第52話 夜を駆ける(マックス視点)


 ──数日前。

 僕は持っていた書類を握り潰した。


「父さん。これは事実なの?」

「間違いない。この男が潜伏するとなるとシュバルツ家の確率が高いんだ」


 でも、だからって僕は信じられない。

 ノアさんが、シュバルツ家が母さんを呪い殺そうとした人物と繋がっているなんて。


「だがなマックス。当時の状況を振り返ると怪しい点はいくつもあるんだ」


 僕が動揺が伝わったのだろう。父さんがゆっくりと口を開く。


「お前がノア・シュバルツ嬢と初めて会ったのは母さんが倒れて運び込まれた日だ。さらに彼女は母さんの命が尽きそうになった時にまるでタイミングを計ったように現れて呪いを解いた」


 父さんが話したことは事実だ。

 彼女があと僅かでも遅ければ母さんは死んでいた。

 グルーン家が総力を上げても救えなかった患者をノアさんが助けたのだ。


「偶然にしてはあまりに出来過ぎている内容だ。結果として我々グルーン家とシュバルツ家と交友関係を深めるきっかけになった」

「父さんはあの時からシュバルツ家が裏で糸を引いて母さんを苦しめたと思っているの?」


 真っ直ぐな視線を父さんへ向けた。

 今目の前にいるのは僕の父さんであると同時に魔術学校の校長であり、五大貴族のグルーン家の貴族としての立場がある人物だ。

 そんな人が下す決断は大きく、国を動かす力がある。


「マックス。お前はどう考える」

「どうって……」


 意外にも父さんは僕に意見を求めた。

 思い出すのは五年前の自分。

 一人でうずくまって泣いていた弱い僕だ。

 あの日母さんがいなくなっていたらきっと今の僕にはならなかった。

 弱虫で泣き虫で、きっと何かが起きたら使いものにならない、みんなのとなりに並ぶなんて勇気を持てないそんな奴になったに違いない。


 でも、僕は変わった。

 僕自身が変わろうとするきっかけをくれた人がいる。


「ノアさんを信じるよ。父さんはあの時いなかったけど、僕はこの目で見たんだ。彼女が母さんを助けるために傷だらけになるところを。あれが仕組まれたことだなんて思えない」


 演技なんかじゃない。

 あの時のノアさんは、彼女が僕にかけてくれた言葉は今も胸の中にある。


「そうか……。ならばマックス、この件をお前に任せることにしよう。シュバルツ家とこの犯人が繋がっているかを調べてくるんだ」

「僕が……わかりました父さん。必ず真実を突き止めてくるよ」




 ♦︎




「ノアさん。ちょっと話があるんだけど一緒に、」

「ごめんなさいマックス。ちょっと急用でお父様に呼ばれているの。話は帰って来てから聞くわね」


 休日明けの昼休み。

 僕はノアさんに話を聞こうとしたが、彼女とキッドくんは慌ただしく学校を出て行った。

 シュバルツ公爵が彼女達を呼び出した?

 困ったことにこのタイミングで公爵とノアさんが会うとなると無視してはおけない。

 キッドくんも休日は屋敷に戻っていたと話を聞いていたのでその件も知りたかったのに。

 一人で動くには手が足りずに僕は父さんの元へ行き、相談をした。


「僕はこのまま魔術局に向かいます。今ならシュバルツ公爵も魔術局にいるみたいだし、会って話をしてくるよ」

「ならば私はシュバルツ邸の方に密偵を向かわせておく。屋敷で動きがあるかを監視させる。それとマックス、もしも彼女達が怪しい動きをすればそのまま身柄を拘束する」

「ちょっと待ってよ。そんな乱暴な真似は」

「今朝、王都で妙な事件が続いているという報告があった。例の魔術師が関連している可能性もあるので迅速な対応をしたい。母さんの二の舞を生み出さないために必要なことだ」


 意見は曲げないぞと父さんは口をつぐんだ。

 これ以上話をするつもりは無いようだ。

 なら僕は父さんの部下が動くよりも早くノアさんの無実を証明しないと。


「じゃあ、いってくるよ」


 学校に馬車を呼びつけて僕は魔術局へと向かった。

 父さんに相談をしたり、万が一のための準備をしていたせいで出発は遅れてしまった。

 到着したのは日が少し傾いた時間になってしまったが、どうにも様子がおかしい。

 普段なら魔術局の局員や利用者がまだ大勢いるはずなのに誰もいない。建物に灯りはついているので全員がいないというわけではなさそうだけど、人が減っているのは間違いなかった。

 馬車を降りた僕は魔術局本部の建物内に入り、受付でシュバルツ公爵に取り次いでもらえるように頼んだ。


「ええと、局長は取り込み中でして後日にお越しいただけないでしょうか?」

「そこをなんとかお願いします。僕は急いでいるんです」


 事前の連絡も無い急な来訪でタイミングが悪かったのか中々取り次いでもらえなかった。

 そして待っている間にも局員の魔術師達が慌ただしく動いていた。

 中には武装までしている人もいた。

 父さんが話していた妙な事件と関わりがあるのだろうか?


