第6話

訪問当日

俺と井佐は今玄関にいる。質素な佇まいをしており住宅街にひっそりと生活をされているのだろう。


ピンポン

中から声が聞こえた。

ガチャ

小さな子供が顔を出す。


桜田「こんにちは。」


子供「こんにちは。」


桜田「ここは滝見さんの家でお間違え無いですか?」


子供「うん。」


桜田「お父さんおられますか?」


子供「お父さんいる」と言い子供は家の中に入っていった。

少しすると子供が扉から顔を出した。

子供「入っていいだって」


そういい俺たちを案内してくれた。

子供はある一つの部屋の前で立ち止まった。


子供「ここに入って」そう言い扉を開けた。その扉の向こうには和式の部屋であろう畳がある部屋だった。その部屋の真ん中に机と座布団が2つ置いてありその座布団とは反対側の席にこの子供のお爺ちゃんであろう人物が座っていた。

桜田「案内してくれてありがとう」俺がそう言うと子供はどこかに走っていなくなった。


桜田「本日はお招きいただき誠にありがとうございます。」


滝見「いやいやこちらこそ遠い所まで来てくれてありがとうね。」


桜田「この黒塗りしてある書類のことを質問したくて本日来訪させていただきました。」


滝見「この研究所のことは墓までもっていくつもりであったが君たちが来たのでおればお話ししよう」


そう言い滝見は話し始めた。


滝見「私は君たちが管轄している第2区域第3地区で医院を開いて医者をしていた。


私は脳神経内科として患者さんの脳や脊髄、神経、筋肉の病気をみるを専門的に取り扱っていた。その時にある患者が訪れた。


その患者は国防軍の兵士で体を動かすことが突然できなくなったため脳神経内科の俺の病院を訪れたわけだ。私はその患者の病気を治した。


そこから数年後その患者がまた訪れた。今度は国防軍の研究所でその力を貸してくれないかと言う話だった。


当時、日本の島々が敵対する隣国からの攻撃が相次いで発生していた。そこで国防軍はこの危機に対処しなければ行けないというわけで1人で戦闘や偽装工作、情報工作、爆破、狙撃など様々な任務に対する適性を持つ完全無欠の兵士を国防軍の兵士で育てようとしていたらしいが失敗した。


そこで今回、目が付けられたのが無垢な子供たちだった。小学校低学年の子供たちが集められ国を守るための訓練が始まった。


しかし、いきなり子供たちが兵士の訓練をすることは肉体的に無理である。そこで私がこの研究に呼ばれたらしい。神経を活発化させ肉体の上限を超えても動けるような薬を毎日子供たちに投与していた。


その投与されていた薬の効果はすごいらしく子供たちは訓練についていけていた。このまま順調にこの研究は終わると私は思っていた。


研究が開始して1週間が過ぎたあたりである看護師が私の所に来た「被検体30が点呼に来なかったらしいです。同部屋の子供たちは30が起きないと言っていました」私はそう聞きすぐに30の所に駆け付けた。すでにその子は死亡していた。


ここでは子供たちは番号で呼ばれます。それに死亡したことを他の子供たちに伝えると混乱が乗じて研究に影響を与えるため家に帰ったと子供たちには伝えていた。ここからの1週間が大変でした。


子供たちが薬に耐えられずに続々と亡くなっていきました。この研究が始まって1か月で1割の子供たちが亡くなりました。


私はこの研究はやはり人道的では無いと私に話を持ってきた方に直接言いました。


でもその方はこれ以外に日本を守る方法があるのかと私に問いかけてきました。確かにこの研究が進められている間にも隣国からの攻撃の報道が連日続いていました。


それにより多くの国防軍の兵士の戦死報道や民間人の死傷者の報道が続いていました。


私もこの報道を耳にするたびに私が携わっている研究は正しいと思うようになり研究にのめり込んでいきました。


研究を開始して1年が経つ頃には研究に参加している子供たちの過半数が亡くなっていました。私は投与する薬が与える子供たちの負荷を少なくする薬を開発しそれを子供たちに投与しました。


するとその投与をした1か月後あたりから子供たちの死亡率が低下していきました。この時点で1年と半月が経過していきました。この研究は4年間続けられます。


それからも研究が続いていきました。しかしあるとき子供たちの死体に異変が起きました。


今までは薬の副作用で亡くなっていたため外傷はほとんどありませんでしたがこの日を境に四肢が無くなっている子供たちの死体が運ばれるようになりました。


私はなんでこのようなことが起きているのか質問した所、訓練の様子を見ることができました


訓練は地獄のようなものでした。本物の爆弾を使い緊張感を持たせて解除をさせる訓練でした。さすがに私はこの時に正気に戻りました。


この研究所の創設を許可した総理に直々に書類を制作し見てもらいました。この書類のおかげかその翌日に総理と調査団が訪問されました。そこからは調査団が入り研究所内の設備や投薬した薬の検査、訓練内容の確認など様々なことが行われました。その間も子供たちには投薬がされ訓練も続いていました。その結果、研究所は閉鎖されました。


閉鎖される際に残った子供たちは10人でした。最初は研究施設に2000人いた子供たちは閉鎖される3年間で10人にまで減ってしまいました。この10人のうち9人は国防軍に入隊し、残りの1人は入隊を希望しませんでした。亡くなった1990人の子供たちの保護者には実験の失敗とは戦争の為に命を失ったと伝えられています。生き残った10人の子供たちの親にも子供たちは亡くなっていると伝えられています。


あの薬を投与された子供たちは長生きできません。現に国防軍に入隊した9人の内4人は亡くなっています。残りの5人の内3人は3年以内で国防軍を辞めました。このうちの1人は最年少で国防軍少佐になった子供も辞めました。


この子たちはこの後どうなったかはわかりません。」


桜田「そうですか。今生きている子供たちの被験者番号を教えてもらえますせんか?」


滝見「今生き残っているのは国防軍には3と1500がいます。国防軍を辞めたのは1,6,100で国防軍に入らなかった20です。」


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