第10話 俺に平和は似合わない

 放課後、俺は中村さんに校長先生から呼ばれている事を報告して校長室に向かった。

 話はやはりリアラの事と同居の事で、神様は予想通り校長先生に事前に会っていたらしく、無理矢理編入試験を受けさせたそうだ。

 リアラは頭が良く、全教科満点だったらしい。

 同居についても事情が事情な為に認めてもらい、話は終わった。


「やっべ、早く行かないと」


 俺はすぐに練習着に着替え、グラウンドに向かう。

 今日は全体練習のない日で、各自でティーバッティングやノック、マシン打撃に取り組んでいる。

 そんな日でも俺はキャッチャーをしているため、ピッチャーが誰か一人投げたいと言えば、ブルペンキャッチャーをしなければならない。

 ぶっちゃけ言えば、ブルペンキャッチャー程面倒くさいことはない。


「お前遅いぞ、早くしろよ」


 そう言ってピッチャーグローブとボールを持って、俺に高圧的な態度で言ってくるやつの名は上本駿太郎うえもとしゅんたろう。がたいは俺よりもよく、顔はほんの少しだけカマキリに似ているので、俺は裏でカマキリと呼んでいる。


 キャッチャーをするうえで必要であるレガースという防具をつけ、上本とキャッチボールをする。

 キャッチボールはいいのだが、俺はこの時間が滅茶苦茶嫌いだった。


「はい、ずれすぎ。五十円な」


 このキャッチボール、俺がイップスという自分の思い通りに球が投げられない症状が出てから、こいつがイップスを治すためという謎の理由をつけて始まったルールがある。それが、今上本が言った、ボールが必要以上にズレると五十円分の何かを、上本に渡さなければならないというルールだ。

 

 こんな事は普通にやめたいのだが、これを笑って見ている近本空ちかもとそら北村晴人きたむらはるとの二人がいる為、やりたくないのにやらざるを得ない。この二人も俺よりがたいがいいが為に、言われた通りにするしかないのだ。

 一応この三人はレギュラーメンバーで、実力はそれなりにある。こいつらが抜ける事があるとチームにとっては痛いので、中々問題視にできない。


 こいつらには悪いという気持ちがないのだ。俺がジュースを買おうとしても、その場に居合わせたら無理矢理ジュースを買おうとする。後で返すと言っておきながら、返ってきたことは一回か二回ぐらいだ。


「今日の球どう? 伸びてる感じする?」


「ああ……今日は結構いい感じ」


 俺は上本が嫌いなのに、上本は何事もなかったかのように自分が投げていた球の感想を聞いてくる。こんな関係が俺には気持ち悪くて仕方がない。何度ぶち殺してやろうかと思ったことか。


「今日は五十球ぐらい投げるわ」


「了解」


 五十球も投げなくても、お前なんか五球で充分だ。……って言ってみたいな〜。

 ブルペンでもお金ルールは続き、今日は四百五十円分の送球ミスをしてしまった。こんな事をしていてイップスが治るわけないのに、上本はこれをかたくなに続けたがる。結局自分の出費を抑えたいがためのルールなのだ。


 この四百五十円は、近本と北村と上本の三人で分ける事になり、練習が終わった帰り際に上本に金を渡した。


「あざっす。じゃあな」


「……ああ」


 結論は、三人さっさと死んでくれ。これは心で思ってるだけなんだから、いくらでも言えるのだ。




  ◆




 外灯の光だけが俺を照らしている中、とぼとぼと疲れた体を揺らしながら帰る俺。野球をしているのが少しだけ馬鹿馬鹿しく思えてくる。


「あいつらまじで太平洋に沈めたい」


 時刻は夜の九時で、住宅街は静まり返っていてほんの少しだけ心細い。だが、今日はまだバッティングに納得していないので、晩ご飯を食べたらまた素振りをしに行くつもりである。


「あ……着いたか」


 何も考えずに歩いていると、いつの間にかマンションにたどり着いていた。自分の家の扉を開けると、メイド服を着たリアラがリビングからやってきた。


「おかえりなさいませ」


「ああ、ただいま」


 例え嫌われていたとしても、こうしてお帰りの声が聞こえることが唯一の癒やしかもしれない。こんな透き通るような体に染み渡る声で言われると、多少のストレスは癒やされるだろう。


 俺は部屋に戻り、ギャッチビーの汗ふきシートで軽く体を拭く。そして次にやることといえばこれしかない。


 バアンッ!


