第5章 仲間にも、秘密はある

第30話 対立の足音

目を開ける。


くすんだ天板。

風に揺れる、白いカーテンのすそ

月光の照らす、青白い室内──病室。


ベッドの上で、身を起こそうとして、いつもとバランスがちがうことに気づく。

二の腕の真ん中でキマイラに食いちぎられた左腕に、何重にも包帯が巻かれている。


とにかく、生きてる──。


よどみの神殿〉でキマイラを倒したあとのことは、おぼろげにしか思い出せない──と、言いたいところだけれど、〈記憶術〉を発動したままだったので、すべてをハッキリと覚えていた。


猛烈な腐臭。

そして、肉の焦げる臭い。

朽ちていく巨獣の身体から、ずり落ちるように地上に降りる。

重い足をひきずりながら、宝珠オーブの置かれた岩場を登る。

キマイラの放った〈劫火ごうか〉が、沼から噴出するガスに燃え移って、あたりが熱にゆらめいている。


ふいに、右足がぐにゃりと曲がって、わたしはバランスを崩す──痺れが切れたような感覚──ああ、あの毒蛇の牙が──。

無感情なまま、赤紫にれあがった右足を〈解毒〉して、立ち上がる。

自動戦闘オート・アタック〉は、回復系のスキルは使用しない──ほんと、使やつ……。


左腕の傷口から、ボタボタと血がしたたり落ちる。

右手で、自分の頭ほどもある宝珠を抱き抱える。

天井から射してくる光が、わたしを真っ直ぐに照らす。

その光を見上げたとき、〈神殿〉のうつろな空間に、声が響いた。


「リリムさ──」


わたしは、ぼんやりと声の主を見下ろす。

〈澱みの神殿〉の入り口で、あとを追ってきたリースが、言葉を失って立ち尽くしている。

あれだけ、けがらわしいセリフを吐いていたキャンベルも──必死にわたしを止めようと叫んでいたモイヤーズも──誰も、言葉を発しようとしない。


炎のぜる音しかしない、静まり返った空間で、わたしはポツリと言った。


「じゃあ……かえりましょうか──」


こうして、わたしのギルド加入試験は、終わりを迎えた。


深夜。

窓の外の街並みは、いつものように静かだ。

ギルドに加入することって、なんで、そんなに大事だったんだっけ。ぼんやりと思う。


わたしがほしかったのは、ひとりで生きなくていい世界。


転生前の、あの元の世界を知っている人がギルドにいるなら、きっと何かわかりあえる。

そう思って、必死に加入試験で戦った。けど──そんな保証は、本当はどこにもない。


生きようとするたびに、血を流している。

人間らしくいたいと思うたびに、ひとから遠ざかっている。

どうして──。


「……眠れませんか」


背後から声をかけられる。

丸メガネをかけたリースが、微笑んでいた。


「リースさん……」

「調子は、どうかなと思って」

「リースさんこそ……こんな夜中まで?」

「今夜は──今日のことは、メンバーにとっても衝撃的でしたからね……みんな、まだ会議室に」


窓枠にもたれたリースは、ふぅと息を吐いた。


「聞いても、いいですか、リリムさん」

「はい……」

「どうして、このギルドに入ろうと?」

「それは……前に面接で──」

「いや……ああいう、建前たてまえじゃなくて、本当の理由です」


僕はね──と、リースは夜の街に目を向けた。


「僕は昔、戦闘職がメインだったんですよ。冒険者として家を出て、レベリングとスキル集めに明け暮れて──それが、この世界のだと思っていた。でも、レベルキャップに到達してから、次第にむなしさを感じるようになってきたんです。毎日のようにクエストを受けて、魔物を狩り、スキルや報酬を手に入れても……やってくる明日が、また同じ戦いの日々だっていうことに」

「……」

「僕がこのギルドに参加したのは、名門と呼ばれるここになら、新しい冒険が待っているんじゃないかと思ったからなんです。ただの繰り返しではない、未知の世界に踏み出せるんじゃないかって」

