ようこそたまご食堂へ

瑞樹(小原瑞樹)

1年目 路地裏の食堂

第1話 出会いはオムライス

1ー1

 俺がその食堂の存在を知ったのは、ほんの偶然だった。


 コンビニでの21時までのアルバイトを終え、どこかで飯を食って帰ろうと思いながら、俺は1人で大通りをぶらついていた。黄色い街灯に照らされた大通りはこの時間も車や人の行き来が多い。居酒屋の前ではサラリーマン達が二次会へ向かうかどうかの相談をしたり、コンパ帰りらしい大学生の集団が道に広がって騒いだりしている。


 俺はそんな奴らを尻目に、目についた通りの門を曲がって路地へと入った。途端に喧騒がぴたりと止み、道路を慌ただしく行き交う自動車の音も聞こえなくなる。


 大通りにあるチェーン店だと安心感はあるが、たびたび同じ店に行っているとどうしても飽きが来る。だから時々こうして路地に入って穴場を探す。ただ、路地には店自体が少ないため、20分くらい探し回った挙げ句、見つけた店はすでに営業時間が終了、なんてことはザラにある。ただその日は幸運に恵まれ、5分くらい歩いたところでその看板を見つけることができた。


『たまご食堂』


 街灯の少ない路地に浮かぶ、オレンジ色の光を放つ看板。入り口である木造の引き戸の上には、同じ『たまご食堂』という名を冠した黄色いのれんが掛けられている。俺はその看板とのれんを代わる代わる見つめた。


 たまご食堂。名前からして卵料理専門店なのだろうか。『食堂』という名前からして定食屋のようだが、メニューは和食のみだろうか。入り口の付近を探してみたが、お品書きも食品サンプルもない。俺は迷ったが、物は試しでその店に入ってみることにした。


 引き戸をガラガラと開いて店内に入る。外観よりも店内はこじんまりとしていて、丸椅子が6つ並べられたカウンターと、木製のテーブル席が4つ並んでいるだけの本当に狭い店だ。壁にはメニューと値段が墨で書かれた表札型の板が並び、店の一番奥では小型テレビがお笑い番組を流している。昔ながらの食堂といった雰囲気で、割烹着を来た年配の女性が切り盛りしていそうだ。


「あ、いらっしゃーい!」


 俺が店内を見回していると、カウンターの向かいにある厨房から元気のよい声がし、次いでパタパタという足音が聞こえた。タオルで手を拭きながら現れたのは、割烹着を着た中年女性――ではなく、若い女性だった。150センチにも届かなそうな小柄な身長と、ソバージュの長い髪を二つ結びにした髪型からすれば、『女の子』と呼んだ方が正しいかもしれない。卵を意識しているのか、黄色いTシャツの上に白いエプロンをつけている。アルバイトの子だろうか。


「いらっしゃい! 1名様ね! 煙草は吸う? カウンターとテーブル席はどっちがいい?」女の子がはきはきと尋ねてきた。


「あ、えーと……煙草は吸わない。席はカウンターでいいかな」


「りょうかーい! 1名様入りまーす!」


 女の子が厨房に向かって声をかけた。中に店長でもいるのだろうか。カーテンで仕切られているので外からはわからない。


「はい! お冷どうぞ! ボトルは席に置いとくから、おかわりはセルフサービスね! 後これ、お品書きね! あたし厨房で洗い物してるから、決まったら声かけてね!」


「は……はぁ、どうも」


 俺が丸椅子に座るや否や、女の子が矢継ぎ早に指示を出した。お冷と黒表紙のメニューを置き、あっという間に厨房の奥に引っ込んでいく。随分と元気のいい子だな……。というか、客に向かってため口って店長に怒られないんだろうか。俺は半ば面食らいながらメニューを開いた。


 メニューはやはり卵料理ばかりだったが、予想に反し和食以外のラインナップもあった。和食では定番の出汁巻きや卵焼き、茶碗蒸しや親子丼に加えて、オムレツやオムライスなどの洋食、天津飯やかに玉などの中華、おまけに目玉焼きや卵かけご飯まである。一面に並んだ黄色い料理の写真がどれも食欲をそそり、腹の虫がぐう、と鳴る。


「よし……決めた。あの、すいませーん!」


 俺は厨房に向かって声をかけた。がちゃがちゃと皿を洗う音が止み、蛇口をきゅっと締める音がして、さっきの女の子がまたタオルで手を拭きながらいそいそと現れる。


「あ、早かったね! それで何にするの?」


「オムライスを一つ。あ、デミグラスじゃなくてケチャップの方で」


「『たまご食堂特製・ふわとろオムライス』ね! りょうかい! すぐ作るからね!」


 女の子が律儀に正式な料理名を読み上げてくれた。『ふわとろ』なんてわざわざ付けなくていいのに。俺は店内に他の客がいないことを感謝した。


「あの、ところでさ、一つ気になったんだけど……」俺は切り出した。


「何?」


「今、『すぐ作る』って言ってたけど、もしかして君が作るの?」


「そうだよ?」


 女の子が当然のように頷いた。つまりこの女の子は、ホールだけではなくキッチンも担当しているわけか。道理で慌ただしく皿洗いをしていたわけだ。しかし、仮にも『食堂』を名乗る店が、バイトの子に調理を任せるのはどうなのだろう。


「ふうん、大変だね。俺の友達にも飲食店でバイトしてる子いるけど、そいつもワンオペで、トイレにも行けないしキツイって聞くよ」


 俺は大学の友人の顔を思い浮かべながら言った。そいつは牛丼屋のチェーン店で働いているのだが、最初は3人で回していたのが人員削減の煽りを受け、今は調理から接客まで1人で担当しているそうだ。一刻も早く辞めたいのに、人が集まらないので辞められないと会うたびに泣き言を言っている。


「確かに1人だと色々大変だけどね。でもまぁ、見ての通り小さい店だし、何より自分の店だから、そんなにキツイとは思わないけどね?」


 女の子があっけらかんと言った。俺はふうん、と相槌を打ったが、そこで女の子の発言の違和感に気づいた。お冷に伸ばした手を止め、まじまじと女の子の顔を見つめる。


「どうしたの? あたしの顔に卵の殻でも付いてる?」女の子が首を傾げた。


「いや、そうじゃなくて……。今、『自分の店』って言った?」


「そうだよ?」


 女の子がまた当然のように頷いた。俺はだんだん頭が混乱してきた。女の子は目をぱちくりさせて俺を見つめていたが、はたと何かに気づいた表情になった。


「あ……そういえば、言ってなかったっけ?」


「何を?」


 俺は疲れた声で聞き返した。女の子はすぐには答えず、エプロンの紐をきゅっきゅと締め直し、それから急に真面目な顔になって言った。


「このたまご食堂はあたしがオープンしたお店なの。あたしはオーナー兼コックの白井喜美しらいきみ。どうぞお見知りおきを!」

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