第84話 いざ、ルージュ邸へ! その1


 翌日の朝。

 身支度を済ませて迎えにやって来た赤塗りの馬車に乗り込んだ私のテンションはお葬式に出席するかのように重かった。

 昨日の里帰りで両親に会えて喜んでいたエリンも今は無言のまま俯いている。


「「「…………」」」


 同じ車内にいる案内人でもあるグレンも口を閉じて窓の外を眺めている。

 時折、こちらに何か声をかけようとする素振りを見せていたけれど、結局は躊躇って諦めてしまった。

 だが、それもそのはずだ。

 私達を乗せた馬車が向かうのは王都の南部、もっとも道幅の広い朱雀大路のすぐ側にある豪邸だ。

 最初に王都を訪れた人間が目にする五大貴族の住居であり、そこに住む人間が自分達とはかけ離れた天上の存在であることを思い知らされる場所だ。

 五大貴族が住む屋敷にはそれぞれ特徴があり、魔術的な意味合いも持っている。

 ルージュ邸はその派手さによって来訪者を威圧させる

 ことを目的に建築されているようで、ただただ圧倒されてしまう。

 そうして怯えた相手を招き入れて交渉をすることで相手に会話の主導権を握らせずにこちら側のペースで取り引きをするのだとか。


「帰っていい?」

「ダメに決まっているだろうが。ここまで来たのなら諦めろ」

「えー。だって、」

「ほら、正門が見えて来たぞ。エリンを見習って大人しくしていろ」


 グレンはそういうが、隣に座っているエリンが微動だに動いていないところを見るに、緊張し過ぎて気絶してないかしら?

 軽く突いてみると、エリンは肩はをビクッと動かしてキョロキョロと周囲を確認しだした。

 うん、やっぱり気絶してたわねこの子。


「着きました」


 ルージュ家の御者がそう言って馬車を停めた。

 馬車の扉が開かれると、目の前にはなんともお金がかかっていそうな屋敷が現れた。


「「「ようこそ。いらっしゃいませ」」」」


 どこから現れたのか、いつから準備していたのか、屋敷の前にはルージュ家の使用人達が列を作って待ち構えていた。

 その洗練された所作とズレなく合わさったはっきりとした声につい驚いてしまう。

 シュバルツ家は死人だらけだから静かで動きに乱れはないけど、ここのは訓練されたプロフェッショナルの技術だ。

 他の五大貴族であるグルーン家やヴァイス家と比べても使用人達のレベルが違うのがわかる。


「ごきげんよう」


 しかし、そこは腐っても五大貴族の一員である私だ。

 渾身の外面を被って挨拶をする。

 あくまでこちらは来客で身分も上なので頭を下げるような真似はしないが、こうやって挨拶を返すことで使用人が相手でも反応をしてくれる親しみやすいお嬢様感を出しておく。

 ついでに笑顔も添えてみると、何人かがそっと顔を逸らした。


「おい、急に猫を被るな。いつもと違って気持ち悪いぞ」

「あら? 何を仰るのかしらグレン様? 私はいつもこのような振る舞いですわよ。おほほほ」


 口元に手を当て高笑いのオプションもつけておく。

 私怖くないよ、だからあんまりプレッシャーかけるのやめてね? のアピールだ。

 この屋敷自体がルージュ公爵の腹の中だとすれば目の前にいる彼らも私にとっては敵になりえる存在だ。

 もしもの場合はエリンを連れてこの屋敷から抜け出さなくちゃいけないからね。

 出発前にキッドから何があっても油断はしないようにと口酸っぱく言われた。

 この屋敷から彼が待機している魔術局までの最短ルートを記したメモを渡されたくらいだ。


「コンニチワ、コンニチワ」

「こっちは壊れた人形のようだな。はぁ……こんな状態で伯母上に会うのか……」


 グレンはカタコトな挨拶を繰り返すエリンを見て腹に手をやった。


「なんで貴方が緊張しているのよ」

「伯母上は俺が尊敬している人であり、次期当主として相応しいかを決める採点係だ。仕事でいえば一番上の上司と同じだな。そんな人相手に緊張しないわけがないだろう」

「でも家族なんでしょう?」

「家族……というのはルージュ家には無縁だな。血の繋がりは勿論だが、それ以上に実績がものを言う。役立たずであれば兄弟、姉妹でも切り捨てる」


 グレンが前に生徒会室で話していた内容を思い出した。

 彼は他にいる親戚を蹴落として次期当主という座についた。それは現当主も同じであり、ルージュ家は代々そうして身内同士でしのぎを削ってきた。

 他の家に対して好戦的なのもそんな体験があるからこそなのだと言っていた。


「覚悟しろノア・シュバルツ。これから貴様が会う人はそんなルージュ家の頂点に立つ存在だ」


 王族が不在のアルビオン王国の中で女帝の異名を持つ人物。

 もしも時代が違えば、五大貴族が協調ではなく権力争いに走っていればこの国の頂点に君臨していたかもしれない人。

 本来のラスボスがいないこの世界で最もおっかない女性は誰かと言われたら彼女がそうなのだろう。

 でも、私は負けはしない。

 例え彼女がどんな考えを持っていようと、どんな手段をとろうとも、必ず生きて帰る。

 このピンチを乗り切るために今日はやって来たんだから!

