1ー2
オーナー兼コック。
その響きを理解するのに少し時間がかかった。テレビから聞こえてくる漫才番組の笑い声が、会話の途切れた食堂内に響く。
「えーと……つまり、この店は君が経営してるってこと?」俺は当惑しながら尋ねた。
「そう! もうオープンしてかれこれ3年になるかな。見ての通り小さな店だけど、常連さんもいるし、何とかやっていけてるんだ!」
白井喜美と名乗った女の子――いや、女性と言った方がいいのだろうか――がにっこり笑って言った。道理でため口だったわけだ。
俺は首を横に振ると、次の疑問の解明にかかった。
「ところで、君いくつ? 店持ってるってことは未成年じゃないよね?」
「当たり前じゃん。君、あたしをいくつだと思ってたわけ?」
喜美が気分を害したように腰に手を当てた。大学生か、下手したら高校生――と馬鹿正直に答えると殴られそうだったので、適当にごまかすことにした。
「いや、君ってほら、かなり若く見えるから、俺と同じくらいかと思って」
「まぁ、あたしは常連さんの間でもつるぴかのたまご肌だって評判だからねぇ。勘違いされちゃうのも無理はないかぁ」
喜美がまんざらでもなさそうに両の頬に手を当てた。もっとも、俺は彼女の肌の張りではなく、背丈や髪形、それに一連の言動からそう判断しただけなのだが。
「でも残念ながら、あたしは君よりずっとお姉さんなんだよ。何たって今年で28歳になるんだからね!」
「に、にじゅうはち!?」
思わず大きな声が飛び出した。それじゃアラサーじゃないか……。アラサーどころか成人に見えるかも怪しいのだが。
「28ってことは、俺より8つも年上になるのか……。敬語使った方がいいのかな?」
「あぁいいよもう、これだけ散々喋った後で敬われたって嬉しくないし」
喜美がしっしと手を払った。別に敬うとは言っていないのだが。
「で、君の名前は?」喜美が尋ねてきた。「女性に名前を聞くときは、まず自分から名乗るものだって学校で習わなかった?」
習っていない。というか、あんたが勝手に名乗ったんじゃないか。色々と反論したいことはあったが、余計に面倒くさくなりそうだったので止めた。
「俺は
「相生大学っていうとこの近くだね! 近所に下宿してるの?」
「あぁ。バイト帰りにはよく飯食ってから帰ってる。でも、こんな食堂があるのは今日初めて知ったけどな」
「うちの店は知る人ぞ知るって感じだからねぇ。でも涼ちゃんはラッキーだよ。何たってこの『たまご食堂特製・ふわとろオムライス』が食べられるんだからね!」
「何回も言うな恥ずかしい! っていうか、気安く『涼ちゃん』とか呼ぶな馴れ馴れしい!」
俺は思わず声を荒げていた。テレビからタイミングよく笑い声があり、自分がバカにされているようでますます腹立たしい。
「うちはお客さんを大事にする主義だから、親愛の情を込めて名前で呼ぶことにしてるんだ」喜美が悪びれもせずに言った。「あ、あたしのことは『喜美ちゃん』って呼んでね!」
「……誰が呼ぶか」
俺は大きくため息をついた。どうやら面倒な店に入り込んでしまったようだ。喜美は俺の気も知らず、ふんふんと鼻歌を歌いながら厨房へと戻っていく。いっそこのまま食わずに帰ってやろうかと思ったが、無駄話をしていたせいですでに時刻は9時半を回っている。今から他の店を探してもまず開いていないだろう。俺は諦めてオムライスを待つことにした。
スマホでも出そうかと足元に置いた鞄を弄っていると、正面からしゃっという音がしたので俺は顔を上げた。カウンターと厨房を仕切っていたカーテンが舞台幕のように開かれ、厨房から喜美が顔を覗かせている。
「何? 追加注文ならしないけど?」俺がいかにも面倒くさそうに言った。
「違うよ! うちの店はね、調理の様子をお客さんに見てもらうことにしてるんだ! 席でじーっと待ってるよりも、作ってるとこ見てた方が食べる前から楽しめるじゃない?」
確かに、目の前で調理や盛り付けをされると不思議と食欲がそそられる。ホテルの朝食バイキングでシェフが実演調理したプレーンオムレツは、並んででも食べたいと思ったものだ。
「まぁ……別にいいけど。でも見られてると落ち着かないんじゃないの?」
「全然? これもお客さんとのコミュニケーションの一環だからね!」
喜美が溌溂と言った。こいつに緊張感とかプレッシャーはないんだろうな……。俺は遠い目をしながら、ともかく喜美の『実演調理』を見守ることにした。
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