第29話 父と娘。


「ふぅ。緊張するわね……」


 どこか薄暗いシュバルツ邸。

 その中に普段は立ち入り禁止になっている書斎がある。

 地下の禁書庫は危険なものが置いてあるためだが、ここはお父様の私室だから立ち入り禁止になっていた。

 部屋の掃除は屍人達を使わずにメフィストだけが行なっていたくらい徹底して他人が入らないようにされてていた。

 記憶を取り戻す前の私はお父様の言いつけに背いて一度だけ侵入を試みたが、侵入者迎撃用の魔術をうっかり発動させて以来この場所には近づいていない。

 ノアがそんなのだから禁書庫で魔力を暴走させてしまったのだが、今日は不法侵入ではない。

 室内にはこの屋敷の主人であるダーゴン・シュバルツ。私のお父様がいる。

 私はお父様に用があってここを訪ねに来た。


 ヴァイス邸で発生した誘拐事件。その後の療養などでグルーン家でお世話になり、この屋敷に帰って来たのが昨日の出来事。

 家の者が不在になっていたこの家に戻って最初に目にしたのは廊下や庭で倒れていた屍人達だった。

 彼らは全員メフィストの魔術によって動いていたので、それが消えてしまい活動を停止していた。

 殺人事件の現場じゃん! と騒ぎになり屍人を回収したり家の点検をして一日が終わった。

 いつもなら魔術局に住み込みで働いているお父様も数日の休みを取ることになっていた。


「お父様。私ですが入ってよろしいですか?」

「構わん。入れ」


 ドアをノックすると中から声がした。

 恐る恐る室内に入ると、書斎の中央にある椅子にお父様が座っていた。

 椅子の前にある机には山程の本が置いてあり、不気味さと呪いのようなものが見えるから全部魔術書だろうか。


「吾輩に何の用だ」


 机を挟んでお父様の前に立つ私に向けられる鋭い目線。

 本人の人相の悪さもあって萎縮してしまう。

 前世でミスをして会社の社長室に呼ばれた時より怖いわねこれ。


「あの、私に魔術を教えていただけませんか」


 私の魔術の師だったメフィストは消えた。

 彼がいなくなったことはお父様に報告してあるし、この家にある悪魔との契約書という魔術具も一緒に無くなってしまった。

 肉体も魔女の暴走した力に巻き込まれて塵になりメフィストのお墓は無い。

 本人自身は死んでもないから縁起でもないけど、形だけでも彼の存在は残したかったと思う。

 しかし、それよりも優先すべきは私のレベルアップだ。

 メフィストがいなくなった以上、次点で私の知る黒魔術に優れた人物はお父様しかいない。

 だから私はお願いしに来た。


「禁書庫の立ち入りは許可してある。自分で学ぶという手があるぞ」

「それでは限界がありますわ。まだ私には人から教わることが沢山ありますの。どうかお願いしますお父様」


 確かに魔術を覚えるだけなら魔術書を読んで自分で学ぶのもありだ。

 でも、この前の戦いでわかったのだ。教科書で見ただけの魔術を実戦で生かすには経験がいる。

 どのタイミングでどの魔術を使えばいいのか。相手の動きを封じるためには何をすればいいのか。

 ヴァイス邸でティガーとマックスが見せてくれたような戦闘の技術を私も身につけないとノアの才能があってもピンチになる。

 ヒロインちゃんと違って私にはピンチになると精神を汚染して魔力を暴走させてくる災禍の魔女が眠っているのだ。

 メフィストが命懸けで眠りにつかせてくれたけど、また目覚めたら私ではどうにも出来ない。

 そんなピンチにならないように強くならなきゃ。


「吾輩が教える必要などないだろう。何故ならノア。お前には特別な力がある。我がシュバルツ家に代々伝わる予言の力だ」

「予言ですか?」

「そうだ。災禍の魔女。その力を受け継ぐ者こそがお前であると吾輩は思っている」


 突然の告白。

 お父様は私が魔女の生まれ変わりだと知っていた?

 ゲームではそんな話は出なかったというか、お父様自体の出番が無かった。


「魔女の転生体を呼び出す。そのためにシュバルツ家は存在してきたといっていい。守護聖獣に匹敵、あるいは超える力を手にする。それがシュバルツ家の真の目的だった」


 そんな予言があったなんて。

 じゃあ、ノアはなるべくして魔女の生まれ変わりになったってこと?

