第88話 いざ、ルージュ邸へ! その5
「まぁ、こんな姉さんだけど根は悪い人じゃないから安心してね」
申し訳なさそうに言うカトレアさん。
しかし、私は処刑されそうになったのでそれは難しいと思いますよ?
ただ、何を考えているのかわからない怖い女帝から怒らせると怖いけど、普段は残念な人くらいには格下げしてもいいかもしれないわね。
「カトレア。これ以上余計なことを言うならさっさと南都に帰れ。使いの件は済んだのだろう」
「そうはいかないわよ姉さん。まだ次の原稿を貰っていないもの。何がなんでも西都に行く前に書き上げてもらわないと困るの」
「原稿ってなんですか?」
口うるさい妹を追い返そうとするルージュ公爵だが、カトレアさんは意地でも帰らないとソファーにしがみつく。
会話の中に気になる言葉があったようでエリンが質問した。
「あぁ。私ね、南都で出版社の編集長をしているの。二足の草鞋を履くのはルージュ家じゃ珍しいことではないんだけどね。姉さんもルージュ家当主とは別に小説家として活動しているのよ」
へー、そうなんだ。
お父様はシュバルツ家当主と魔術局局長の掛け持ちで大変そうにしているけど、それを当然のようにこなせているのは凄いと思う。
「おいカトレア。その話は他言無用だと」
「いいじゃない別に。二人は黒薔薇婦人って知っているかしら?」
「「!?」」
カトレアさんの出した名前に私達は素早く反応した。
その名前は知っているどころではない。
私とエリンが仲良くなるきっかけでもあったし、つい先日も寮の部屋で話題にしていた作者だ。
ま、まさか……。
「あれが姉さんなのよ。ロゼリアって自分の名前とシュバルツ家のカラーである黒色を合わせた学生時代から使ってるペンネーム」
「カトレア! ペンネームの説明は必要ないし、編集が作家の正体をバラすな!」
「いいじゃない。若い子から取材したいって言ってたのは姉さんじゃない。この子達なら今書いてる作品のテーマ的にも合っているし、お願いすれば言いふらしたりしないわよ」
顔を赤くして怒るルージュ公爵こと黒薔薇婦人と、全く悪びれる様子もなく編集としてアドバイスするカトレアさん。
「く、黒薔薇、黒薔薇婦人先生……」
「落ち着きなさいエリン。興奮して震えてるわよ」
私はなんとか冷静を保っているけれど、隣のエリンは推し作家の存在に鼻息を荒くしている。
「あれ? 二人共黒薔薇婦人って知ってた?」
「私もですけど、特にエリンが大ファンなんです。既刊は全部集めてます」
「わたしは特に身分差の男女のラブロマンスが好きなんです! あと、魔術師夫婦シリーズも好きです!」
目を輝かせて立ち上がるエリン。
おおう。こんなに積極的に喋る彼女を見るのは初めてかもしれない。
テーブルの上に身を乗り出してルージュ公爵へ作品の熱い思いを語り出す彼女の姿はオタクのそれだった。
「ふん。中々に見所がある娘だな」
一方のルージュ公爵は褒められて気分が良くなったのか腕を組んで満足気に頷いている。
「ファンレターは貰ったことあるけど、こうして生で感想を聞かせてもらえるなんて初めてだもんね姉さん」
「当たり前だ。五大貴族の当主の一人が恋愛小説家など口外出来るわけないだろう。イメージというものがある」
確かにそれはそうだ。
世間では女帝と呼ばれている人物の正体が人気ラブロマンス作家だなんてバレてしまえば何を言われるかたまったもんじゃない。中には馬鹿にしてくる者もいるだろう。
私も日本にいた頃に自作の漫画を描いていたノートをうっかり落としてクラスメイトに見られた時は心臓が止まるかと思った。
よりによって中身が男性同士の濃い絡みをテーマにしていたものだから言いふらされたら人生が詰むと感じたのよね。
幸いにもノートを見たのが同じ趣味の子だったから後で仲良くなれたけど。
「貴様達。くれぐれも口外してくれるでないぞ」
「「はい!」」
私とエリンは元気よく頷いた。
ここで身バレして執筆活動に影響が出てしまったら続きが読めないからね。
「そうだ。黒薔薇婦人先生の新刊ってここ数年出ていませんけど、どうしてなんですか?」
「妾は忙しいのだ。まぁ、それでも時間を作っては物語を綴っていたが、最近は魔獣の被害への対応やそれに伴う経済活動の萎縮の対策に追われていてな」
なるほど。
兼業作家とはいえ、大切なのは人の命がかかっているルージュ家当主としての仕事だ。
そちらが忙しいとなれば必然的に作家業は後回しにされてしまう。
新刊を楽しみにする読者としての気持ちもあるけれど、理由を聞いてしまえば軽々しくは口に出来ないわね。
「姉さんは今回の大侵攻で直接現地に向かうからその前に原稿を受け取りたいんだけどね」
「これが最後かもしれんからな。妾としてもそうしたいのは山々だが」
「最後って何です? 小説家止めてしまうんですか?」
「妾にはそのつもりは無いが、大侵攻による戦いで無事に帰れる保証はあるまい。五大貴族の一員として民のためにこの命を捧げる覚悟をせねばならない」
アルビオンにおける貴族の役割とは魔力を持たない、戦い力を持たない民を守るための盾になることだ。
それは五大貴族といえど例外ではない。むしろ、指揮をする立場だからこそ敗北や撤退は許されない。
ルージュ公爵の言葉からは確かな決意を感じた。
私の知らないお父様のことを知っていて、私が好きな小説の作者で、同じ貴族としても尊敬が出来る人。
ファーストコンタクトやグレンから聞いていた話が無かったらもの凄くお近づきになりたかったのに……。
いや、今からでも遅くないのかな?
