第2話 卵焼きに愛をこめて
2ー1
俺がたまご食堂に行ってから早1ヶ月が経った。
季節は巡り、暦は5月を迎えていた。上着なしでも過ごせる暖かい日も多くなり、新緑に彩られた大学キャンパス内を、学生達が賑やかなお喋りをしながら通り過ぎていく。
そんな中で俺、
「あれ、涼太?」
不意に頭上から聞き覚えのある声が飛び込んできて、俺は顔を上げた。同じ学部の友人、
「よう、昌平。今から飯か?」
「そうなんだよ。昼休みサークルの打ち合わせで潰れちまってさ。涼太は勉強?」
「うん、明日語学のテストだから」
「へぇ、大変だな。あ、俺もしかして俺邪魔してる?」
「いや、いいよ。ちょうど休憩しようと思ってたとこだったし。よかったらそこ座れよ」俺は自分の前にある椅子を指差した。
「マジで?助かる。じゃ、俺飯買ってくるから、鞄見ててくれるか?」
「オッケー」
昌平が鞄を椅子に置き、財布だけ持って厨房の方へと向かう。俺は教科書やノートを片付け始めた。
5分ほど経ったところで昌平が戻ってきた。トレーにはきつねうどんが乗せられている。
「やー、この時間だと駄目だね。何も残ってねぇや」昌平がトレーをテーブルに置きながら言った。
「そんなもんで足りるのか?」
俺はきつねうどんを見ながら尋ねた。これでは大して腹の足しにはならないだろう。
「いや、絶対足りない。後からコンビニで何か買ってくるわ。ホントは親子丼が食べたかったんだけどなー」
昌平がぼやきながら椅子に座った。親子丼、という単語を聞き、ちらりとあの食堂の光景が頭を掠めたが、すぐにその映像を追い出した。
「そういえば、最近バイトはどんな感じなんだ?」
俺は尋ねた。きつねうどんにふうふう息をかけていた昌平が、麺を啜りながら顔を上げる。
「相変わらず忙しいよ。店長に人増やしてくれって言ってんのに全然聞いてくんなくてさ。俺、今月こそ本気で辞めてやろうと思ってるんだ」
昌平が言った。以前喜美に話した『牛丼屋のワンオペバイト』とは、他でもないこいつのことだ。
「それ先月も聞いたけど、結局辞められてないじゃん」
俺は指摘した。昌平が麺を喉に詰まらせてげほげほと咳き込み、水で流し込む。
「……まぁ、何だかんだ言っても1年以上続けてるからな。他のバイト探すのが面倒って気持ちも正直ある」昌平が認めた。
「でも飲食だったらどこも似たようなもんじゃないのか?わざわざ条件悪いとこで続ける必要ある?」
「ないけど、ほら、慣れたこと変えるのってエネルギーいるじゃん? 今のバイトだったら色々わかってるし、多少条件悪くても続けてた方が楽なんだよな」
その気持ちは俺にもわかった。かくいう俺も、今のコンビニでのバイトをもう半年は続けている。時給は最低賃金ギリギリで、勝手にシフトを入れられることも多く、決して条件のいい職場ではないのだが、慣れた仕事を変わるのも面倒なので惰性で続けている。
「まぁ確かに、環境変えるのは面倒くさいよな」俺は頷いた。「バイトなんてどこも似たようなもんだから、変わっても一緒だろって気もするし。」
「だろ? でも時々思うんだよな。俺は本当にこのままでいいのかってさ」
昌平が急に真面目な顔になった。俺は不思議そうに昌平の顔を見返す。
「他のバイトに変わったら、もっと仕事楽しくなって、人間関係もよくなるかもしれないのに、最初から何も変わらないって決めつけるのはどうなのかってさ」
昌平が麺を咀嚼しながら腕組みをした。変わりたい気持ちはあるが、その一歩を踏み出す勇気が持てずにいる。その気持ちは俺にもわかる気がした。
「……ま、そんなこと言いながら、結局今の店でずるずる続ける気がするけどな」昌平が苦笑しながら言った。「他によっぽどいい店でもあれば別だけど」
「いい店って、どんな?」
「今みたいに何でもかんでもバイトにやらせない店。店長が従業員のこと気遣って、大事にしてくれる店がいいな。後は……美味いまかないがあって、可愛い従業員の女の子でもいれば最高だけど」
「注文が多いな。そんな都合のいい店……」
俺は呆れて息をつこうとしたが、そこではたと動きを止めた。美味いまかない。可愛い従業員の女の子。
「お、その顔は、もしかして心当たりある?」
昌平が身を乗り出してきた。俺は少し考えてから顔を上げると、きっぱりとした口調で「ない」と言った。
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