第61話 ノア班の遠征二日目。


 拝啓。

 春代の陽気も過ぎ去り、徐々に日差しが熱くなってくる季節になりました。お父様はいかがお過ごしでしょうか? 

 ノアは今、学友達と共に暗き森の中にいます。

 森の中で私は普段の暮らしでは感じない自然の恐ろしさを体感しています。

 具体的には現在進行形で襲われて逃げ回っています。


「無理無理無理無理無理っ!! むーりー!!」


 汚い悲鳴をあげながら私は森の中を走る。

 足元の葉っぱや泥に滑りそうになるところをなんとか食いしばっての全力疾走だ。

 そんなみっともない姿の私の後には二匹の魔獣がいた。

 魔獣は口から涎を溢しながら真っ直ぐに私の元へと駆けてくる。

 たーべーらーれーるー!!


「フレデリカ! 早く! ヘルプ!」

「わかったぜ姉御! そのまま真っ直ぐ進め。魔獣共はアタシに任せろ!!」


 返事は木の上からあった。

 太い枝の上でフレデリカが弓を構えている。

 私が指定されたポイントを通過した直後、頭上を掠めるように放たれた矢が魔獣の顔面へと突き刺さった。


「ナイスだぜフレデリカ様。後はオレが!」


 続け様に飛翔する矢がもう一体を射る。

 そうして痛みに苦しむ魔獣へとキッドが剣を振り下ろして絶命させた。

 短い断末魔をあげて魔獣が息が絶えたのを確認して戦闘終了だ。


「大丈夫かお嬢?」

「全然大丈夫じゃないわよ。もうすっごく疲れたんだからね? 木の根っこに足が引っかかって転びそうにもなったわ」


 荒くなった呼吸を整えながら私は言った。

 慣れない森の中で獣に追われるなんて初めての経験だった。もう少し距離が長かったら私の方がスタミナ切れで捕食されていたかもしれない。


「本当にこのやり方でいいわけ?」

「って言ってもなぁ……」

「姉御を囮にした方が効率いいんだよな」


 倒れた魔獣の体から矢を抜き取りながらフレデリカが言う。

 そう、このやり取りはもう既に何回もしている。

 私が魔獣に追われながら森を走るのも数度目だ。


「なんでこうなったのよ……」


 暗き森への遠征二日目。

 この日から本格的に森の中での探索や魔獣の討伐が始まる。

 上級生達は武装して森の奥で魔獣を積極的に狩り、下級生は入り口付近で魔獣を観察したり、戦う上級生や教師の様子を見学するのが目的だった。

 同時進行で食材集めや飲み水の確保もしなくてならず、中々予想以上にハードそうだと朝は考えていた。


「森に入ってすぐに魔獣が姉御に近づいて来たからじゃねーの?」

「オレらを無視してお嬢だけに狙い絞ってましたからね。迎撃はやり易いっすけど」


 なんと、魔獣について有り難くない事が判明した。

 彼らは何故か私を見ると見境なしに襲いかかってくるのだ。

 魔獣は人間を積極的に襲う。だというのに、わざわざキッドやフレデリカの脇を素通りして私へと近づいてきた。


「くんくん」

「どうしたんすかお嬢?」

「私から魔獣を惹きつける臭いでもするかと思って」


 そうとしか思えない魔獣の反応。

 エタメモではノアは魔獣を従えていたはずなのにどうしてこうなったのだろう。

 もしや原作ノアは私と同じような体質で魔獣を集めてから調教をしたのかな? ゲームのノアと私では魔術師としての差が大きいからそれが関係している?


「ねぇキッド。私って臭う?」

「いや別に……普通にいいにお……普段通りじゃないっすかね?」


 キッドの鼻の近くに寄るが、彼は顔を背けてしまった。

 実は臭いけど主人だからって気遣われた!?


