第6話 元聖女の加護
「ふう……やっと人心地ついたわ」
ユーナは、自室としてあてがわれた部屋で、ベッドに大の字になって伸びをした。
司祭長が見ていたら――以下略。
もうそんなの気にしない、と自分に言い聞かせる。
今日は初日だし夕食までの時間は好きにしていいと言われたので、お言葉に甘えてすこしここで過ごすことにした。
この部屋はもとはゲストルームだったらしい。
部屋だけはたくさんあるというので個室として彼女が使わせてもらえることになった。
ただ、さすがにクレアだけでは普段使わない部屋まで掃除は行き届いていないらしく、ユーナが案内されたときには埃が積もっていた。
クロードに水汲み場を教えてもらい、床の拭き掃除とベッドメイクをおこなってようやく落ち着いたというわけだ。
「それにしても、あの水汲み場は不便だわ。
改善の余地ありね」
屋敷の脇に井戸があるのが見えていたのだが、クロードはそれを使わずに裏山の川まで汲みに行くことを教えてくれた。
井戸は涸れているらしい。
そして当然のごとく、この屋敷には新しく掘るための費用はないそうだ。
とはいえ、水は食事にも家事にも必要なものだ。
歩いて十分の道のりを、日に何度往復しているのだろう。
せめて一度に運べる量を増やすため、荷車でも使ったほうがいいのではないかとユーナは考えていた。
おそらく、このレベルの問題がこの屋敷には山積している。
お金はなくとも、ひとつひとつ解決していくことで、もうすこし彼らは快適な生活が送れるにちがいない。
「ただあんまり、そういうことを望んでなさそう。
不便とか、気にしてないのかも」
ふしぎだった。
清貧をむねとする教会でさえ、日常的に不便なことには意見をするのが当たり前だった。
贅沢さえしなければ問題ない、という考えかただ。
洗面所のタオルの置き場所から、食堂の調味料の並べかたまで、十人以上もいる聖女たちがああでもないこうでもないと意見を出し合っていた。
なにかが根本的に違うのかもしれない。
ただ、いまのユーナには、それがなんなのかを具体的に言葉にすることができなかった。
「教会……聖女……。
あっ、そういえば」
教会のことを思い出したせいで、いままで忘れていたことが不意に気になった。
自分の聖女としての力は、どうなったのだろう?
思えばユーナは、正式に破門されていない。
なにか不浄なことをおこなったり戒律を破ったりして、加護を剥奪されたわけではない。
勝手にやめて、飛び出してきただけだ。
ユーナはベッドから立ち上がり、チェストの上に置いてあった花瓶を持ってきた。
先ほど部屋を掃除したあと、彼女が自分で飾ったものだった。
水を汲みに行った裏山でぽっきりと折れた花を見つけ、水に挿しておけば元気になるのではないかと思い、花瓶を借りて生けておいたのだ。
残念ながら水を吸い上げる元気がないようで、見つけたときよりもしおれている。
試すにはちょうどいい。
ユーナは花瓶を両手で持ち、ベッドの上で正座をして祈る。
「かすかに残りし命の輝きよ――
抗いがたき眠りの重さを解き放て――」
手のひらから光が広がり、花瓶と花を包んでゆく。
しだいに元気を取り戻したその花の姿は、ユーナに彼女の加護の力が失われていないことを教えてくれた。
聖女の加護――
大昔の聖女には、それこそ大怪我を治すほどの力があったらしい。
でも、現代の聖女にはそこまでの加護はない。
ユーナは同僚のなかでも特別に力が強いほうだったが、それでもこうやって、すこし元気がないものを元気づけるくらいがせいぜいだった。
人間でいうと、こじらせそうな風邪を快方に向かわせたり、食あたりを軽度で済ませたりという、その程度。
ユーナの中にあるイメージとしては、悪いほうに振れそうな針をそっと良いほうに動かす感じだった。
さっきの花も、花瓶に挿したときには持ち直すかどうか五分五分だと思ったから、悪いほうの五分を、良いほうの五分にすり替えたイメージだ。
もともと望みがないことは起こせないので、教会にいたときも、そこまで活躍できる機会は訪れなかった。
「これ……教会から出たわたしが使ってはいけないものよね。
聖女をやめたのに聖女の加護を使えたらおかしいし、もう使わないようにしなくちゃ。
屋敷のみんなにも内緒にしたほうがいいわ」
と、そこで。
ノックの音が聞こえてドアが開いた。
「きゃっ!」
「ユーナ、夕食の支度ができたってゴールディが……あれ? どうしたんだい?」
開けたドアから覗くクロード。
彼の目に飛び込んできたのは、ベッドの上で花瓶をひっくり返し、胸のあたりをびしょ濡れにしたユーナの姿だった。
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