第17話 元聖女の決心

 ユーナは耳を疑った。

 クロードが領民を害することをするはずがない。

 彼は領民の病のために心を痛め、みずからの健康まで損なってしまうような領主だ。


 ほかの女性たちもそう思ったのだろう。

 クロードに向かって叫ぶその女を諌めようとしたが、彼女は耳を貸さずに再び言う。


「汚れた水を飲ませて、あたしたちを殺そうっていうんだろう?

 行商人にそれがバレたから、こうして白々しく驚いたふりをして見せてるんだ。

 本当は、村人が邪魔なんだよ。

 領主なんかやめて、ただの子どもに戻りたいのさ」


 無茶苦茶だ。

 彼女だって、これまでクロードが良き領主たろうとして村に何度も足を運んでいる姿を見てきたはず。


 たしか彼女は、クロードが「欲っかきだから」と言って大きなジャガイモを配っていた家の奥さんだ。

 ユーナは、特別な配慮をしてもらっている彼女が、そうやってクロードのことを悪く言うことが信じられなかった。


 女のほうへと一歩進み、諭すようにいう。


「クロード様は絶対にそんなことをなさいません。

 彼の顔を見てください。

 目の下のくまがわかりませんか?

 これは村のみなさんのことを思って、彼が毎夜悩んでいる証です」


 だが女は、ユーナの言葉を鼻で笑った。


「悩んでいる理由が違うよ。

 あたしたちを殺す罪悪感に悩んでいるんだろう?」

「そんな、クロード様は――」

「黙りな。

 なにもこっちだって憶測でものを言ってるわけじゃない。

 証拠があるんだ」


 それまで黙って聞いていたクロードが、「証拠?」と呟いた。


「そうだ、証拠だよ。

 ひとつめはあんたたち屋敷の連中が、けっしてこの川の水を飲まないってこと。

 屋敷にだけ井戸があるだろう?

 あれはきっと、こうやって村人を切り捨てるときのための安全策だったのさ」


 クロードが井戸がすでに枯れていることを告げると、彼女は「じゃあこの川の水を飲んでいるのかい?」と挑発的に質問した。


「いや……裏山の川から汲んでいる。

 でも違うんだ、うちの屋敷からだとこの川よりも近いからそうしているだけだ。

 誓って、ほかの理由はない」

「どうだろうねえ?

 だってあたしは知っているんだよ」


 そういって女は、ほかの女性たちに目配せをした。

 周りは、彼女がなにを言わんとしているのかがわかったらしい。

 全員の視線が、カイルへと集まる。


「え、おれ?

 おれがどうしたって?」


 戸惑うカイルに、女がいう。


「クロード坊っちゃんと仲良しのあんたの家だけ、近ごろ、この川の水を飲んでないね?

 遠いにもかかわらず、わざわざ裏山まで汲みに行っているのをあたしたちは毎日見ているよ。

 川の水が腐っているのを知っている坊っちゃんから、あんただけは聞いていたんだろう?

 これがふたつめの証拠ってわけさ」

「なっ……違う!

 おれは、婆ちゃんがこの川の水を飲んでくれなくなったから、しかたなく裏山まで行っていたんだ。

 臭いはおれにはわからなかったし、年寄り特有の難癖だと思っていた。

 本当だ、クロードからはなにも聞いてない」


 女は、「なるほどね、巧妙だ」と笑う。


「あんたの婆ちゃんってのは、たしか先代のお気に入りだったろう?

 メイド長だか知らないが、本当は妾という噂もあったくらいだ。

 それなら、口減らしのときの自衛策を聞かされていてもまったくふしぎじゃあないね」

「なんだと!

 婆ちゃんになんてことを言うッ!」


 カイルが激昂する後ろで、ユーナは、状況の不利を悟っていた。

 女の言うことは証拠でもなんでもない。

 ただの思い込みの言いがかりだ。

 結論ありきで、ほかのことをその結論に合うよう、強引にねじ曲げて繋げているにすぎない。

 牽強付会という言葉そのままの思考だ。


 誰かが冷静に「そんな馬鹿な」と言えば、それで一笑に付される程度の話だっただろう。


 だが、状況があまりによくない。


 ここにいるのは、夫の病で悩み、明日の暮らしに不安を抱えている者ばかりだ。

 そして目のまえには、異常な湖がある。

 不安と混乱は、冷静な思考を失わせてしまう。


 案の定――


「まさか、領主様が……?」

「クロード坊っちゃんは悪人じゃないが、でも、貧しさは人を変えるって言うし……」

「不作と疫病がいっぺんにくるなんて、おかしい気はしていたんだ」


 女性たちの心が揺らぎだした。

 こうなると集団は恐ろしい。

 周りの不安が自分の不安を増強し、みるみるうちに言いがかりが真実を駆逐しはじめる。


「おいおい、あんたたち、馬鹿なことを言うな。

 さっきあの柵のところで、あっしたちが苦労して開けていたのを見ていただろう?

 地面もきれいだったし、水源がこうなってからここに立ち入った者なんていやしないと証言できる。

 クロードさんのしわざでも、ほかの誰のしわざでもないよ。

 こいつは自然現象だ」


 ムーニーの正論は、もう彼女たちの心に届かない。


「領主があたしたちを殺そうとしている!

 男たちに知らせて、とっつかまえなきゃいけない」


 誰かがそう叫び、何人かが実際に男手を求めて村のほうへと駆けて行った。

 カイルとムーニーが追いかけようとするが、クロードが「好きにさせよう」と言ってそれを止める。


「水源の汚染を放置してしまった事実は、どう言い繕っても変わらない。

 ぼくのせいだと、ぼく自身も思っている。

 そこに悪意があるとかないとか、そんなことはもう、どうだっていいことなんだ。

 みんながぼくをどうにかしたいって言うなら、ぼくはそれに従うつもりだ」

「クロード様……」


 ユーナの目には、打ちひしがれた若い領主が、おのれの理想を手放そうとしているように見えた。

 あんなに領民を第一に考え、自分の屋敷が荒れようがお構いなしだった彼が。

 その領民によって裏切られようとしている。


 ダメだ。

 これは絶対に、起こってはいけないことだ。


 その強い思いが、元聖女を決心させた。


「わたし、急いで屋敷に戻ります。

 すぐに帰ってきますから、それまでは絶対に、あなたの理想をあきらめないでください。

 クロード様、わたしは理想を語るあなたが大好きなんです」


 そう言ってユーナは、聖女のような優しい顔で迷える少年領主を抱擁し、すぐに洞窟の外へと走りだした。

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