第20話 背中のぬくもり

「……ユーナ!

 起きてくれ、ユーナ!」


 ユーナは、自分を呼ぶ声で目が覚めた。

 なぜだかわからないが、すぐ近くにクロードの顔がある。


「クロード様……わたしは……?」

「ユーナ! 気がついたか!

 よかった、急に倒れたから心配したんだ。

 寒いだろうがすこしだけ我慢してくれ。

 いま、屋敷に運ぶから」

「えっ?」


 クロードの背中に乗せられる。

 カイルがすぐ横にいて、ずり落ちそうになるのを直してくれた。

 ユーナはいつのまにか黒い外套に包まれている。

 すこし離れたところにいるムーニーの服が軽装になっていることと併せて考えると、これはきっと彼が貸してくれたものだろう。


 と、そこでユーナはようやく気づいた。

 さっきまで自分は、クロードの腕のなかにいたのではないだろうか。

 いや、あの顔の近さはきっとそうだ。


 顔がカーッと熱くなる。

 真っ赤になっているのが自分でわかった。


 でもいまは、気恥ずかしさよりも、背負われた彼の背中がぐっしょりと濡れていることのほうが気になる。

 全身ずぶ濡れの自分が濡らしたに違いない。

 ユーナは慌てて謝る。


「クロード様ごめんなさい。

 こんなに濡れてしまって……」

「いや、たまには水泳も悪くない。

 子どものころは裏山の川でよく遊んだものさ」


 水泳?

 なぜ彼は、水泳の話をしたのだろう。

 濡れたのはユーナを背負ったからではなくて、水泳?


 そうだ――

 たしか、湖の真ん中で気を失ったはず。

 クロードが泳いだとすれば、その理由はひとつしかない。


 ユーナは、溺れた彼女を彼が助けてくれたことに、ようやく思い至った。

 だとすれば、命の恩人である。


「あ、ありがとうございます!

 あの、わたし……なんだか気が遠くなって」

「無理もないさ。

 あんなにすごい力を使ったのだから」


 驚いたよ、とクロードが言う。

 その声は言葉とは裏腹に、どこかほっとしたような響きに聞こえた。


「きみは聖女だったんだね。

 だったというか、いまもなのかな?

 加護の力があるわけだし」

「いちおう、元のつもりですけど……。

 勝手に逃げてきたから、破門されてないんです。

 隠していてごめんなさい」

「いいさ、言いたくなかったんだろう?

 ただなんとなく、きみには清らかな雰囲気があるから、そういう予感はしていたと思う。

 あの力を見て、『やっぱりな』と思ったから」


 ユーナを揺らさないためだろう、クロードはゆっくりと歩いている。

 ようやく洞窟から外に出た。


 そういえば、村人たちはどうなったのだろう?

