第三部 異世界・現代世界編。

第98話 私はただの社会人オタクです!


「課長との面談お疲れ様でした先輩」

「からかわないでよね。木戸くん」


 隣のデスクでニヤニヤ笑っている後輩を注意して自分の席に着く。

 電車の中で寝過ごして大遅刻をした私こと黒崎乃亜は職場に来て早々に課長に呼び出されて怒られてしまった。

 社会人としての自覚が〜というお決まりのフレーズから普段の私の態度が気に入らないとか関係ない話題まで引っ張り出しての長時間お説教コースで、仕事してないのに疲れてしまった。


「でも、乃亜ちゃんが遅刻なんて本当に珍しいね」


 イスに座ってぐったりしていた私の前にコーヒーが入ったカップが置かれた。


「ありがとう絵里」


 同期からの気遣いに心が安らぐ。


「少し休憩していいよ。乃亜ちゃんの分の仕事は木戸くんがやっておくから」

「ちょ、俺かよ!? 絵里ひどいって!」

「わたし達のために色々引き受けてくれているのは乃亜でしょ? これは恋人からのお願いです」

「ずるいってそれは……」


 私と同じ課の絵里と木戸くんは婚約をしている。

 この二人は私と仲が良くて、彼女達が付き合うきっかけは私がセッティングしてあげた。

 結婚を機に退社することになっている絵里から仕事の引き継ぎをしている期間での遅刻だった。

 元々、私一人だけだと全部引き継ぐとパンクしそうだったし、ここは婚約者の木戸くんに頑張ってもらおうかな。


「ずるくありませーん。乃亜が寝過ごしちゃったのは普段から頑張り過ぎだからだよ。木戸くんは乃亜に甘え過ぎ」

「それは先輩が面倒見がよくてつい……反省します」


 婚約者に注意されて肩を落とす木戸くん。

 私は絵里が用意してくれたコーヒーを飲むが、飲み慣れているはずのコーヒーなのに物足りなさを感じてしまった。


「どうしたの乃亜?」

「いや、このコーヒーってこんな味だったっけ?」

「いつものインスタントだよ。駅前の激安スーパーで売ってある謎の豆のやつ」


 首を傾げる私に絵里が説明してくれる。


「乃亜が言ってたじゃん。コーヒーなんて胃に入ればどれも同じだから激安にしようって。わたしは紅茶派だからいい茶葉使ってるけど」

「激マズコーヒーって目が覚めるからって先輩が俺によく用意してくれたっけ。罰ゲームかと思いましたけどね」


 そういえばそうだった気がする。

 あまり趣味以外にお金を使いたくなくて私がいつも買ってきてたんだった。

 それなのになんで、こんなに違和感を覚えたのだろう。


「本当に大丈夫? ボーっとしてるけど」

「いつもの先輩ならオタクトーク全開なのに今日はまだ推しの話もしてないからな。早退しときます?」

「いや、何よその判断基準。心配してくれるのはありがたいけど、私は大丈夫よ」


 気を遣ってくれる二人にそう言って私は業務を開始する。

 別に体調は悪くないし、むしろ寝過ごしたおかげで睡眠不足が解消されたくらいだ。

 最初こそ木戸くんのフォローがあってゆっくり作業をしていた私だったけど、課長のミスで取引先からクレームがあったり、絵里から引き継いだ仕事の納期が実は今日までだったことを忘れていたりで普段よりも慌ただしい一日を過ごすことになった。




 ♦︎




「あ〜、疲れた」


 怒涛の一日を終え、昼休みもろくに取れずに終業時刻を迎えた私はタイムカードをタッチして会社を後にする。

 夕食に誘ったけど、木戸くんと絵里は新居に必要な家具や食器を買いに行くそうなので断られてしまった。


「家に帰っても一人か……。ん? 一人暮らしだから当たり前じゃないの?」


 自分で口にしていながら妙な寂しさを感じる。

 急に実家が恋しくなったわけじゃなくて、近くに誰もいないのがなんだか珍しい気がする。

 私が歩いていると誰かしらがいつも隣にいてくれたような、そうじゃないような。


「こんな変な体験を一日に何回もするなんて本当に疲れているわね。癒し成分を補給しないと……」


 駅前のスーパーで値引きシールが貼ってある惣菜を複数買い込んで電車に乗る。

 帰宅ラッシュから少しズレた時間とはいえ、まだまだ人は多かったが、運良く空いている席があるので座った。

 電車で片道数十分もあるのでただ座っているだけだと暇なのでスマホを取り出してニュースを確認した。

 明日の天気や今日起きた事件などを一通り閲覧したら次はソシャゲのログインボーナスを受け取る。ここ最近はまったくログインしていなかったから運営からのお知らせがかなり溜まっていた。