「フレデリカ〜」

「アタシは何も思わないぞ。ただ魔獣の感覚だと何かあるのかもな」


 野生動物並みに鼻が効くフレデリカがそう言ってくれるのなら私から変な体臭がするわけじゃなさそうね。

 そうすると、問題になるのは私の中に眠る魔女の魂になるわね。


「でも姉御のおかげで魔獣討伐が簡単になってるし、成績トップはアタシらのもんだな」

「そうっすね。罠も奇襲もやりたい放題だ。こんな楽な方法があるなんて思いもしなかったっす」

「私は嫌なんだけどね! まるで釣りのルアーになった気分よ」


 最初はあっちから襲ってくるものだから驚いたけれど、仕組みが分かるとそれを逆手にとって、私がわざと魔獣にちょっかいをかけて仲間が待つポイントまで誘い込むのだ。


「ノア殿。魔石の回収をお忘れなく」

「はいはい」


 私のフォローとキッドやフレデリカが失敗した時の保険として控えていたヨハン先輩が魔獣の倒れていた場所を指差す。

 さっきまで命がけの鬼ごっこをしていた魔獣だが、既にその姿は無く、代わりに虹色の石が転がっている。


「本当に不思議な生態してますよね。倒しちゃったら石になるなんて」

「魔獣とは言いますが、具体的には精霊や具現化した魔力の塊のようなものでござるからな」


 死ぬと骨も肉も残さずに消え去る魔獣。

 あんなに凶暴で恐ろしい生き物がこんな石ころになるなんて不思議だ。

 ゲームではなんとなく倒すと魔石をドロップするとしか思っていなかったけれど、こうして自分の目で確かめると違和感がある。

 なお、魔石になるのは死んだ時のみなので動かなくなっても油断してはいけない。必ず息の根を止めるのが正しい魔獣討伐の方法だ。


「この魔石って燃料や加工して魔術具になるのよね」

「そうでござるが、魔獣から取れる魔石なんて価値はほぼありませんぞ。だって採掘出来るのですから」


 これだけ苦労をしてやっとの思いで倒した魔獣だけど、きちんとした魔石として使用するには山盛り集めないといけない。

 一体や二体の魔石は魔術具を一瞬使用するだけで消失してしまうのだ。

 割りに合わず、人間にとって邪魔な存在なのが魔獣だ。


「なんのために存在しているのかしら」

「さぁな? それよりこれからどうしますかねぇ。ずっとこのまま魔獣狩りしてたら日が暮れますよ」

「アタシの矢も回収してるとはいえ無制限じゃねーよ。ここらで休憩にしようぜ」

「そうでござるな。先生方への報告も兼ねてベースキャンプに戻りましょうか」


 話の流れで一旦、野営地へと帰ることになった。

 帰り道で私達を先導するのはフレデリカだ。


「今回の遠征でMVPを決めるならフレデリカね」

「アタシか? 魔獣を惹きつけた姉御や料理が上手いキッドじゃなくてか?」

「だって、フレデリカがいなかったらこんなにサクサク森は進めないし、魔獣の討伐だって難しかったわよ」


 暗き森の厄介なところは魔獣の多さもあるが、迷いやすいというのもある。班にひとつずつ照明弾の役割を持つ魔術具が配られているくらいだ。

 この森は同じような道が多く、早朝や深夜には霧まで発生するという。

 毎年必ずどこかの班が迷子になって教師総出で捜す羽目になるとか。

 その問題をフレデリカが解決してくれる。

 彼女は得意な風の魔術と持ち前の鼻の良さを活かして臭いで場所を特定する。

 ティガーも同じことが出来て、彼らが狩りが得意というのも納得だ。


「弓だって必中じゃない」

「あれはただ矢に魔術をかけて操作しているだけだ。アタシ自身の弓術はまだまだだよ」


 謙遜をするフレデリカだけど、私はそうは思わない。

 動き回っている相手に魔術を当てるのだってかなり苦労するのだ。

 それを、私の頭上ギリギリを通過させて完璧なタイミングで獲物を射抜くなんて神業だと思う。

 キッドは近接型で、私とヨハン先輩は魔術に特化しているので遠距離から臭いで敵を察知して狙撃するフレデリカは森での戦闘向きなのだ。

 そうでなくとも身軽で格闘術も使えるのは十分に強い。

 本人は兄のティガーに敵わないと言っているけれど、守護聖獣を使える人間は別格だ。競う方が間違っている。


「拠点に着いたら拙者は養護テントの様子も見てきますぞ」

「コロンゾンさんにもよろしく言っておいてね先輩」

「今日も体調不良なんて使えない奴だぜ」


 この場にいないもう一人の班員に厳しいフレデリカ。

 でも、実は彼女以外にも新入生で体調を崩して拠点に残っている生徒は何人かいる。そしてその数はこれから増えていくのだ。


「しかし、意外にもノア殿達は魔獣が相手でも平気でしたな」

「意外っすか?」

「ええ。初めて魔獣と戦うと気分を悪くする者が多いですからな。命の奪い合いに怖気付いたり、感触を嫌がったりするものでござるよ」


 それに慣れるのもこの遠征の目的だとヨハンは続けた。

 フレデリカは既にティガーと一緒にヴァイス公爵に連れられて魔獣討伐の経験がある。

 キッドと私は家で屍人と生活をしているし、何となく黒魔術にはエグかったりグロいものが多いから慣れてしまったのかもしれない。


「心根が優しい人ほどそういう状態になりやすいようでござるな」

「優しい……か……。エリンは大丈夫かしらね?」


 私なんかとは違って真面目で温厚な彼女はきっと苦しんでしまうのではないか?

 そんな事を考えながら私は拠点を目指した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る