第14話 メイド長

「あちこちの家で具合を悪くしている者がいた。

 働いている男たちが中心だったし、本人たちも疲労のせいだろうと言っていたが……もしこれが流行り病のたぐいだったら大変なことになる。

 寝たきりで体力のないカイルの婆ちゃんが心配だ」


 カイルの家へと入るまえに、クロードが言った。

 先ほどのおじさんの家で彼が考え込んでいる様子だったのは、このことを懸念していたのだ。


 流行り病――

 ユーナの世代は幸いなことに経験がないが、百年ほど昔には人口が半減するほどの大流行があったらしい。

 市街地から始まり、知らずに持ち帰った人びとが自分の村を滅ぼすこともあったという。

 伝染という現象によって、罪もない者が次々に命を落とすのは、想像を絶するほどの悲劇だ。

 クロードが不安がるのも無理はない。


 ユーナは息を飲んで、ノックされた扉が内側から開けられるのを待った。

 だが、


「おお? ふたり揃ってどうしたんだ?

 うちは連れ込み宿じゃないからな。

 健全な男女のみ扉をくぐることを許そう」


 出てきたカイルは、明るい表情で冗談を飛ばした。

 ユーナは緊張が緩んだし、きっとクロードもほっとしたのだろう。

 そんなカイルの頭を背伸びして軽く叩き、大股で勢いよく部屋に入っていった。


「おじゃまします、カイル」

「うん、ここではひさしぶりだねユーナ。

 クロードのやつ、なにか良いことでもあったのかい?

 ずいぶんと機嫌が良さそうだ」

「さっきまで難しい顔してたんですよ。

 カイルに会って、元気が出たみたい」


 ふうん、と言いながら部屋に案内してくれる。

 するとそこには、


「あんたが噂のユーナかね。

 孫のカイルがいつも世話になってるね。

 ガヴァルダの屋敷に行くたび、クロード様とあんたの話ばっかり聞かされるよ」


 白髪の老婆が、しゃんと背を伸ばして座っていた。

 まえにここに来たときは隣の寝室に寝ていた、カイルの祖母だろう。

 真っ白だがきちんと整えた髪に、身なりも質素ながらきれいにしている。

 老教師のような厳しさと優しさを兼ね備えた深いまなざしを持つ、とても立派な老人だ。


 ユーナは、ぴんと背筋が伸びた気持ちになって挨拶する。


「はじめまして、ユーナと申します。

 お会いできて嬉しいです。

 本日は雇い主のクロード様の付き添いで参りました。

 どうぞ、よろしくお願いします」

「うん、いいお辞儀だ。

 ちゃんとした教育を受けているね。

 あんたの後ろには、あたしみたいなやかましい大人の幻が見えるよ」


 握手をすると、老人の乾いた硬い皮膚の感触がしたが、力強く握る彼女の手はとても温かかった。

 なんとなくだが、教会の司祭長をユーナは連想した。


 カイルが苦笑する。


「婆ちゃん、ユーナを怖がらせないでよ。

 もうメイド長じゃないんだから、気楽にしなって」

「うるさい孫だね。

 いいからあんたはクロード様にお茶をお出ししな。

 とっておきのやつをだ」

「はいはい」

「『はい』は一度でいいって何度も言ってるだろう」

「はいッ!」


 敬礼してカイルはキッチンへと向かった。

 叱られるのが嬉しいわけでもないだろうに、彼はスキップしそうなほど足取りが軽かった。


「クロード様、メイド長って……?」


 ユーナは、さっきのカイルの言葉が気になって訊いた。

 答えたのはカイルの祖母のほうだった。


「あたしはね、去年お暇をいただくまで、五十年以上もガヴァルダの屋敷で働かせていただいてたんだ。

 使用人のまとめ役をやってたんで、いつしかメイド長と呼ばれていたね」

「大先輩だったんですね。

 長いあいだご苦労様でした。

 去年というと、先代が……」

「そうさね、辞めたのはそのあとさ。

 幼なじみのあのかたが亡くなったことにガックリきたというのもあるが、亡くなるまえにこの村以外の領地をティンズリーに譲って、使用人もほとんどがそっちに移ったんだ。

 教えるメイドもいないのにメイド長ってのもおかしいだろう?

 役目を終えたってのが正確なところだ」


 遠い目をして語る元メイド長に、クロードがずっと訊きたかったといった様子で質問する。


「爺ちゃんもあなたも、はやくに連れ合いを亡くしてずっと独り身だった。

 ぼくは幼いころ、あなたのことを本当の祖母だと思っていた時期があるくらいなんだ。

 一緒になるという選択肢はなかったのか?」


 すこし驚いたようだったが、クロードが男女のことを訊く年ごろになったのが嬉しかったのかもしれない。

 彼女はやわらかい表情になって答えた。


「選択肢はなかったということもない。

 あのかたのことは幼いころから尊敬していたが、尊敬のなかに好意がなかったといえば嘘になる。

 ただまあ、タイミングを逃したのさ。

 気づいたらあのかたは領民のための領主となり、あたしは若い使用人たちのためのメイド長となっていた。

 自分たちの幸せをどうこう考える立場ではなくなっていた……なんていうと、すこし格好つけすぎかねえ。

 もっとも、これはあたしの意見だから、あのかたに訊けば『口うるさい女はごめんだよ』なんてあっさり言われるかもしれないけどね」


 ユーナはその返答が意外だった。

 てっきり、使用人と領主が結婚なんてありえないと答えると思っていたのだ。

 この厳格そうな女性が、身分の差を理解していないはずがない。


 そんなユーナの気持ちが透けていたのか、老女はつけ加える。


「身分違いの結婚は、よく聞く話だよ。

 悪くいうものはいるけどね、結局そんなものは、心しだいでどうとでもなる。

 そんなことを気にして手も繋げない男がいたら、いまのあたしなら逆に怒鳴りつけるかもしれないね」


 最後の言葉にクロードがなにか反応しようとしたところで、カイルがお茶を持って戻ってきた。

 余計な勘繰りを入れる老人に、「ぼくたちはそんな関係じゃない」と反論するつもりだったのかもしれない。

 ユーナはその言葉を聞かずに済んで内心ほっとしていたが、焦る彼を見てみたかったとも思っていた。


 その後は屋敷の仕事についてユーナが質問したり、最近のゴールディやクレアの近況を伝えてたりして時間が過ぎていった。


 ふたりがカイルの家を出るころには、初冬の長くない日が落ちて、周辺はすっかり暗くなっていた。


「はやく帰らないと、ゴールディたちが夕食のおあずけをくらってカンカンだ」

「はい、急ぎましょう。

 それにしてもカイルのお婆様、すっかり元気になられたようで安心しました」

「うん、ぼくも安心した。

 流行り病は杞憂だったみたいだね。

 男たちも、来週の出発まで身体を休めればきっと元気になってくれるはずだ。

 ――あ、ユーナ、暗いけど足元だいじょうぶかい?

 ぼくはこのあたりの道に慣れているから、先導しよう。

 ユーナに怪我でもされたら、雇い主として情けない」


 そう言って差し伸べた手をユーナが掴み、ふたりは仲の良いきょうだいのように、手をつないで家路を急いでいった。

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