第33話 職人と素材の一夜

いまにも抜けそうな、てた床板。

カウンターには、目玉だけがギョロリと光る老女。

わずかに残った灯心とうしんに火をともして、出入りする者をじっと見すえている──。


裏道を幾重いくえも抜けた先。

復興の手がまだ届いていない、マシャンテ外区のスラム。

その宿屋は、混み合った路地の中ほどにあった。


狩人が無言のまま、カウンターの老女に数枚のコインを渡す。

老女も無言のまま金を受け取ると、品定しなさだめするようにわたしをジトリと見つめた。

フードを目深まぶかにかぶったわたしは、居心地の悪さに顔をそむける。


大きな影のような男のあとをついて、きしむ階段をのぼっていく。

廊下には、片肌を脱いだ姿のまま、タバコをふかす女。

濃い口紅が崩れたのを直すでもなく、ぼんやり虚空こくうを見つめている。


ヴィドーが部屋の鍵を開ける。

床の隅を、あわてたネズミが駆け抜ける。

いつから、この宿に泊まっていたのだろう。荷物らしい荷物は何もない。


ボロボロの外套コートを脱いだヴィドーは、少し考えて、ベッドのホコリを払った。


「……」


座れ、ということだろう。

わたしは黒ずんだチェストの上に荷物を置いて、ベッドに腰掛けた。

ギィィと音を立てて、ベッドがたわむ。


「……腕は」


蜘蛛の巣がはったランプに火をともしながら、ヴィドーが口を開いた。


「うん……モンスターに──」

「……〈再生〉すればいい」

「羽も、戻っちゃうから」


ヴィドーは、静かにわたしを見下ろした。


「……もう、追われてはいない。元の姿でも──」

「ダメだよ」

「……」

「わかったんだ、ガイド・フェアリーが、この世界の人たちにどう思われているか……フェアリーは、初心者に冒険を強制する。理不尽な世界の象徴みたいなものなんだって──だから、フェアリーとしては生きていけない。少なくとも、この子をちゃんと産んで、育てられるようになるまでは」

「……そうか」


ヴィドーはうなるように言うと、机の下から丸椅子を引き出した。

大柄な狩人には、不釣り合いな椅子に腰をおろすと、重いブーツを履いた足をゴツリと机の上に投げ出す。


わたしは、ブーツのストラップを外しているヴィドーの背に向かって聞いた。


「あの……わたしの代わりに、連れていった子は……」

「……死んではいない」

「死んでは、って……ひどいことされたりとか──」

「聞いてどうする」


たしかに、聞いたからといって、助けにいくことはできないだろう。

身代わりに連れていかれた後輩フェアリーが、想像を絶する拷問を受けていたとして、それを知ったわたしが罪の意識にさいなまれても──救うことができないのなら、結局は知りたいというわたしのエゴが満たされたに過ぎない。


「……ギルドに、出入りしているな」

「うん」

「なぜ?」

「ギルドのメンバーになったから」

「……フェアリーだとは?」

「言ってない。みんな、わたしはエルフだと思ってる」

「……」


ブーツを脱いだヴィドーは、ベッドの反対側に回りこむと、ゴロリと横になった。

頼りないベッドは、大男の体重でますます、大きくたわんだ。


「あのギルドは……普通じゃない」

「そうだね。みんなで、少しずつ世界を変えようとしてる」

「……そういう連中は、敵を作りやすい。意図せず、別の誰かを刺激する」

「それって、心配してくれてるの?」

「いや……警告している」


ヴィドーは、いまもあの謎の青白い男につかえているのだろうか。

聞いたところで、狩人は雇い主の素性を明かしたりはしないだろうけど──警告という言葉を選んだのは、あの青白い男や、その勢力が、ギルドをうとましく思っているから?


「それでも……わたしは、ギルドの人たちが目指している世界が、実現してほしいと願ってる。貢献できるなら、貢献したいって──そこになら、わたしの居場所があるような気がするから」

