第23話 夢の終わり
「おはようございます」
ユーナが涙声にならないよう明るい挨拶をして食堂に入ると、クロードの向かいにゴールディとクレアが神妙な顔をして座っていた。
挨拶は返してくれたが、ふたりの様子が事態の深刻さを物語っている。
部屋のなかにはもうひとり、テーブルから離れたところで腕を組んで立っている女性がいた。
三十代で短髪の彼女のことは、ユーナにも見覚えがある。
「あ、お医者様の――」
「タニアよ。
あなたの顔はこのあいだ、村の人たちの診察にきたときに見たわね。
昨日また呼ばれて、遅かったからそのまま泊まらせていただいたの」
ふぁああ、とあくびをする彼女に、クロードが頭を下げる。
「急にお呼び立てして申し訳ありません。
村の病の原因がわかったので、すぐにでも診ていただきたくて」
「わかってるわかってる。
ここの主治医だったのは私の祖父だけど、引退した今は、私が主治医のつもりなんだから。
村のことも私の管轄。
原因がわかって、私もようやくすっきりしたわ。
薬も処方できたから、あとは快復を待つだけ」
「ありがとうございます。
これでみんな救われます」
「みんな、ね……」
タニア医師は妙な含みを込めて返した。
クロードがこれから話す内容を、彼女はなにか知っているのかもしれない。
だがクロードはそれには反応せず、ユーナが席につくと、改めて使用人三人の顔を見た。
「さて、と。
これで全員揃ったね」
「坊や、話って今じゃなきゃダメかい?
あたしは朝食の支度があるんだ」
「ごめんごめん、すぐ終わるから。
どうしても、言わないまま食事をする気にはなれなくてね」
ゴールディは不穏な話を先送りしたかったようだが、彼はそうさせてくれなかった。
クレアは黙ってテーブルの上で手を握り、落ち着かない様子で親指どうしをしきりにこすり合わせている。
ユーナは、若い領主の表情を見た。
彼のなかでなにが変わったのか探ろうとして見つめたが、目が合うとクロードのほうがすぐに逸らす。
言いたくないことを言うのだと感じた。
そして、ゆっくりと彼は口を開き、話をはじめた。
「タニア先生のご助力もあって、村の男たちも早晩、快方へと向かうことだろう。
だいぶ遅くなってしまったが、出稼ぎに出せる見込みがやっと立つ。
この村に収入が、ようやく生まれるということだ」
「テオさんとの約束が果たせますね」
「ああユーナ、そのとおりだ。
彼はすこしでも返せればそれでいいと言ってくれた。
全額返済には月日がかかるが、利息もとらないと言ってくれているし、当面はさらなる借金をすることもなくなるだろう。
それもこれも、ユーナ、きみのおかげだ。
本当に、心から感謝している」
深々と頭を下げるクロードに、ユーナは両手をぶんぶん振って恐縮する。
「そんな、わたしはただ祈っただけです。
助けてくださったのは神様ですし、その神様が力をお貸しくださったのも、クロード様の日ごろのおこないがよかったからにほかなりません。
よくない人のためには、どんなに祈ってもなにも起こりませんから」
「そういうものなのか?」
「はい、そういうものです。
だからクロード様は、もっと胸を張ってください」
熱弁するユーナに彼は頭をかく。
「まあそれは、嬉しくないといえば嘘になる。
ありがとう。
最後にすてきなプレゼントをもらった気分だよ」
「最後……?」
「ああ、最後なんだ。
ぼくは決めた――この村の統治はティンズリー家に任せることにする」
一瞬、ユーナはその言葉の意味がわからなかった。
テオとの約束は、どうにか守れる目処が立った。
守れるということは、いまのままの統治を維持できるということだ。
それなのに彼は、自治権を手放すと言っている。
おかしい。
話がねじれている。
……が、彼の目を見て理解した。
そこに映っているのは目のまえにいるユーナでも、約束をしたテオでもなかった。
見据えているのは、ただひとつ、領民たちの未来だけ。
彼はとても優しい目をして、言った。
「今回のことで思い知ったよ。
ぼくのやっている、ひとりひとりを大切にする統治というのは、夢物語にすぎないということを。
村のみんなのその瞬間の笑顔を守るだけでは、明日の笑顔は守れないんだ」
「坊っちゃん、そんなことはないよ。
落ち込むのはわかるが――」
クレアが発した慰めを、クロードは手で制した。
「爺ちゃんへの恩義でここにいるクレアに、そう言ってもらえるのは本当に嬉しい。
ぼくのことを認めてくれてありがとう」
「そりゃ、認めるさ。
毎日その姿を見ているんだから」
「うん、でも……」
やっぱりダメなんだ、とクロードは続ける。
「ぼくは領主の豊かさは悪だと思っていた。
民から搾りとった税金で肥え太るなどもってのほかで、領主は貧しければ貧しいだけ正しいと思っていたんだ。
でも、今回みたいな凶作になると、貧しい領主ではどうしようもない。
蓄えがないのだから、助けようがない。
ぼくにはぜい肉に見えていたものこそが、みんなの豊かさの象徴だった」
誰も反論しない。
なにか言おうにも、この村の現状が口をつぐませた。
この館の食糧庫に蓄えがあれば、借金をすることも、出稼ぎに頼ることもなかっただろう。
みんなで励まし合いながら、次の春を待つだけでよかったのだ。
静まり返った食堂に、さらにクロードの声が響く。
「川の汚染のことだって、同じだ。
ぼくが目のまえのことしか見ていなかったのもあるけど、そもそも手が足りていなかった。
リスクを抱えているのは水源だけじゃない。
山肌は雨で崩れるかもしれないし、水捌けの悪い場所があれば水害の危険がある」
たしかに、とユーナは思った。
雨の日に水を汲みに行ったとき、裏山で崖が崩れるのを見たことがある。
離れた場所だったので危険は感じなかったが、もしそこにほかの誰かが歩いていたら大変だった。
「爺ちゃんがなんであんなに使用人を雇っていたのか、ぼくはもっと考えるべきだった。
過不足なく仕事を振れば半分の人数で済むはずだし、ひとりひとりがすこしだけ無理をすれば三分の一でも足りると思っていた。
でも違うんだ。
まれにしか起こらないことを防ぐには、普段から余裕をもった人数で、怠りなく点検を繰り返すしかない。
百回の無駄が、一回の致命傷を防いでくれる。
これもやはり、領主が豊かでなければ実行できないことだろう」
そこまで語って、クロードは黙った。
みんなうつむいている。
ユーナも、顔を上げて彼の目を見ることができない。
しんとしたなかで、カタカタと音が鳴った。
クロードの握った手が震えている。
あっ、と思ったユーナが視線をすこし上げると、彼の唇がぶるぶると震えているのが目に入った。
クロードは黙ったのではなく、次の言葉がうまく言えないでいるのだ。
「ぼ、ぼくの――」
ダメ、とユーナは思った。
それ以上、彼に言葉を続けさせてはいけない。
もう充分ではないか。
これだけ語って、もう充分に彼は傷ついた。
もういい、もう言わなくていい。
でも彼は、
「ぼくの『ままごと』に付き合わせてすまない。
ごめん……なさい……」
そう言って、がっくりと肩を落とした。
若すぎる領主は重責に押しつぶされたように小さくなり、ぽたりぽたりと涙のしずくがテーブルを濡らしていた。
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