第62話 エリン班の遠征二日目の夜。


「眠れない……」


 暗き森での遠征二日目を終えた夜。

 わたしは一人きりのテントの中でぼーっとしていました。

 男女比が偏ってしまったわたしの班では二人用の小さなテントをわたし一人が使用し、グレンさま、ティガーさま、マックスさまの三人が大きなテントを使っています。

 ロナルド会長は男四人だと狭いだろうからと別のテントで先生方と寝ています。生徒会長として打ち合わせをしたいこともあるからと仰っていました。

 普段は寮の部屋でノアさまと一緒の空間で眠っているのに今は一人きり。

 実家では一人部屋だったというのに隣に誰もいないというだけて心細くなってしまう。


 しかし、眠れない原因はそれだけではありません。

 わたしは自分の手を握ったり開いたりしながら今日の事を思い返す。

 二日目の今日はいよいよ本格的に森に入って魔獣討伐でした。

 一日目は歩くだけて疲れてしまって、途中でマックスさまから疲労回復のポーションを頂いたり、荷物をティガーさまに運んでもらわなければ脱落していました。

 なのでみんなの足手まといにはならないようと気合いを入れて森へ入ったのですが、結果は最低でした。

 下級生の目的は魔獣の観察や討伐されている所の見学でしたが、グレンさまとティガーさまの強い要望もあって戦闘経験を積むことになりました。


『いくぜオラッ!』

『煉獄の炎を受けてみろ!』


 魔術や剣術、格闘術を使って次々に魔獣を魔石へと変えていく二人。

 マックスさまはそんな二人が動きやすいようにサポートをし、ロナルド会長はわたしを守ってくれました。

 この班のメンバーは学校のみならず、アルビオン全土の中でも上位の実力を持つ方々です。

 全員が守護聖獣という伝説の力を使っているのにわたしだけただの平民。

 クラスの人達も嫉妬ではなく憐れむような視線を送っていました。

 わたしは結局、何も出来ずに見ていることしか出来なかったのです。


『やってみようか。エリン君も退屈だろう』

『安心して。僕らが弱らせておくから』


 そんな無力感に包まれていたわたしに気を遣ってくれたのでしょう。

 ロナルド会長とマックスさまが協力して魔獣を捕まえてくれました。

 目の前には全身を拘束されて身動きのとれない魔獣。わたしのやる事はグレンさまから貸していただいた短剣で急所を刺すだけ。

 少しでも経験を積んでみんなに追いつきたかったわたしはそのまま短剣で魔獣を殺した。

 その瞬間に、はっきりと命を奪ったという感触が伝わった。

 拘束されて苦しみながらも生きようとする魔獣が事切れて動かなくなる。一瞬ピクリと体が跳ね上がり、次にダラリと体から力が抜けて物言わぬ状態になった。

 わたしが殺した。命を奪った。壊してしまった。


『おえっ……』


 頭ではこれは当たり前のことで、人間という生き物は常に命を奪って生活しているとわかります。

 魔獣は人を襲う凶悪な生物で、魔術師はそれを討伐することが使命であると授業で教わりました。

 でも、体は言う事を聞いてくれずにわたしは胃の中を吐き出してその場に蹲りました。

 何か取り返しのつかないことをしたという漠然とした恐怖が全身を包み込むのです。


『エリンさん!』

『運ぼう。拠点にいる教師の元へ』


 その後は記憶が曖昧で、気づいたら養護教諭がいるテントの中で寝かされていました。

 別に怪我をしているわけでもないし、テントへは怪我をした人が手当てを受けにくるのでわたしはそのまま自分の班に戻り、こうして夜を迎えています。


「みんなに迷惑をかけてしまいました。明日はしっかり役に立たないと……」


 自分の口に出してやる気を出そうとしますが、手が微かに震えています。

 死ね瞬間の魔獣の表情が脳に焼き付いて離れません。

 こんな調子ではまともに戦えないので、明日は拠点で待たせてもらえるようにしよう。そうすればこれ以上の迷惑はかけません。

 決意したわたしは目を瞑って頑張って眠ろうとしました。

 そんな時に物音がテントの外からしました。


「おいエリン。起きているか」

「グレンさま?」


 閉じられたテントの入り口の外から声がしてわたしを呼んでいた。

 起き上がって顔だけテントから出すと、真っ赤な髪に宝石のような瞳をした美形の男性が立っていた。


「こんな夜中にどうされましたか?」

「どうされたって、今日は俺と貴さまが火の番をするのだろうが。夕方に話をしたぞ」

「ご、ごめんなさい。すぐに準備します!」


 わたしは慌てて用意をしてテントを出た。

 拠点となるこの場所は森の外側にあるけれど、いつ魔獣や野生の動物が現れるか分かりません。なので夜の間も絶えず火をつけておきます。

 複数の班で一つの焚き火を交代で見張るのも遠征の課題であり、今日はわたしとグレンさまが当番でした。


「お待たせしました」

「全く。この俺を待たせるなんていい身分だ」


 罵倒をされながらわたし達は火の番をしていた別の班の人と交代します。