「……そうか」


言葉が、途切れた。

わたしはベッドの上に転がって、ヴィドーの大きな身体に寄り添った。

ホコリの臭いに混じって、ムッとする狩人の体臭を感じる。


「ね……」

「……なんだ」

「切ってって頼んだら、また切ってくれる?」

「羽を、か」

「うん……」

「それは、か」

「……わからない」


ヴィドーにとって、わたしの羽をるのは、仕事。

わたしの肌を裂くのは、美しい素材を作るため。

〈再生〉で腕を治す帳尻合ちょうじりあわせのためなんて──甘え過ぎ、だよね。


そう、思ったとき、ヴィドーの静かな声がした。


「仕事なら……をもらう」


大きな手が、わたしの肩を抱いた。

安らいでいた心臓が、突然、高鳴りはじめた。

わたしは、震える声で、言った。


「……いいよ……ヴィドーが、ほしいなら」

「……わかった」


ヴィドーは身を起こすと、立ち上がって見慣れた得物えものを取り出した。

なめらかに曲線を描いたやいば──狩人の短刀。


わたしも片手で身体を起こして、ベッドのふちに座りなおした。

上着のボタンをはずす手が、もどかしい。

ふいに、背後から包み込むように太い腕が伸びてくる。


「……かせ」

「うん……」


ボタンを外しきった狩人は、わたしの上着をそっと脱がせる。

モイヤーズが丁寧に巻いてくれた左腕の包帯を、狩人の無骨な指が解いていく──。


「壁が薄い……あまり、声を出すなよ」

「うん……がんばる……」


〈再生〉の苦しみを、ヴィドーは知っている。

〈無痛〉のスキルで痛みは感じない。でも、商人のボルゲスに見せ物にされて、猿ぐつわをされていたときでさえ、〈再生〉の瞬間、わたしは反抗することもできずに叫び声をあげていた。

わたしは、かすかに血の匂いがする包帯をたばねて、しっかり噛んだ。


フーッ、フーッ……


何度か大きく息をすると、わたしはずっと避けてきたスキルを発動した。


──〈再生〉っ!


「んんっ……ん゛ん゛ん゛ん゛っ……!」


左肩の奥から、筋肉を引きずり出されるような感覚。

〈再生〉した血管が血液を通す、ジュブッという耳障みみざわりな音。ベキベキと骨やけんが音を立てて、そりかえった状態で、手首から先が復元されていく。

でも──


「ん゛ん゛ん゛ん゛っ……あ゛あ゛っ!」


わたしは、噛んでいた包帯を吐き出して、うめいた。


「これは……」


ヴィドーがつぶやく。

背中の感覚が、これまでと違う。首や腰、お腹の皮膚が引っ張られるような、強烈な違和感。

焼いてふさいだ古い傷口の中で、急速に〈再生〉していく羽が暴れていた。

背中が異様なまでに盛り上がっているのが、自分でもわかる。


「からだが……さけ……ちゃう……んんあああっ!」

「くっ──」


ヴィドーが、いびつな風船のように膨らんだわたしの背中に、ナイフを入れる。


ブシャアアアアアアアッ


皮膚の下に溜まっていた血液が、飛び出した羽で弾かれて、狩人の全身を濡らした。


「……」


ヴィドーは、血に濡れた顔のまま、反対側にも切れ込みを入れた。

飛び出した羽の付け根の傷は、〈再生〉の効果で瞬時にふさがっていく──。


ドンドンドン


扉が乱暴に叩かれた。


「盛り上がってるとこ悪いけど、ちょっとうるさいよっ」


酒焼けした女の声。

廊下を去っていく足音。

わたしの口をふさいでいた、ヴィドーの大きな手が、ふっとゆるんだ。


「……大丈夫か」

「うん……もう、大丈夫」


久しぶりに、本来の姿に戻ったわたしは、羽の重みに違和感を覚えて、モジモジと身をよじった。

ヴィドーは、額からしたたるわたしの血を、シャツのそでで乱暴にいた。


「ごめん……血まみれになっちゃった」

「かまわん……それより──本当に切っていいんだな」


フフッと、思わずわたしが微笑むと、ヴィドーは眉をひそめた。


「何がおかしい」

「だって……昔、二度は聞かないって言ったくせに、いつも確認してくれるから」

「……くだらないことを、いつまでも覚えているやつだ」


冷たい刃が、羽の付け根に当たる。


「……今度は、ちゃんと〈無痛〉をつけとけよ」

「自分だって、細かいこと覚えてる」

「……」

「あのときは──最後かもしれないって、思ったから……ちゃんと、全部感じたかった」

「……感傷は、理解できん」


スッと、なでるように、ナイフが背中の肉を裂いていく。

わたしの身体を知り尽くした職人の手は、迷うことなく、美しい一筆書きの曲線を描いて──。


うそつき、とわたしは思う。

狩人は、ずっとほしくてしかたなかったのだ。わたしという素材が。

わたしの中を駆け抜ける刃は、感傷を知らないどころか、よろこんでいるじゃない……。


背中が、また軽くなった。

ヴィドーは、刈り取った羽を〈荷物インベントリ〉から取り出した油紙で丁寧に包むと、そっと収納した。


「傷は……診療所で治してもらうから」

「……そうか」

「だから……また、ベッドが汚れるけど、その──」

「……何を言っている」

「だって……対価は?」

「いま、受け取ったが」

「え……」

「お前の羽を、俺のものとして受け取った……はじめて、な」

「あ……」


ヴィドーは突然、大きな手でわたしの頭をクシャクシャとなでた。


「……期待したか?」

「ばっ、ばかっ」


フッと、ヴィドーは鼻を鳴らして息を吐いた──笑った、の……?


「もう行け……」

「うん……」

「いつか──」

「ん……?」


ヴィドーは、星あかりも見えない小さな窓から、夜の裏街を見つめて言った。


「いつか、お前の居場所が見つかることを、俺も祈っている──」

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