第16話 趣味
「そういえばハナさんって趣味とかあるの?」
鳩小屋の鍵を壊して開けて、鳩が飛び立ったのを見送った時に聞いた。それにしても、案外街中でも鳩を飼っている人はいたのだなぁと思った。
「ないです」
やっぱりね。
「それはこれまでもこれからも?」
「そうですね。私が生まれたのはそもそも一ヶ月程前ですし、このミッションが終わったら、私の自我らしきものは失われます」
「えっ、そうなの?」
「はい。私もあなた方と同じように分子分解されます」
「なんで?」
「そのように決まってますから」
そうですか。決まってますか。じゃあ、仕方ないですね。きっとよくはわからないけど、宇宙の大帝国だとか、大同盟だとかがあって、そういうのに強力に決められているのでしょうね。逆らうことなんて無理なんでしょう。ちっぽけな星のちっぽけな学校の教室で、全然逆らうこともできなかった人間ですから、よくわかります。
けど、なんだか、モヤモヤします。
「命が惜しいとか、もっと生きたいとか思う?」
そう聞くと、ハナさんは変な方向からボールが飛んできたみたいな呆気にとられた顔をして、なんと吹き出した。
「あなたがそれ聞きます?」
「たしかに」
俺も吹き出した。
自分の命も、他人の命も、人間なら平等に軽く扱っているのに、何を言ってるんだか。
次に飛んだのは、いわゆる子犬工場といわれるようなところだった。狭い箱の中にヨロヨロになった犬が無数にいた。劣悪そのものの環境で、糞尿が固まってこびりついていた。悪臭が鼻をつき、ハナさんも口を手で反射的におおっていた。怯えきった目、健気に吠える奴、生きる喜びを何も知らないまま搾取され尽くした体。涙が出そうになったけど、泣いていることなどできない。俺の涙になんの価値もない。俺が人間でいる限り。強烈にそう思った。そして、やはり人間を消してよかったと思った。なるべく、エサを食べられるようにあちらこちらに置かれた餌の袋を開けた。水も置いておいた。初めて出るような外界、自由に戸惑う犬たちに「ごめんね」と言って、そこを去った。
今度は動物園に行った。
大きな動物たちの檻を開けたり、出れるようにしたのは緊張した。虎とか威嚇してくるので、ほぼハナさんにやってもらった。動物たちはハナさんを襲わなかった。恐れているようだった。
「強いっすね」
「別に」
次の場所に飛んだ。そこはどこかわからなかった。というのも真っ暗だったからだ。
「どうしよっか」と言ったら、ハナさんの目が光った。二つの懐中電灯のように辺りを照らした。
「うわっ、マジっすか、それ!ぐっ、ふっ、うわははははははは!」
耐えようとしたけど駄目だった。
「少々身体の仕組みを変えました。何か?」
こちらの方をビカッー!と向いてくる。目が眩むがなんとなく怒っている気がした。
「笑ってすいませんでした」
ハナさんは鼻でため息をついてから、改めて前を向いた。
そこには、大きな檻があった。真っ黒で、よく使い込まれているような鈍い光を放っていた。
床を照らす。すると、モゾモゾと何かが動いた。
「えっ、なに?」
犬か猫か?それにしてはかなり大きい。ハナさんの光が定まる。ボロ布に包まれたそれはこちらを見ていた。人間の目で。
「えっ?猿?」
猿かと思った。だって、人間はもう生きていないはずだから。
だけど、それはどうも人間のようだった。
手足がなくて、這いずり回ることしかできないけれど、間違いなく人間で、大人の体をしていた。多分、女性だ。けれど、乳房は削られていた。文字通りカンナか何かで削られたような酷い傷跡があった。乳首はもうなかった。
そして、なんでそんなものが見えたのかといえば、俺たちの姿を認めると「あーあぁ」と言い、ボロ布をはだけさせて、くるんとそれは仰向けになったからだ。
そうして、誘うように媚びた笑顔を向けた。でも、確実にその笑顔には怯えが入っていた。その表情は、多くのことを物語っていた。どんな扱いをこれまで受けてきたのか、ということの。
「彼女は、なんで生きているのでしょう?」
ハナさんに聞いた。彼女から目を離さずに。
「おそらく人間と認識されなかったのでしょう。身体的にも精神的にも認知的にもあらゆる点で、彼女が人間とみなされることがなかったのてしょう。それは過去においても、ということです」
過去においても。その言葉を聞きながら、部屋の隅に手術台のようなものがあるのが、暗闇に慣れた目にうつった。その台はひどく汚れていて、メスやハサミもあった。
そしてその奥にはバーベキューで使うようなグリルが置かれていた。
何かの宗教的儀式なのか、頭のおかしい食人鬼の仕業なのか、つまり、彼女は幼い頃、おそらく生まれてからこの方その身を削られては食べられていたようだ。
少しずつ、死なないように外科的処置をしながら、おそらく医療者がいたのだろう。でなければとっくに死んでいるはずだ。
暗い、すえた臭いのする空間で、そんなイメージが湧いた。本当のところはわからない。なぜなら、彼女は一切喋れなかったから。
「彼女も消してやって欲しい」
「申請します」
ハナさんは頷いた。
どうしたらいいかわからなかった。この檻から出したところでどうなるのだろう?多分ここで消えるのを待ったほうがいいんじゃないか。下手に外に出して、彼女は生きていけるのか?僅かな時間でも、とてもそうは思えなかった。
「人間だから、特別に悩んでいるのですか?」
ハナさんが聞いた。
嫌な質問だな、と思った。
「どうも、そうみたい」
やっぱりどこか人間を特別に思ってしまう頭が残っているようで、最悪な気分だった。
とりあえず、檻を開けてみた。すると、彼女は奥の方に行ってしまった。器用にズリズリと。怯えた顔は、酷いことをされてきた経験故だろう。
「ねぇ、彼女みたいに消えなかった人間って結構いるんじゃない?」
俺は自分でも驚くほど苛立った声で聞いた。
「かもしれません」
「かもしれませんじゃ困るよ。だって、どうやって彼女たちは生きていくの?惨たらしく死ぬの?」
「今申請してます」
彼女のように徹底的に人間扱いされてこなかった人間はどのくらいいるんだろう。
人間だからこそこういう風に飼って食べるとして、だとしたら飼い主は人間だって意識があったはずだ。でないと、愉しみがない。
よっぽどこんな仕打ちをしていた奴は狂ってて、牛や豚と区別がついていなかったということなのだろうか。外科手術めいたことをしているのに。
どんな奴なんだよ、糞が。
「ぱ、、、ぱ」
「えっ?」
檻の端っこで体を拡げながら、彼女は繰り返した。
「ぱ、ぱ、き、て」
彼女は、搾取され尽くした体で笑んでいた。精一杯。
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