 並んでいた使用人達の前を通り抜け、いざ屋敷へと乗り込む。


「お邪魔するわ」




 パフっ。




「パフっ?」


 開かれた扉をくぐると、何か柔らかいものに正面から衝突した。


「あらあら。ぶつかってしまってごめんなさいね?」


 私が頭をぶつけたのはとても立派な二つのお山だった。

 知り合いの中ではフレデリカが一番スタイルがいいけど、それを遥かに超えるグラビア女優顔負けの豊満な母性の塊だった。

 というか、私の頭が胸に当たるってことはこの人の身長ってもの凄く高いわね。


「いえ、こちらこそ別のことに気を取られていて不注意でした。気にしないでくださ……い……?」


 顔を上げて私とぶつかった人と目を合わせる。

 私を見下ろしている女性はおっとりとした垂れ目に泣きぼくろのある妖艶な人だった。

 ただ、特徴的な赤い髪に色の濃い口紅はつい最近王城で見かけた人物にそっくりだった。


「は、母上!? どうしてここに!」

「母上?」


 女性の特徴はルージュ公爵に、そしてグレンによく似ていていた。

 この人がグレンのお母さん?


「あらまぁ、グレンじゃない! 久しぶりね? こんなに大きくなっちゃって〜」

「ちょ、母上!?」


 グレンのお母さんは息子を見るなり近づいて熱い抱擁をしだした。

 その立派な胸の中に息子の頭を押しつけている。

 グレンは顔を真っ赤にして抵抗しようとしているが、お母さんの力が強いのか抜け出せない。


「あなたってばちっとも里帰りしないじゃない? お母さん心配で心配で」

「わかったから! 離してくれ母上!!」

「いいえ離しません。会えなくて寂しかった分、グレンパワーを摂取しない」


 ぐりぐりと息子を撫でて愛でるお母さん。

 グレンパワーっていうのは何かのエネルギー源なんですか? って質問したいのを我慢してただ目の前の光景を眺める。

 エリンも急に始まった漫才に驚いているのか固まっている。


「ぜぇ、ぜぇ……」

「うふふ。これで暫くお母さん頑張れるわね」


 数分後、やっとの思いで解放されたグレンはとても疲れ切った顔をしていた。

 対照的にお母さんの方はニコニコと笑顔で肌艶がよくなっている。


「それで、何故母上がここに?」

「大侵攻を防ぐために西都に行くって聞いてね。その前に姉さんに任せていた仕事の報告を聞きに来たの。ついでにグレンに会えると嬉しいなぁと思って」

「仕事の報告? 父上ではなくて母上が?」

「そうよ。前から定期的に王都には来ていたでしょう? 私だってルージュ家の一員として働いているのだから当然よ。本当はお父さんと一緒に久しぶりの王都を見て回って夜景の綺麗なレストランで食事をしたりしてデートしたかったのだけど、こんなご時世だから……悲しいわ」


 ふむふむ。グレンの両親がラブラブなのはわかった。

 なんというかこのお母さん意外な性格ね。

 ルージュ公爵の妹っていうくらいだからもっと怖い人を想像していたわ。


「魔術の使えない父上の代理というわけか。というより母上、来客の目の前で息子に抱きつくなんて真似をしないでくれ」

「えー、だって久しぶりにグレンに会えて嬉しかったんだもん!」

「体をくねくねさせるな! 年を考えろ!」

「あんなに母上〜って甘えてくれたグレンはどこにいったのかしら?」

「昔の話をするな!」


 頬を膨らませているお母さんを叱りつけるグレン。

 うん。やっぱりグレンって不憫属性なところがあるわよね。

 でもそれがいいというか、叩けば伸びる的な。


「まぁまぁ、いいじゃないグレン。私達を気にせずにお母さんに甘えてもいいのよ?」

「おい貴様。そのニヤけた面を今すぐ止めろ」

「だって……グレンが……」

「笑うな!」


 いや、無理だって。

 友達の目の前でお母さんに抱きしめられて怒るとか思春期の男子じゃん! いや、年齢的に間違いじゃないけどさ。


「おいエリン。貴様からも何か言ってやれ」

「初めましてお母さま。わたしはエリンと言います」

「あら? グレンの彼女かしら? 随分と可愛らしいお嬢さんね〜」

「……おい」


 グレンをそっちのけで話し始めたエリン。

 お母さんの方もノリノリで、グレンの顔から表情が消えた。


「なんていうか、ご苦労様ねグレン」

「笑いながら肩に手を置くなノア・シュバルツ」




 覚悟を決めてルージュ邸に乗り込んだ私達を待っていたのはなんとも愉快なグレンのお母さんだった。



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