 クロードのことを疑っていた女たちや、それに戸惑う男たちが何人も来ていたはずだ。


 きょろきょろと見回すユーナの様子から察したのか、カイルが教えてくれた。


「連中なら先に戻ったよ。

 湖がきれいになって、水も元どおりになったのを見たら、なんだか憑き物が落ちたみたいになってね。

 最初に騒ぎ出した奥さんも、旦那さんに叱られてとてもしょげてた。

 なんでも彼女は、普段から自分が領主に優遇されているのが自慢だったらしい。

 クロードのファンみたいなもんだね。

 それが、湖のことで裏切られたと思って、それで傷ついてカッとなったんだと」


 そんなことあるのかな、と苦笑する。

 話しているカイル自身も理解できない感情のようだ。


 後ろからムーニーの声が言う。


「世の中には、人の評価がゼロか百しかない、極端な手合いがいるんですよ。

 愛憎が表裏一体といいますかね。

 よくされればベタ惚れするし、ひとつ気に食わないと毛嫌いする。

 まわりの者は振り回されて大変だ。

 まあ彼女の場合は旦那さんが性質を理解してくれてるから、まだマシでしょう。

 素直といえば素直なわけですし、明日にでも泣きながら謝罪にくると思いますよ」


 イッヒッヒ、と人の悪い笑いかたをする。


 ユーナは、この商売人のことがすこしわかった。

 とても露悪的なのだ。

 ふつうの者なら必ずある、人によく見られたいという気持ちがまるでないのではないだろうか。

 それはただの性格かもしれないし、相手の反応を見てふるいにかける、商売人としてのテクニックなのかもしれない。


 いまだって、厄介な女性の悪口をいうふりをして、本当は話を逸らしてくれている。

 ユーナが聖女だったという話題から。


「ムーニーさん、ありがとうございます。

 話を戻して大丈夫です。

 もしかして、わたしが聖女だってこと、気づいていましたか?」

「ああ、そりゃあまあ、ひと目で気づいたよ」

「ひと目でって……最初から?」


 驚く彼女に、こともなげにムーニーはいう。


「あんたは、自分のことを低く見積もりすぎだ。

 教会はいちばんの加護を持つ聖女がいなくなったってんで、ほうぼうに人をやって探してるんだよ。

 顔の広いあっしに情報がこないわけがない」

「ええ? 探してるんですか?」

「当たり前だろうに……。

 まさか自覚してないとは思わなかったよ。

 だからあっしが最初のときに『聖女』って言葉を出しても、危険を感じて姿をくらませなかったわけかい。

 今月も何食わぬ顔でメイドをやっているから、こっちが驚いたよ」


 あれはわざと振った話題だったのか。

 だとすると彼は、ユーナが逃げた聖女だということも、教会が探していることも承知のうえで、彼女に逃げる機会を与えたことになる。

 わかりにくいが、やはりお人好しだ。


「じゃあ、野菜の値段も赤字覚悟ですか?」

「は? そんなわけないよ。

 赤字でやるなんて慈善事業じゃないんだから、そんなところを部下に見られたら舐められちまう。

 あっというまに尾ひれがついて広まるね。

 ムーン商会は頼めばロハで物をくれるって。

 舐められたら商売人はおしまいさ。

 鬼と罵られようが、品薄の商品価格に足代と人件費をきっちり乗せて請求させてもらったよ」

「儲けを乗せ忘れていませんか?」


 ユーナが笑顔で指摘すると、ムーニーは「ふん」と鼻を鳴らして、懐から出した封筒を押しつけてきた。


 封筒?

 どういうことだろう。

 受け取ったユーナがよく見ると、白い封筒に、教会の赤い封蝋が押されている。


「えっ、教会?

 なんですかこれ?」

「中身までは知らないね。

 あっしはただ、あんたのいた教会に伝えたんだ。

 場所は教えられないが元気にしていると。

 あんまり必死になって探していたもんだから、安否くらいは知らせてもいいかと思ってね。

 そしたら数日後に、ひとりの聖女が店にきた。

 おつかいのついでと言っていたが、どうしてもという感じであんた宛の手紙を押しつけてくるから、あっしもつい受け取っちまったというわけさ」


 ひとりの聖女。

 司祭長ではないということだ。

 ユーナの頭に、何人かの顔が思い浮かぶ。

 特別な親友という聖女はいないが、いろいろと教えた後輩や、比較的よく話す同僚はいた。


 が、


「名前は、ルイザとかいったかねえ。

 気の強そうな目をした聖女だったが、あっしには、ずいぶんと弱っているように見えたよ」

「ルイザ!

 聖女ルイザがこれをわたしに?」


 白い封筒をもういちど見る。

 ユーナの目には、そこに、最後に見たルイザの顔が浮かんで見えた。

 計画どおりにユーナの大切な役目を奪い、気の毒がりながらも腹のなかで笑っていた、彼女の顔が。


「ユーナ、着いたよ」


 不意にクロードの声がして、ユーナは引き戻された。

 そうだった。

 いまは彼に背負われ、屋敷へと運ばれていたのだ。


 あまりにその背中が心地よかったのと、彼が黙ってユーナとムーニーの話を聞いていたのとで、まるで高級な馬車にでも揺られている気分になっていた。


「く、クロード様、ありがとうございました!

 命を助けていただいただけでなく、ここまで運んでいただいて。

 このご恩は必ず――」

「いや、礼をいうのはぼくのほうだ。

 きみは自分のしたことをもう忘れたのか?

 でもいまは、湯で身体を温めて、まずはゆっくり休んでくれ。

 話すべきことはたくさんあるけど、とにかくあとだ」

「はい」


 ユーナはクロードたち三人に深々と頭を下げてから、屋敷の自室へと戻っていった。

 手には聖女ルイザからの手紙を持って。

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