「ノアさま!」
「え、あっ、はい。私?」
突如、考え事をしていた私の名前を呼ぶエリン。
さっきと同じように鼻息が荒くて興奮しているけど大丈夫!?
「わたし達の力を合わせて必ず大侵攻を乗り越えましょう! そして新刊を絶対に手に入れます。約束ですよ」
「貴方ねぇ……まぁ、私も黒薔薇婦人の久しぶりの新刊となればやる気が出るからね。約束するわ」
「というわけなので、最後なんて言わないでくださいね!」
握り拳を作ってルージュ公爵とカトレアさんに決意表明をするエリン。
俗物的なな話かもしれないけれど、こうして困難を乗り越えた先にご褒美が待っているとなればやってやろう! という気になるのが人間だ。
エリンやみんなと笑い合える幸せな未来。そこには私達の共通の話題になる本がなくっちゃね。
「あははは。これは次巻の打ち合わせもしないといけないわね姉さん」
「ふぅ。これだから考えが浅くて甘い小娘は困る。作家としてそんな風に宣言されてしまっては筆を折るわけにもいかないさね。妾が無事に生き残れたら次の原稿を一番最初に貴様達に読ませてやろうか」
「えっ、本当ですか!?」
やったー! 推し作家の原稿が真っ先に読める!
他のファンの皆様には申し訳ないけど、これは頑張る予定の私達へのご褒美だと思って納得してもらいたい。
当初予定していたエリンが聖女と同じ資質があるかの確認と、お父様についての情報収集を終えたルージュ公爵はすっかり休憩モードに入った。
カトレアさんがいい感じに場を和ませたり盛り上げてくれるおかげでエリンの緊張も解けて私達はそのままお茶会を開くことになった。
「堅苦しい態度はこちらも疲れるな。ふむ。プライベートな場であればロゼリアと呼んでも構わんぞ」
「そうさせてもらいますねロゼリアさん。ところで学生時代のお父様ってどんな感じだったんですか?」
話をするにつれて距離が近くなり、私はロゼリアさんにお父様の話をせがんだ。
エリンはカトレアさんと話をしていて、気になる人がいないかとか、質問されている。
この場にいる全員がロマンス小説について理解があることも加わり、お茶会の話題は恋バナで盛り上がった。
「なるほど。これが今の若者の恋愛観か。やはり直接聞くのは参考になるな」
「今度うちの出版社で恋愛特集を組んでみようかしら?」
「いいですねそれ。わたし達は結婚された貴族の方のお話が聞けて参考になりました」
「私はちょっと嫌になったわね。五大貴族ともなれば付き合いがかなり面倒そうだわ」
「その時は妾が手伝ってやるとしよう。その代わりにだな……」
「お父様の好みを調べるのは任せてください。執事のキッドも使ってちょちょいと探ってきますわ」
お父様だってお母様に先立たれてからもうかなりの時が経っている。
私としてはいつも仕事人間をしているお父様に少しは遊んでリラックスしてほしいと思っていたのでこれはいい方法が見つかりそうだ。
「それにしても何か気になるのよね……」
「どうかされましたかノアさま?」
「何か忘れている気がするのよ」
「あらノアちゃんもなのね? 私も何かしようと思っていたのにお喋りが楽しくて忘れてしまったわ」
「貴様達、まだ痴呆が来るには早すぎるぞ。……とはいえ、妾も何か違和感を……」
各々がそれぞれ何かを思い出そうとするけど、出てこない。
お茶会が楽しいくらいで忘れちゃうってことは大したことないのだろう。
大侵攻に備えてそろそろ出発準備もしなくてはいけないし、今はもう少しだけこの心安らぐ時間を楽しもう。
♦︎
「くそっ。母上のやつ急に俺にお使いを頼むなんて。何が王都でしか手に入らない菓子だ。こんなもの南都でも売っているではないか!」
俺は菓子の入った箱を手にして街中を急ぐ。
きっと今頃エリン達は伯母上を前にして怯えているに違いない。
何事もなければいいが……心配だから早く帰ろう。
「いざとなれば伯母上と戦ってでもあいつらを守らねば」
なお、帰宅した俺が見たのは伯母上から土産を渡されて笑顔でルージュ邸を後にするノア・シュバルツと母上に耳元で何かを言われたのか顔を赤くするエリンだった。
……解せぬ。
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