第19話 奇跡の光

 ユーナが水源洞窟に戻ると、そこは出たときよりもさらに混乱を極めていた。


 村から呼ばれてきた男たちが困惑している。

 女たちの言うことが突飛すぎて、そのまま従っていいものか迷っているのだ。


「いいからあんた、クロード坊っちゃんを捕まえて、罪を償わせるんだよ」

「罪ったって、そんなものあるのか?

 この湖が汚れている?

 こんなの、どう見たって勝手に苔が腐っただけだ」

「うるさい男だね。

 みんなが言ってんだから、捕まえればいいんだよ」


 病の原因を知って動揺した女たちとは対照的に、男たちは自分の不調の理由がわかったことで、却って落ち着いたように見える。

 もはや謎の病ではないのだから、医者だってどの薬を出せばいいか判断できるだろう。

 光明が見えた気分なのかもしれない。


 一方、騒ぎの中心のはずのクロードは、岩場に腰かけてうなだれている。

 まるで、斬首刑を待つ罪人のようだ。


 ユーナは彼に声をかけたいと思ったが、我慢した。

 まずはこの事態を収拾しなければ、彼にはきっとどんな言葉も届かない。


 戻ってきたユーナに真っ先に気づいたのは、洞窟の混乱を俯瞰するように眺め、やれやれと頭を掻いているムーニーだった。


「おや、ずいぶんお早いお帰りで。

 見かけによらず健脚だねえ」

「……わたしの格好を見て、驚かないんですね」

「格好?

 ああ、とっても似合っているとも。

 ふさわしい、と言うべきかな」


 行商人はそう言って、値踏みするようにユーナの全身を眺める。


 ユーナは、真っ白い修道服を着ていた。

 祭事用の特別なものだ。

 教会を飛び出したときに、これまでの証として鞄に潜ませてきた。

 もう二度とこの袖に腕を通すことはないと思っていたが、いまは、このときのために持ってきたようにすら感じている。

 神様のお導きに違いない。


 次にユーナに気づいたのはカイルだった。

 口をあんぐり開けて目を丸くしている。


「ユーナ、それは……?

 なんできみが、聖女様の格好をしている。

 いったい、なにをするつもりだ?」

「お婆様の名誉を守ります。

 わたし頑張りますから、見ていてください」

「婆ちゃんの名誉って……。

 さっきはああ言われてついカッとなったが、べつに、まえから言われていたことだし、おれも婆ちゃんも気にしないよ。

 でもまあ、きみがなにかするなら、おれは止めない。

 本当はクロードのためなんだろう?」


 返事の代わりににっこりと笑って、ユーナは水源の湖へと足を進めた。


 水辺で靴を脱いで裸足になる。

 飲み水の源に足をつけることには抵抗をおぼえるが、すでに濁っている水なので気にしても仕方がない。

 指の先から入り、数歩あるくとすぐにふくらはぎまで水に浸かった。


 冬の湧き水は冷たい。

 氷水のようだ。


 でも、大丈夫。

 教会では毎朝、清めの水を肩から浴びていた。

 冬場は嫌がってフリだけする同僚もいたが、ユーナは一度も怠ったことがない。

 ひと一倍、我慢強いのが売りなのだ。


 さらに足を前に動かす。

 腐った苔がまとわりついてぬるぬるする。

 足を滑らせないよう、ゆっくりゆっくり進む。


 湖の中心までたどり着いた。

 水深はすでに胸まである。

 足がつく深さでよかった、とユーナは思った。


 目を閉じる。

 すう、と息を吸って、詠唱を開始する。


「かすかに残りし命の輝きよ――

 抗いがたき眠りの重さを解き放て――」


 ユーナの足元が光った。

 触れている部分から、苔の再生がはじまる。


 ムーニーが「すばらしいですねえ」とあごを撫でながら感嘆すると、ほかの者も、湖で起こりつつある奇跡に気がついた。


 カイルは、「ユーナ、きみはいったい……?」と驚いている。

 言い争っていた村人たちも、何ごとかとユーナのほうに目をやり、黙った。


 湖に背を向けて座っているクロードは、背中から光を浴びて影が濃くなったことに気づいた。

 振り向くと、水源の真ん中でユーナが輝いている。


「時の迷いに破れし悲しみよ――

 ありうべき選択をやりなおせ――」


 ユーナは澄んだ声で詠唱を続ける。

 足元の光はしだいにその範囲を拡大し、彼女を中心とした円の半径を広げてゆく。


 湧き水はこんこんと溢れ、濁りを押し流す。

 苔の復活した部分から、湖は青い輝きを取り戻していった。


 ユーナの光はすでに湖全体にまで広がり、洞窟のなかはまばゆいほどに青白く光っている。


 誰かが、「奇跡だ……」と呟いた。

 そうとしか表現できない光景に、見ている全員が息を飲んだ。


 そして――


「神様、ありがとうございます。

 逃げ出したわたしに、手を貸してくださって……」


 最後にユーナは上を向いて微笑むと、力尽きるように水のなかへと姿を消した。

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