 シュバルツ家が誕生したのは魔女を討伐して以降だから二百年近く前だ。


「城で感じた魔力。あれこそが魔女の力だというのにお前はそれを手にしなかった。何故だ?」

「あれは、魔女の力は生優しいものじゃありません。あの時私の精神は魔女に取り込まれそうになりました。魔女には正常な判断は出来ません。あの力はあるだけで世界全てを壊しかねない」


 深い憎しみだった。

 世界に対する殺意だった。

 きっと魔女が世界を支配しても、そこに幸せは残らない。人間は虫ケラのように潰されて終わりだ。


「人の手に余るというのか」

「はい。私は自分の中に爆弾を抱えているようなものです。この力は無闇に使ってはいけない。使わなくて済むように私は強くなりたいんです」


 お父様は手を組んで目を瞑る。

 深く悩んでいるようだった。


「お前の中の魔女の力。それさえあればこの国を支配し王のいない乱れた世界を正せると思って危険な目に遭わせたのだがな」

「もしかしてお父様が私に魔術書を読んだりメフィストと一緒に任務に行くよう指示したのは力の覚醒を促すためですか?」

「そうだ。一刻も早く魔女の力を手にして来るべき災害に備えなくてはならない。そのための力だったのだがな……」


 重苦しい様子で息を吐き、お父様は私を見る。


「魔女の力がそのような危険なものであるとわかった以上、お前を放置するわけにはいかぬな」

「じゃあ、」

「公爵家としての仕事や魔術局の仕事もある。そんなに多くの時間は割けないが、引き受けよう」


 やれやれという感じでお父様はそう言った。

 やった! これで魔術の修行が出来るわ!


「ありがとうお父様。メフィストの言う通りに相談して良かったわ」

「メフィストのだと? あの悪魔はなんと言っていたのだ」

「えっと、『たまには旦那様に甘えてみてください。アレでも人の親ですので』って」

「最後まで減らず口を残しおって。一発殴っておけばよかったか」


 不機嫌そうにお父様は呟いた。

 あ、なんだか今のでメフィストとお父様が普段どんな関係なのかわかったかもしれない。

 あの悪魔、誰に対してもあのふざけた態度だったのね。

 それから私はお父様と今後のスケジュールについて打ち合わせをした。

 基本的には多忙なお父様の空き時間に課題を出して、次の鍛練時にテストを行う。

 それを繰り返しながら偶に模擬戦を行うというものだった。

 この家に帰ってくる頻度も増えるというので、その時は一緒に食事でもどうかと誘うと渋々と承諾してくれた。


「そうだノア。これをキッドに渡しておきなさい」


 話し合いが終わり仕事の邪魔にならないように部屋を出ようとした時、お父様が机の引き出しから一冊の手帳を渡してきた。

 何だろうと思って開こうとするけど、接着剤でも貼ってあるのか私では開けられなかった。


「メフィストが残した魔術書だ。閲覧は指定された者しか出来ん。吾輩にも解読不可能だった」

「お父様や私じゃなくてキッドに? わかりました。私から渡しておきます」


 そう返事をして私はお父様の書斎を後にした。

 メフィストが残した手帳の中身は非常に気になる。まさか私の悪口とか書いてあるんじゃないでしょうね?




 ♢




 ノアが去った後の書斎。

 魔術書と報告書の山に囲まれながらダーゴン・シュバルツは一枚の書類を見ていた。


「グルーン家からの診断書か。キッドが受けた傷は胸部を貫いた跡があり、身代わりの魔術具でもカバー出来るものでは無いと推測。これで助かってのは奇跡としか思えない……か」


 娘がいないことを確認し、引き出しの中から葉巻を取り出し魔術で火をつける。

 書斎はダーゴンにとって屋敷で唯一の喫煙所だった。


「メフィストめ。やはり何か企みがあってこの小僧を引き取ったな」


 紫煙が天井に上り、臭いが部屋に充満する。

 日頃から葉巻を大量に吸うヘビースモーカーであるダーゴンが娘にこの部屋の立ち入りを禁じていた理由の一つがこの紫煙だった。

 昔の約束で屋敷のここ以外では葉巻は吸わない。

 メフィストもそれを知っていて引き出しにダーゴン愛用の葉巻を用意していた。


「くそっ。あやつの顔を思い出すだけで不味くなる。全く迷惑な奴め」


 グルーン家の診断書を丸めて投げ捨てダーゴンは次の書類へと手を伸ばす。


「ノアに魔術を教えることになるとはな。臭い消しの薬品の開発を急がせるか」


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