぎりやら総菜を手に取って眺め、どれにしようかと頭を悩ませている。俺からすれば、コンビニの総菜なんてどれも似たようなものだからさっさと決めてくれと思うのだが、その日最後の飯を選ぶ客の立場としては、少しでも満足できる品物を選びたいのだろうか。


 俺がそんなことを考えていると、幕の内弁当を持ったサラリーマンがレジにやってきた。俺は慌てて「いらっしゃいませ」と言うと、マニュアル通りに接客を始めた。弁当のバーコードを読み取り、商品の温めがいるかどうか、レジ袋がいるかどうかを確認する。客がレジ袋を所望したので、プラスの金額を打ち込んで清算を促す。レジに金額を打ち込み、お釣りとレシートを渡し、軽く頭を下げて客を見送る。


「ありがとうございましたー」


 入口を潜る客の背中に向かって俺は声をかける。コンビニのレジの流れは大体こんなもので、お釣りの渡し間違いにさえ気をつければ大した仕事ではない。客が店員に求めているのは早さだけで、多少愛想がなくても文句をつける客はほとんどない。笑顔を取り繕うのが苦手な俺としては、飲食店よりはコンビニのバイトの方に適性があると考えていた。


 その時、バックヤードから中年の男性――店長が現れた。俺はとっさに「お疲れ様です」と頭を下げたが、店長は返事をせずにつかつかと俺の方に歩いてきた。


「笠原君。今の接客見てたけど、あれはないよね?」店長が詰問口調で言った。


「え、何か悪いとこありました? いつも通りだったと思うんですけど」


 俺は当惑しながら聞き返した。店長は髪が薄くなった額に手を当てると、これ見よがしにため息をついた。


「いつも通り、ねぇ……。まぁ、君からしたらあれでいいのかもしれないけど、コンビニだってサービス業なんだから、もうちょっと気を遣ってほしいんだよねぇ」


「はぁ……具体的には?」


「例えばレジ袋。君はさっき、袋に商品を入れてそのまま渡してたけど、両方の持ち手を巻き合わせてから渡す方が親切だよ」


「あ、そういえば……」


「それとお釣りの渡し方。片手じゃなくて、両手でお客さんの手を包むように渡さないと」


「はぁ。でも、手握られるの嫌だって人もいると思いますけど……」


「口答えしない」店長がぴしゃりと言った。「後は愛想だね。君はどうも覇気がなさすぎる。声は小さいし、笑顔も張りつけたみたいに不自然だ。これからは出勤前に、発声と笑顔の練習もしてもらわないとね」


「……」


「とにかく、君ももうこの店で働いて半年になるだろう? それだけ勤めてれば十分ベテランだ。新しい人の見本になるような働きをしてもらわないとね」


 店長は言いたいことだけ言ってしまうと、早足でバックヤードに戻って行った。店長がいなくなったのを確認し、俺はうんざりした顔でため息をつく。


 店長の言葉自体は、どれも正しいのかもしれない。でも俺からすれば、たかがバイトにそこまで高いレベルを求められても困るという気持ちがある。給料がよければまだ我慢できるが、この店は最低賃金ギリギリで、おまけに店長がああして細かく注文をつけてくるから、新しく入ったバイトもすぐに辞めてしまう。ギリギリの人員で回している状態なのに、それ以上のパフォーマンスを求めるのはお門違いとしか思えない。


(はぁ……俺も辞めようかな。コンビニのバイトだったら他にいくらでもあるだろうし……)


 そう考えたのは今回が初めてではない。実際、働き始めて1週間も経つ頃には退職を考えていた。だが、どうせ他のバイト先も同じようなものだろうと思い、行動を起こさないまま半年が過ぎてしまった。このまま行けば、卒業までズルズル続けることになるだろう。


 その時、ふと1ヶ月前の出来事が頭に蘇ってきた。『たまご食堂』に行って、サラリーマンの男性と会って、そこで店長の喜美きみから言われた言葉。


『もし、涼ちゃんが今何か不満を感じてることがあって、でもそれを変えられないんだとしたら、それは殻を割るのを怖がってるだけかもしれない。

 殻を割るのは確かに勇気がいるけど、だからって殻の中に閉じこもったままでいると、自分の可能性を狭めるだけってことを知ってほしい。もし、勇気を出して殻を割れば、今とは違う自分と出会えるかもしれないしね』


 あの言葉を聞いた瞬間、俺は妙にもやもやした気持ちになった。まるで今の自分の状況を言い当てられたかのような気まずさがあり、単なる軽口として片づけることができなかった。俺もあいつの言う通り、殻を割るのを怖れているのだろうか?


 俺はしばらく考えこんでいたが、すぐに首を振って考えを打ち消した。バカバカしい。たかがバイトで、殻を割るも何もない。食堂以外で喜美のことを思い出すなんて、あいつに侵食されている証拠だ。今日はすぐ帰って、さっさと寝て忘れることにしよう。


 だが、そんな思いとは裏腹に、喜美の作ったオムライスの味が思い出され、条件反射のように腹の虫がぐう、と鳴った。慌てて腹に手をやり、店内を見回す。近くに客はいない。俺はほっと息をついた。


(……しょうがねぇな。でも今日は食ったら絶対すぐ帰るんだからな)


 俺はそう決意すると、レジに来たOLに向かって接客を開始した。

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