第80話 奇麗な百合が咲く。


「ふぅ〜。疲れた」


 入浴を済ませ、まだ少し髪が濡れているのもお構いなしに私はベッドへ倒れ込んだ。

 寮内は人が少なくなっているので共用の浴場が貸し切り状態で得をした気分になれたけど、いつも誰かの話し声が聞こえたり、遅くまで魔術の勉強をしていた子の姿も見えなくなってしまって寂しい空気は相変わらずだ。


「頑張って勝たないとなぁ……」


 仰向けになってぼんやりと天井を眺める。

 魔術学校が再開するにはこの国で発生している魔獣災害を鎮圧して安全が確保されないといけない。

 過去の記録だと大侵攻を乗り越えれば魔獣の活動は低下して、またいつも通りの日常が戻ってくる。

 人々が安心して暮らせるように、私と友人達の楽しい青春が送れるように。


「そしたら私は……」


 魔獣による大侵攻のその後、ラスボスであるノアを倒してエタメモはエンディングを迎える。

 けれど、私はエリン達と一緒に大侵攻に立ち向かうのでこれが終われば物語はおしまいだ。

 ハッピーエンドのその先でありきたりで、けれど愛しい日々が待っている。

 全てが丸く収まったら改めて自分の未来を考えよう。バッドエンドへの死亡フラグをいかに回避するかを考えきた人生だから悩みそうだ。


「自分の未来を考えてワクワクするなんていつぶりなのかしら?」


 日本にいた頃は人並みの生活は送っていたし、オタクとしての活動も出来ていた。

 恋愛とか結婚はしなかったし、仕事が忙しくて大変だったけれど、ありふれた普通の人間として過ごせたと思う。

 でも、大人になるにつれてキラメキは見えなくなって同じ退屈な毎日を繰り返すだけになっていった。

 だからこそ二度目の人生は退屈することなく刺激に溢れて……溢れ過ぎていた。

 平凡な人生と波瀾万丈な人生の二つを経験することになるなんて、前世の私はどんな徳を積んだのか。いや、でもラスボスに転生するくらいだから悪行だったのかもしれない。


 ぼんやりとそんなことを考えていると、ガチャリと音がしたので視線をドアへと向けると、見慣れた金髪の頭が見えた。


「おかえりなさいエリン」

「ただいまです。ノアさま」


 五大貴族会議終了後に城から魔術局へと足を運んでいたエリンは疲れた様子で私の隣にあるベッドに身を預けた。


「お疲れみたいね。魔術局に行っていたのよね?」

「はい。ノアさまのお父さんに呼ばれまして、調べたいことがあるので一緒についてきてくれないかと言われたので」

「調べたいことって何だったの?」

「わたしが使っている魔術が既に登録されているものなのかとか、効果の対象や影響について調査したいと言われて……」


 そう言って遠くを見るような目をするエリン。

 これはアレね。魔術局の調査係が全力を出して隅々まで調べられたパターンね。


「最後はわたしの支援魔術を受けた人とそうでない人とが模擬戦をしてとても疲れました。でも、おかげで自分の力の使い方がはっきりしたような気がします」


 魔力をかなり消耗したようで、エリンはベッドから絶対に動くものか! と主張している。

 起き上がった私は隣のベッドに腰を下ろして乱れた彼女の頭を撫でた。


「ご苦労様でした。エリンは本当に頑張ったわね」

「えへへへ……」


 労いの言葉をかけると、エリンは気持ちよさそうに目を細めて笑った。

 ただでさえ五大貴族の前に出るなんていう精神的に疲れるイベントの後に彼女をこき使ったお父様には苦情を入れてあげよう。


「なんだか、こうしてノアさまに優しくされると昔を思い出しますね」

「昔って、私達が出会ってからまだ半年よ?」

「そうでしたね。……でも、不思議と懐かしい気持ちになるんです。ずっと前からこうしていたような、こうしていたかったような……」


 私はこの世界に転生する前からゲームを通してエリンというヒロインのことを知っていたけれど、彼女はそれを知らないはずだけど?