「しまった。アプデの量が多くて通信が重くなっちゃった」


 こうなるとダウンロードが終わるまでスマホで何も出来なくなってしまう。

 読み終わると嵩張ってしまうから本や漫画は持ってきていないし、大人しく待っていようか。


「お兄ちゃんズルい!」

「まだオレの番だろ」


 喧嘩する声が聞こえて顔を上げると同じ車両の中で顔のよく似た双子の兄妹がゲーム機を取り合っていた。

 お母さんらしき人が申し訳なさそうに周囲に頭を下げている。

 本人達には申し訳ないけど、その様子が微笑ましかった。

 一人っ子だった私はよく兄弟が欲しいって親にせがんでいたんだっけ?

 兄や姉もいいと思うけど、どうせなら弟や妹にお姉ちゃんって呼ばれたかったなぁ。


「今は可愛げのない後輩で我慢してあげますか」


 絵里に対しては強がるけど、私には腰を低くして甘えてくる木戸くんを弟ポジに認定してあげる。

 絵里は同期で話も合うし、友達……親友くらいにしておいてあげよう。

 課長は論外でラスボスだね。結局、自分のミスを認めないで後処理をこっちに投げてきたし!

 かーっ。思い出すだけで腹が立ってきた。家に帰ったらビール開けてストレス解消にゲームしてやるんだから。

 忙しい社会人のである私の貴重な楽しみ、それがゲームだ。格闘やアクション、RPGと幅広く楽しんでいる私の家にはゲームソフトとゲーム機がいくつもある。

 今もこうして鞄の中にゲーム機本体が入っているのだ!


「……ゲーム機あるじゃん」


 すっかり忘れていたけど、持ち運びして遊べるようにゲーム機が入っていた。

 スマホのダウンロードも終わっていないし、ちょうどいい暇つぶしにやりかけのゲームでもやろうかな。


「って、夢中になって夜更かしするのがオチね。今日は長めのお風呂に入ってゆっくり寝ますか」


 課長への怒りは消えなかったけど、ゲームをやろうとする気力は削がれたので、私は鞄から取り出しかけたゲーム機を元に戻すのだった。




 ♦︎




「あら。やっと帰って来たわねロン」

「姉上。これを」


 王都にあるブルー公爵邸。

 その地下にある儀式場で準備を終えたクティーラにロナルドは黒く染まった短剣を渡した。


「ちゃんと任務を果たせたようね。しくじったらいつものようにお仕置きしてあげようと思っていたのに」


 残忍な笑みを浮かべる姉の姿を見てロナルドの拳が震える。


「そんな顔しないの。怯える顔も怒る顔もどちらも唆るわ」

「くっ。……お祖父様は何処へ?」


 この話を長引かせない方が自分のためだと悟ったロナルドが話題を切り替える。


「ルージュ邸じゃないかしら。お祖父様とあの家は因縁深いし、やるなら徹底的に潰すつもりですって」

「無益な殺しは自らの首を絞めるだけなのに」


 確か今のルージュ邸にはグレンの母親が居たはずだったが、助かる道はないだろうとロナルドは思った。

 クティーラは祖父の行動に何の興味も示さずに儀式場の中央に立つと黒い短剣を自らの胸に刺した。


「あぁっ、気持ちいいわ。これが世界を滅ぼす厄災の力。やっと、やっと私の元に……」


 恍惚とした表情のクティーラが黒い魔力の渦に飲まれる。

 繭のような魔力は徐々に萎んで女を包む衣服へと変わった。


「ふーん。これが純粋な古き神の力ね」


 能力を制御する眼帯越しに伝わるその膨大な魔力にロナルドは痛みを感じた。

 相手をするのさえ馬鹿馬鹿しいくらいの存在が誕生したのだ。


「ふふふ。さっそく腕試しがしたいわね」


 とても無邪気な笑みでクティーラは腕を振るった。

 ただそれだけで天井に大穴が空いて月の光が差し込んだ。


「ねぇ、ロナルド。他の聖獣使いを潰そうと思うのだけれど、いいかしら?」

「無駄ですよ姉上。彼らはもう始末したので生きていません」

「あら残念ね。じゃあ、お祖父様と合流して反抗戦力を潰してしまいましょうか」


 黒い魔力が形を変えて女の背中から翅を生やすと、その身を空に浮かせた。

 まるで夜蛾のような姿をしているが、その正体は何よりも恐ろしい魔女の化身である。


「……私はどうすれば良かったのだろうな。ノア君」


 たった一人地下室で呟いたロナルドだったが、当然その問いに返事はなく、月だけが生気を無くした彼を見下ろしていた。




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