第24話 約束

 最初に動いたのはゴールディだった。


「な、なにも、謝ることはないさ。

 さあ、話が終わったなら朝食にするよ!

 クレアも手伝っておくれ」


 いつもどおりの雰囲気に戻りたかったようだが、言い淀んだうえに鼻声だ。

 調理場に行ったらきっと鼻をかむ音が聞こえてくるに違いない。


 続いてクレアも立ち上がり、調理場のほうへと向かう。

 彼女はわざわざテーブルを大回りし、クロードの後ろを通って、


「誰がなんと言おうと、あんたはよくやった。

 男のわりには見込みがあるよ」


 彼の背中に優しく触れ、いたわるように言った。

 男嫌いの彼女が示す最大級の敬意だろう。


 ふたりが調理場に消え、食堂にはクロードとユーナ、それとタニア医師が残った。

 ユーナがなにも言えないでいると、タニアがつかつかとテーブルのそばにきて、彼に言う。


「さっきみんなを集めるまえに依頼されたとおり、私は朝食が済んだら町に戻ってテオ・ティンズリーに使いを出すわ。

 明日にでも彼が部下を連れて来るでしょう。

 聖女様をどうするかは、それまでに話し合っておいたほうがいいと思う」


 聖女をどうするか?

 戸惑うユーナをよそに、タニアは「すこし外を歩いてくる」と言い残して出て行った。

 ふたりで話せということのようだ。


「えっと……クロード様」


 どう声をかければいいのだろう。

 輝く目で理想を語っていた彼ではなく、そこにいるのは夢破れて傷ついた少年だ。


 教会でしていたように、「神様はお見捨てにならない」「希望は必ずある」と諭せば、心に安らぎを与えることができるだろうか?

 いや、そんな言葉はきっと彼にとって価値を持たない。

 身近にいたせいでそれが痛いほどわかってしまう。


 逡巡しているうちに、クロードが袖で涙をぬぐって顔を上げた。

 さっきまでのつらそうな様子を隠し、いつもどおりの口調で言う。


「先生がおっしゃったのは、明日テオがくると、きっときみが連れ戻されるということだ。

 ムーニーの話だと、きみはずいぶんな有名人らしい。

 このまえ来たときも、テオは気づいていたんじゃないか?」

「あ、たしかに……。

 言われてみれば、帰り際にわたしの顔をじっと見ておられました。

 不安な顔で領主を見る使用人が珍しいとおっしゃっていましたが、あれは気づいていたのかも」

「だろうね。

 彼は聡いから、なんとなく事情を察して黙っていてくれたのだろう。

 だが明日は彼以外にも、引き継ぎのために多くの者が来ることになる。

 教会が探しているというのなら、黙って見過ごされるはずはない。

 どうするのか、決めておいたほうがいい」


 残りたいなら、残るという強い意志を示さなければ連れ戻されるということだ。

 ユーナの言葉を待つように、彼はじっと彼女を見ている。


 ユーナ自身は、今朝すでに教会へと戻る決心をした。

 ここでそれを告げれば、テオに話して同行させてもらう流れになる。


 だが、クロードはどうするのだろう?

 領主でなくなった彼は、地方のいち貴族としてこの屋敷に住むのだろうか。

 でも、その地位を維持するほどの財力はもはやないように思う。

 屋敷を捨て、村人のひとりとして田畑を耕すのだろうか。

 夢破れた今の彼なら、そこまで身を落とすことも厭わないようにも思う。


 ユーナはそれが気になって、彼に訊いた。


「クロード様はどうなさるのですか?」

「え、ぼく?

 ぼくは……テオに頼み込んで、雇ってもらうつもりでいる。

 下男でもなんでもいい。

 とにかく彼の仕事を近くで見てみたいと思っているんだ」

「近くで……」


 ティンズリー伯爵の息子であるテオは、間違いなくこのあたりの次期領主だ。

 その彼の仕事を近くで見る、つまり学びたいということは――

 もしかしてクロードは、まだ完全に夢をあきらめてはいない?

 たとえ領主という地位を失っても、真の領主を模索しつづけるつもりでいる?


「クロード様!」

「お、おい、ユーナ」


 ユーナは感極まって立ち上がり、テーブル越しにクロードの手を握った。

 ひとつ年上の女性に触れられ、十六歳の少年は動揺する。


「え? これは……?

 ユーナもぼくと来てくれるということ?」

「あ……」


 ごめんなさい、とユーナは慌てて手を離した。

 勘違いをさせてしまったようだ。


「違うんです、わたし感動しちゃって。

 さっきのクロード様を見たときは、もうなにもかもあきらめたように見えたから。

 クロード様にはまだ夢があると知って、思わず」

「あ、ああ、そういうことか。

 ぼくのほうこそ、おかしなことを口走って悪かった。

 忘れてくれ。

 きみは教会に戻るのかい?」


 ユーナがうなずくと、クロードはすこし悲しそうな目をしたように見えたが、すぐに笑顔になった。


「そうか、決心がついたならなによりだ。

 きみにもやることがあるんだろう?」

「はい」


 そうだ、ユーナにはまだ教会でやり残したことがある。

 ここで学んだことを伝えるのもそうだし、ルイザとのことに「決着」をつける必要もある。

 クロードの成長をいちばんそばで見ていたいが、いまはそうすべきときではない。


「必ずまた、あなたのもとに行きます。

 だからクロード様は、理想を追い求めることをやめないでください」

「ぼくのもとに……?

 いや、わかった。

 勇気づけてくれてありがとう」


 社交辞令とでも思ったのだろうか。

 一世一代の思いで伝えたユーナは、クロードの反応の薄さが気になった。

 でも、いつになるかわからない約束を、これ以上ここで強調するわけにもいかない。


「あ、わたしもゴールディを手伝わないと。

 朝食、もうすこしだけ待っててくださいね」


 後ろ髪引かれる思いを断ち切るように、ユーナは話を打ち切って調理場へと向かった。

 食堂を出るときにちらりと振り返ると、クロードは虚空をじっと見て物思いにふけっていた。

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