 小学生の時から使っている勉強机を、俺は思い切りグーで叩いた。もし人を殺してしまっても何も言われないなら、俺はあの三人をどんな手段を使ってでも始末している。それができないのだから、こうして机にぶつけているのだ。


「なんで野球やってるのか分かんなくなってくるわ」


 幸い、このマンションは防音仕様になっているため、隣の住民がうるさいと怒鳴ってくるほどに音は響かない。おかげでほぼ毎日台パンをしているわけだが、苦情はきていない。


「あ〜あ、アホらしい……さて、今日の晩ご飯はサバの塩焼きだったな」


 いくら気分が落ち込んでいても、腹は減る。俺は部屋を出てリビングに向かう。


「サバのいい匂いだぁ」


 既に料理は準備されており、俺は席について早速料理に手を付ける。


「あむ……しょっぱ! えっ、これ塩サバだよな?」


 俺は斜め前に座っているリアラに問いかける。


「はい、塩はかけました」


「……」


 あのね、これは買ったときから塩はかかってるんだから、あとからかけたら塩二乗されちゃうじゃん。やっぱり天然入ってるよな、リアラって。


「塩サバは焼く時に塩かけなくても、もう塩味ついてるから塩はかけなくていいんだよ」


「……申し訳ございません」


 リアラは無表情で頭を下げる。別にちょっとぐらいいいじゃないですか、とか思ってるのかな。いやまあ、作らせてる側だから文句はあんまり言えないけど。


「でも味噌汁は普通に美味しいよ。丁度いい濃さしてる」


「ありがとうございます」


 いつか笑ってる顔も見れたらいいのにな。初日の生きるのも嫌みたいな顔よりはマシだが、笑った顔は一度たりとも見ていない。


 色々考えながらご飯を食べ終わり、再び外にバットケースを背負って出かける。

 今頃寮生は喋ったりしながら自主練をしているのだろうが、俺は寮に入らなくてよかったと思う。

 あの三人と一緒にいるのは絶対に嫌だし、俺はまだ一人の方が好きだからだ。


「こういう隠れた努力がいいんだよな。……あ、寮入ってたらリアラ独り占めできないしな!」


 俺はいじめを除けば結構幸せなのかもしれない。学校で練習していれば、他の奴らと練習時間を合わせなければいけない可能性も出てくる。やはり家があるというのは最高だ。


 内発的モチベーションも高めた俺だが、体の疲れはまた別だ。十二時まで素振りをしようと思っていたが、眠気に負けて十一時に素振りは切り上げた。

 家に帰り、俺はすぐに風呂に向かう。リビングにリアラはいなかったが、どうせ自分の部屋にでもいるのだろう。


「ふ〜ろだ風呂だ……あ」

  

 脱衣所のドアを開けると、綺麗な銀髪が見えると共に、メイド服を脱いだ黒の下着だけのリアラがいた。

 特に下の方はメイド服の醍醐味と言えるガーターベルトになっていて、かなり大人っぽく見える。

 メイド服からでは分からなかった綺麗な体の曲線美に、シミひとつない白い肌は一言で表すならエロい。

 誰かこれ以外に言う言葉を俺に教えてくれ。


「おお……」


 普通すぐにドアを閉めなければいけないはずなのだが、俺の体がそれを許してくれない。このエロすぎる体を前に、見ないのは無理がある。


「……」


 あ、やべ。完全にゴミを見る目になってる。……待てよ? 蔑むような目で見られるのも、案外悪くないかもしれないぞ。


「死んでください」


 馬鹿なことを考えている俺に冷たい声が聞こえてくると同時に、洗面台においている化粧水の入れ物が顔面に飛んできた。


「あがっ!?」


 常人よりも力のあるリアラが投げた化粧水の入れ物は、脳に直接響いてくるような痛みで、多分人生で一番痛い。


 ああ──やっぱり俺に平和は似合わない。

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