第8話 ホテルへ
黒と白のコントラスト、白いホットパンツと黒いエプロンという、頭のおかしいやつがデザインしたとしか思えない仕事着を着て、彼女は参上なすった。
正直天使より天使だと思った。神の恩寵を一手に引き受けた何かかと思った。サムシング。言葉に言い表せない何か。
さっきの子も当然可愛かったけれど、好みが過ぎた。もはや俺は彼女という美を鑑賞するためにこの世に生まれたのではないか、とすら錯覚した。
名前すら知らない彼女。
近づくのもためらってしまう彼女。
こんなこと一方的に思っているのはキモいし、今ここにいること自体がストーカーじみていて、ヤバイ、というかヤヴァイ。マジでヤヴァイ自覚はある。
けど、なんだろう?
もう、どうでいいか。
どうでもいいだろう。
どうせ人生捨て鉢なのだ。それじゃあ、当たって砕けろだろ、俺自身のことなんてどうでもいいや。
行かなきゃ。
俺は、またも行かなきゃと、彼女にアプローチをかけるべく立ち上がった。
ヤヴァイ。だって、彼氏が目の前にいる。
しかも、そいつには頭を殴られている。トンカチで。
ヤヴァイ。殺されるかも。
いや、それよりも、彼女は困惑するだろう。さすがに。
だって、何日か前にショッピングモールで声を掛けてきたやつが、こんなところでまたしても声を掛けて来るのだ。
ライブだ。ライブ感覚が大事だ。
乗りこなせ。行くんだ。別に死んだっていいだろ。
どうせだから、よく観て、なるべく俯瞰して、楽しくやるんだ。
どうせ、すべてはフィクションなのだから。
どうせ、クソゲーだろ?
「こんにちは」
「あぁ?」
先に声を上げたのは、やはり男の方だった。
「こんにちは」
男の方を向いて、俺は改めてあいさつした。最初のあいさつは彼女に向けてだったけど、彼女は相変わらずの無表情だった。彼女は男の前のソファに、テーブルをはさんで座っていた。
「だれだお前?」
男は俺のことを覚えていないらしい。トンカチでぶっ叩いたのに、覚えていないものなのだな。こいつにとっては日常茶飯事なのか?でも、そんなことはどうでもいいや、精一杯利用させてもらうぜよってことで。
「覚えてないですかぁ?」
俺はわざとらしく包帯を指差す。
すると男は「あぁ」と言った。特に驚いた様子も焦る様子もない。本当に今、俺をこの前ぶっ叩いたやつだと認識しただけみたいだった。
ちょっと違和感を感じた。どのような人間でも、もう少しなにかしらの反応あってもいいものだと思った。目の前に傷害被害者がいて、自分が加害者なのだ。普通、警察に捕まるかも、とか思わないものだろうか。
それなのに、この男、まるで虫を見る時のような目をしていた。ナンパを断る女の子が時折見せるあの目をだった。本当にくだらないので、感情を見せることさえ惜しむような、不遜で傲慢な表情。
とりあえず、この男は俺のことを人扱いしていないのだな、ということはわかった。今更だけど。
「そんで、何?」
「何!?」
俺は殊更おどろいてみせた。
それが脅迫になるとは思っていない。怯みそうな自分を鼓舞するためだ。
「何ってことはないんじゃないですか?こんな怪我させておいて」
「そうかそうか、悪かったよ、もう行けよ」
まったく心なく謝られた。手をプラプラさせて追い払うジェスチャー付きだ。
けど、そんなの慣れっこだぜ。
「いえいえ、何を言っているんですか。警察行きますか?」
「あぁん?」
「なんですか?また暴力ですか?」
立ち上がりそうな気配を感じて、制するように言う。効果があるかどうかはわからないが、案外この男には通じた。
というより、彼女が男の袖をつかんでいた。
「やめなさい」
男はしぶしぶという感じで従った。
彼女の声はよく通る。それにしたって、この男を制することができるところをみると、DVを受けているということはなさそうだ。多分。
となると、どういう関係だろう?シスコンと美人な姉か妹とか?
なら、ワンチャンあるかも?
浅い期待が持ち上がってくるけど、それは打ち消した。
俺だって馬鹿じゃない。いや、馬鹿だけど、こんなこと馬鹿でもわかる。
こっから俺は改めて告白するけど、そりゃ振られるだろう。そんくらい俯瞰できている。
でも、それでもいい。
とっとと振られたい。なんか、そんな気分だった。焦燥感に近いものを感じる。
成功するとか失敗するとか、そういうことじゃない。そこにあるドラをぶっ叩いてみたい。そんな、身勝手な気分。
いい音がなるわけがない。けど、こんなことをグチャグチャ考えてるくらいなら、さっさと言っちまって、次のライブに行くんだ。
「君のことを始めてみた時から、ずっと君のことが頭から離れない。本当に身勝手な願いだと思うけど、それを今から言うから、断ってください」
そう、彼女の目をガッツリ見つめて言った。
次に男の方を見る。
「すいません。悪いんですけど、一分くらいだけ、辛抱してください。警察に言うことはしませんので」
そう言うと、男は黙って頷いた。
俺は一回深呼吸してから、彼女に向かって語りかけた。けど、頭の隅っこで、馬鹿みたいな話だけど、ここに来て真剣になれなくて、クソみたいなことを言った。
「俺と、一回でいいんで、セックスしてください!」
そう言って、この前みたいにお辞儀して、手を伸ばした。
でもうつむいた自分の顔は歪んでいたと思う。自分への嫌悪感で。馬鹿だ。クソゲーを俯瞰しきれない。クソゲーの中のクソキャラであることに、土壇場でくだらなくなっちまって、いつも変なことを言っちまう。ぶっ壊したくなっちまう。
「いいよ」
けど、無表情な声が聞こえて、そっと手に冷たい感触があった。
「えっ?」
「ホテル行こうか」
ホテルに行くことになった。
男は吠えてた気がしたけど、俺は気が遠くなりそうだったので、それが耳鳴りみたいに聞こえていた。
目の前の彼女は、何も笑いもせず、無表情のままだった。
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