「マックス・グルーン様。お待たせしました。局長室へご案内します」


 多少強引にグルーン家の後継者であることを理由にし、面会に漕ぎ着けた。

 ノアさんのお父さんであるシュバルツ公爵とは何度か会ったことがあるけれど、他所の五大貴族の当主と一対一で会うことに今更ながら少し緊張した。


「事前の連絡もなしに出向いて吾輩に会わせろとはグルーン家も礼儀がなっておらんな」


 やっと会えたシュバルツ公爵はかなりピリピリとしていて苛立っている……というよりは焦っているという様子だった。

 その威圧感に押されながらも僕はこの訪問の目的を話した。


「五年前に僕の母に呪術をかけた魔術師がこの王都に潜伏しているようなのですが、何かご存知ではありませんか?」

「何の話だ。あの件はうちのノアが解呪して母君は回復したではないか。終わった話を持ち出して語り合う時間など今はないのだ」

「そうですが……こちらの男はシュバルツ家と関わりがある人物だとうちの部下が調べ上げました。北部領に隠れ住んでいたようで、現在は王都に身を移したそうなんです」


 僕が父さんからもらった報告書を見せるとシュバルツ公爵の目の色が変わった。

 焦っているような、恐れているようなそんな目だった。


「この人物とシュバルツ公爵家が深い関係にあったのは調べがついています。どうか知っていることを教えていただけませんか」


 少しの沈黙の後、ゆっくりとシュバルツ公爵は口を開けた。


「その男の名前はヒュドラ。シュバルツ公爵家の分家であったノワール伯爵家の最後の一人である」

「分家であった?」


 名前が判明したのは大きいが、どこか含みのある言い方だ。


「ノワール伯爵家は先代の、吾輩の父が取り潰して今は存在しない貴族だ」

「何があったんですか」

「その男ヒュドラは優れた魔術師であったが、その才能を暴走させて恐るべき実験を行い禁忌に触れたのである。──人体錬成や死者蘇生といった禁忌にだ」

「なっ!?」


 僕は絶句した。

 魔術師は普通の人間には不可能な異能の力を行使することが出来る。

 それは魔術を知らない人からすれば奇跡のようなことではあるがキチンとした法則がある。

 けれど、今の話に出ていたものは両方とも人の理の範疇を逸脱している。

 魔術師の倫理的な禁忌のテーマだ。


「奴はその研究のために大勢の人間を犠牲にした。シュバルツ家も元は影の一族。手を汚していないとは言わないが、ヒュドラはそんなレベルには収まらなかった。奴は己の私利私欲のために自らの家族すらも実験動物として扱っていた。吾輩の父はそれを良しとせずに討とうとしたがあと一歩で逃げられ、以降の消息は掴めていない」


 全てを話し終えたのか、シュバルツ公爵は懐から葉巻を取り出して口にした。

 重いため息と共に紫煙が吐き出される。

 葉巻でも吸わないとやっていられないという様子だった。


「では、今はこの男と関係が無いんですね?」

「そうだ。かつては吾輩もその魔術の腕を尊敬したが、今では先代が討ち漏らした処刑対象でしかない。この男が王都に戻っていたとはな」


 シュバルツ公爵が嘘をついているとは思えなかった。

 むしろここまで感情を剥き出しにするなんて考えもしていなかった。

 よかった。これでノアさんへの疑いも晴れそうだ。


「ヒュドラ、禁術、王都……まさか!」


 僕がホッとした束の間、驚いた様子でシュバルツ公爵が立ち上がった。

 慌てたせいで葉巻の灰が絨毯に焦げ跡をつけた。


「もしも奴がこのタイミングで王都に戻ったのだとすればその狙いは!」

「どうされたんですか?」

「ノアとキッドが危ない。最悪二人が死にかねん」


 今度は僕が驚きの声を上げた。




 ♦︎




 全ての話を聞き終わって魔術局から出たのはすっかり夜になってからだった。

 父さんが話していた王都で起こっている妙な事件も魔術局に人がいなくてガラガラになっている理由もヒュドラ・ノワールが関与している。

 黒魔術の死霊術と呪術を組み合わせて誕生した禁忌の魔術によって生まれたゾンビ。

 そんなものが王都中で増えてしまえばアルビオンは終わりだ。


「はっ、はっ、はっ……」


 シュバルツ公爵が言うにはヒュドラの目的は厳重な警備のされていたシュバルツ邸から持ち出された禁術が記された魔術書。

 それを回収しに行ったノアさんとキッドくんが襲われるかもしれないという。


「父さんが手配した部下が身柄を拘束してくれていればそれが一番なんだけど」


 夜の王都を僕は駆ける。

 馬車での移動では通れないような細道や、建物の屋根なんかを飛び越えながらノアさんを探す。

 シュバルツ邸から魔術局へと向かう道の何処かに彼女はいるはず。

 そうやって僕は走って、そして──。



「彼女には手を出させない。ノアさんは僕が守る!」


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