 眠たそうにしている彼らはこれからテントで休みますが、わたし達は次の交代があるまでの数時間を起きて過ごします。


「おい。腹は減っているか」

「へ?」

「腹は減っているかと聞いている。夕食もとらずにテントに戻っただろうが」


 そう言われてみればそうだ。

 昼食は吐き出してしまったし、あれ以降は水を飲んだだけだったのでお腹の中は空っぽです。


「これでも飲んでいろ。少しは腹が膨れる」


 グレンさまから差し出されたカップの中には黄金色のスープが入っていました。


「これは?」

「夕食の残りだ。ティガー・ヴァイスが野鳥を仕留めたからな。その骨から出汁をとった。野草で臭みを消しているから味は問題ない」


 顔に近づけて嗅ぐと、出汁の良い匂いがした。

 わたしはゆっくりとカップ口をつけて飲んだ。


「美味しい」

「当然だ。この俺が作ったのだからな」

「グレンさまがですか?」

「なんだその疑うような顔は。俺以外に誰が作れるというのだ」


 こう言っては悪いことですが、みなさんは五大貴族なんて呼ばれる家の生まれで家事とは無縁だと思っていた。

 料理をするとなると真面目なマックスさまが主導でロナルド会長が手伝ったものだと決めつけていました。


「ロナルド・ブルーは打ち合わせがあると消え、マックス・グルーンは知識こそあれど経験無し、ティガー・ヴァイスは雑だ。アイツは鳥を丸焼きにしてそれだけを食べようとした。食事のバランスというものをまるで考えていない」


 この場にいない寝ている班のメンバーへの不満を口に出すグレンさま。

 そういえば彼は王都で遊んでいる時も、わたしがお菓子を差し入れした時もあれこれと口にしていた。

 食事についてかなりこだわりがある人なのでしょう。


「結局、俺が指示を出して作ったのだ。まぁ、経験は少ないから大したものは作れなかったがな」

「いえ。とても美味しいです。それに、温かい」


 グレンさまが用意してくださったスープが身に染みる。

 でも、夕食の残りだとしたら冷めてしまっているはずだし、焚き火で温める姿は見えなかった。


「火の魔術で液体を沸騰させた。俺の好みに合わせているから少し熱いぞ」

「このくらいが丁度いいです。わざわざ魔術まで使ってもらってありがとうございます」


 五大貴族の後継者が魔術を使って温めたスープ。

 なんて贅沢な魔術の使い方なのだろうとわたしは思った。


「そうだな。もっと俺に感謝して褒め称えろ」

「グレンさまは優しい方ですね。わたしのことを心配してくださるんですから」

「……いつも思うが貴様は素直だな」


 え? もしかしてわたし何か間違えてしまいましたか?


「ノア・シュバルツだったら『アー、ハイハイ』と言うし、ティガー・ヴァイスは『これくらいで偉そうにすんじゃねーよ!』とでも言うがな」


 ノアさまとティガーさまに似ているものまねをしたグレンさま。

 ちょっと面白くて飲んだスープを吹き出しそうになるのをグッと我慢する。


「そういうところは好ましいな。アイツらと一緒に行動してもそこは似るなよ」

「グレンさまはノアさま達をなんだと思っているんですか?」

「俺の敵だな。特にノア・シュバルツには煮湯を飲まされた」


 入学してすぐの決闘を思い出したのか、グレンさまの眉間にしわが寄る。

 だけどわたしは知っている。口にはこうやって出してはいるが、グレンさまはそこまでみなさんを嫌っていない。

 何も知らなかったからこそ敵意を持っていただけで、実際に交流することでそれは薄れていった。

 最初の頃のわたしと同じような流れだ。

 ノアさまの周りには悪い人は誰もいない。


「同じ生徒会のメンバーなんですから仲良くしてくださいね」

「わかっている。だが、俺が生徒会長になった暁にはこき使ってやるからな!」


 つまりそれって、ノアさまを部下として認めて生徒会に誘うって意味ですよね。

 グレンさまはものの言い方こそ誤解を招くけれど、しっかり反省して相手を見極めれる人だ。


「貴様もだエリン。お茶汲みとして使ってやる」

「それは嬉しいお話ですね」

「……調子狂うな……」


 生徒会の仕事は大変だけど、やりがいがあります。

 わたしが差し入れで用意したお菓子は好評で、みんながそれを食べて笑顔で作業しているのを見るのが好きなんです。


「でも、その前にわたしは学校にいられないかもしれません……」

「何故だ?」

「グレンさまも見ましたよね。わたしが魔獣を殺しただけで気絶したところを。今も手に感触が残っていて眠れないんです」


 スープと焚き火おかげで体は温かくなったが、この手で殺したことを思い返すだけで寒さを感じる。


「こんな役立たずのわたしが学校にいていいはずありません。何も出来ないんですわたし」


 結局自分は、ただの平凡な菓子屋の娘なのだ。

 魔術師として当たり前のことさえ出来ない。

 燃え盛る火を前にして、わたしはグレンさまに自分の弱さを曝け出した。











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