「ノアさま。わたし、明日から実家に戻ろうと思います」

「えっ? もしかして私と一緒にいるのが嫌だったりする!?」

「そんなわけありませんよ。ノアさまとずっと一緒にいたいですけど……パパとママに会いたいなって」


 よかった。私の寝相が悪かったり、いびきがうるさかったりしたからじゃないのね。

 エリンは甘えるように頭を私の膝の上に乗せる。


「大侵攻っていうのがどのくらいの規模なのかわたしにはわかりませんけど、暗き森で遭遇した魔獣よりも数が多いそうなんです。グレンさま達がいるとはいえ、万が一のことを考えると最後にパパとママに会っておきたいって思ったんです。それにお城で言われたわたしの出生についても聞きたくて」


 エリンの頭を撫でながら、彼女の金色の瞳が揺れているのに気付いた。


「万が一だなんて縁起の悪いこと言わないの。普通にホームシックになったから会いに行きたいって言えばいいのよ」

「でも、これが最後かもしれないし」

「私が保証するわよ。エリンがいて、みんながいる。そこに私も加わっているんだから負ける理由が無いわ。女神様に誓ってあげてもいいわよ」


 勝敗は神のみぞ知る。

 でも私はこの世界を作った神が描いた結末を知っている。


「ノアさまがそう言うと、本当に大丈夫そうな気がします」


 私達はお互いの顔を見て笑った。

 エリンは安心したようで強張っていた表情が和らいだように見える。


「今日はもう寝る? 実は帰る途中で本屋さんによったらエリンが欲しがっていた黒薔薇婦人のラブロマンス小説を見つけたんだけど、」

「ノアさまそれどこのお店ですか!? わたし絶対に買いに行きます!!」


 急に勢いよく起き上がって私に詰め寄るエリン。

 鼻息が荒く興奮していて、私は我慢出来ずに少し笑った。


「そんなに必死にならないでよ。エリンにプレゼントしようと思ってちゃんと買って来たわよ」

「えぇ!? お代はいくらですか? 今はお小遣いがあまりないので来月には支払いますから……」

「お金はいらないわよ。今日、貴方に助けてもらったお返しってことにしておきなさい。命を助けてもらったんだから」

「でも、」

「ここで素直に受け取らないと、いつ手に入るかわからないわよ〜? それでもいいのかしら?」

「大人しく受け取ります」

「うむ。よろしい」


 私は自分の机の引き出しの中から紙袋に入った本を取り出してエリンに渡した。

 彼女と仲良くなれたのは同室ってこともあるし、私がお菓子に釣られて餌付けされたのもあるけれど、一番の大きな理由は趣味が合ったことね。

 同じ作品が好きっていうのは世界共通で仲良くなる秘訣だ。

 フレデリカは私が染め上げたけれど、エリンは出会った時からがっつりハマっていた。


「黒薔薇婦人先生の本だ!」

「いいわよねその作者。身分違いの恋に苦しむ男女のラブロマンス……。魔術師の夫婦が難事件に挑むミステリーも書いていたし、教養があって作者自身も魔術師なのかしらね?」

「どうなんでしょうか? 黒薔薇婦人先生は顔出ししませんからね。サイン会があったら是非参加したいんですけど、ここ三年くらいは新刊すら出ていなくて残念です」

「正体不明のカリスマ作家。夢があるわね」

「ノアさま。わたし、絶対に大侵攻を乗り越えて生きて帰って来ます!」

「……新刊のため?」

「……新刊のためですぅ」


 再び私とエリンは顔を見合わせて笑った。

 そして、そこからはエリンと好きな本の話になって、消灯の見回りをしている寮監さんに怒られるまで語り合った。

 大人しく寝ることにしたらエリンがまた私のベッドに入り込んできて、二人で身を寄せ合って眠った。


 その夜は私もエリンも幸せで懐かしい夢をみたのだけど、朝起きると内容をすっかり忘れてしまったのだった。


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