「……踏み出せましたか?」


リースは、少しさみしそうに微笑んだ。


「ええまあ……結局、僕自身はそれを支える立場になりましたけどね」

「……」

「でも、いはありません。ここで出会った仲間のおかげで、ことができましたから──」

「思い出す──?」

「この世界の当たり前は、本当の当たり前じゃない──なぜ、僕たちは10代前半で家族を捨てて冒険に出るのか。なぜ、職業が獲得したスキルによって決められるのか。なぜ、モンスターから出る素材は高く、村人が必死に作った野菜や果物は価値が低いのか。この世界は、社会も経済も、すべてがおかしいんですよ──。だから、僕たちはいま、自分たちの当たり前を取り戻すために、戦っているんです」


──ぼくらは、を取り戻そうとしているんですよ。


森林地帯で、学校を建てていた〈建築士アーキテクト〉も、同じことを言っていた。


「リリムさんは──僕とはちがいますよね。身体的なコンディションも……失礼ですけど、冒険に向いている時期だとは思えません。それなのに、なぜ?」


リースが、丸メガネの奥からジッとわたしを見つめた。


「このギルドがやろうとしていることは……似てるから」

「似てるって?」

「昔、わたしがいた場所と、このギルドが作ろうとしている世界は、たぶん、似てるんです」

「それって──」


リースが言いかけたとき、窓の外がにわかに、騒がしくなった。

身を乗り出したリースが、なんだろう、とつぶやく。

足音がして、戸口にランプを持った人影が走り込んできた。


「リリムさん──」

「先生……?」

「よかった、無事だったか」

「いったい……どうしたんですか?」


モイヤーズは、長い髪をかきあげると、息を吐いた。


「キャンベルが逃げた。監視の目をかいくぐって……。それに、転移ポータルでも、不審な集団にポータル・ガイドが刺されたと知らせがあった。おそらく、キャンベルたちだろう」

「じゃあ、森林地帯に──?」


わたしがたずねると、リースが眉をひそめて言った。


「いや、北方ほっぽう、でしょうね」

「ああ……おそらく」


モイヤーズがうなずく。わたしは、ふたりに問いかけた。


「あの……転移ポータルは、市場都市と森林地帯の、ふたつだけなんじゃ──」

「3つめが、最近、北方前線の大氷床だいひょうしょうで発掘されたんです。ギルドとしては設置計画を練っているところだったんですが……は、それを前線のグレイシャー基地で勝手に起動してしまった──」

「彼ら?」


溜め息を吐いて、モイヤーズが言った。


「一部では〈武闘派〉と呼ばれている。北方や南方の最前線で、高難易度のダンジョンをクリアすることに血道をあげている熟練冒険者の連中さ……キャンベルの言っていた、『強いギルド』という思想は、たしかに彼らの考え方に通じるところがある。マスターはこれまで、『ギルドに派閥などない』と言って分断を回避しようとしてきたんだが……こうもあからさまにギルドの秩序を乱されては、もはや対立は避けられまい」


モイヤーズが、長い指でこめかみをさすった。


「とにかく──最大の問題は、やつらが有利だということだ」

「物理的に……?」

「リリムさんも試したかと思うが──転移ポータルは、基本的には転移先にあるポータルと直接、交信したことのある者しか使えない。例外は、転移可能なものとパーティーを組んでいる場合のみ。〈武闘派〉は当然、こちらのポータルと交信済みだが、ギルド本部に詰めていた者は北方前線のポータルと交信したことはない……」


──つまり……彼らはこっちにこられるけど、こちらは向こうにはいけない、ってこと?


「遠征に加わらないで、市場都市を守る任務についていたキャンベルが〈武闘派〉に傾いていたとなると、彼らの信奉者が他にもまだ、本部の中にいる可能性もありますね……」

「ああ……彼らとて、ともに復興してきたこの街に、いきなり攻め込むようなことはしないだろうが、どう動くか──用心に越したことはない。リリムさんへの仕打ちを思えば、やつらに他人の血が流れることへの躊躇ちゅうちょがあるかは疑わしいからな……」


突然、ポンと、わたしの頭に手が置かれた。

モイヤーズが、わたしを見つめていた。


「ほんとうにすまない……君には──君のような人にこそ、我々の理想が実現するところを見てほしかったのだが……その日は、まだ遠いようだ──」

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