第4章 取り戻したい世界

第22話 ポータルがもたらすもの

「……うーん」


公営住宅のベッドに寝転がって、わたしはまた、溜め息を吐いた。

レイシーのポポが、あきれたように言った。


〈リリム、アサカラ、ズット、ゴロゴロ。ガ、ハエルゾ〉

「だってさぁ──」

〈マタ、オカネカ? オカネオカネ。リリム、オカネノコトバカリ〉

「失礼ね。悩んでるのは、お金のことだけじゃないの」

〈ホホゥ?〉


ポポは疑わしげに、双葉をひねる。


闇市のオークションで、隠しフロアから持ち出した装備品が売れていれば──今頃はチートレベリングに必要な〈抗魔薬〉の〈調合〉する作業をはじめていたはずだった。

このアイテムさえあれば、〈幻術師の庭〉の蔵書庫で、サクサクとレベル100に到達できる……それがわかっているのに、実行できない。


必要なのは、お金。

お金、お金、お金。

たしかに、ポポのいうとおり、わたしの思考のかなりの部分は、まだ「お・か・ね」という3音に占領されていた。


でも──

わたしの身代わりに、ヴィドーが連れていった、あのガイド・フェアリー。

彼女は、いったいどうなるのだろう。

あの青白い顔色の男……魔物を動かし、鉱山王を死に追いやった、悪魔のような存在。

そんな強大な力の持ち主が、初心者サポートのフェアリーに、何を求めているというの?


それに、商人のボルゲスが自信満々に話していた、あの話。

子供たちが冒険者となる運命からのがれるために、初心者の親がガイド・フェアリーを売る……そんなことが、本当に行われはじめたのだとしたら──犠牲者は、まだまだ増えるかもしれない。


わたしは起き上がって、外出着のシャツを羽織る。


「……ちょっと、出かけてくる」


そう伝えると、ポポは〈ム……〉と言って、双葉をタランと垂れ下がらせた。


「ごめんね、さみしくして」

〈サ、サミシクナドナイ。サッサトイケ!〉


──まったく……かわいいんだから。


わたしは、行政府に近い広場に向かった。

森林地帯との間を移動できる、転移ポータルが設置された場所だ。


「……出発される方は、こちらです! 到着された方は、あちらでチェックを受けてくださーい」


係員らしい男性が、繰り返し、声を張り上げている。

転移陣が描かれたレリーフの周りにはロープが張られて、市場都市から旅立つ人々と、到着した人々の動線が、きれいに分けられていた。


──転生前の空港みたい……。


そんなことを思いながら、ポータルの周囲を歩いてみる。

再会をよろこぶ人々、出発前に待ち合わせをしているらしい人、商売のためか大きな荷物を抱えた人──。

ポータルのまわりは活気に満ちていたが、ボルゲスの言葉を意識しながら観察すると、ちがう面も見えてきた。


市場都市から出発する人は、どこか華やか。

森林地帯から到着した人は、どこか陰がある。


マシャンテの住民たちの中には、物見遊山ものみゆさんの観光目的で、森林地帯に行ってみようという若者がかなりいるようだった。だが、森林地帯のリエスから来る人々は、大きな荷物を抱えた家族連れが多い。


格差と抑圧──ボルゲスが言った通り、森林地帯の人々は、新天地を求めて市場都市に移住してこようとしているのかもしれない。


わたしは、思い切って出発側の列に並んだ。


「──リリムさん、ですね。はい、住民票はお返ししますね。とくに申告が必要な持ち物はありませんか」

「えっと……ないと思います」

「生きたモンスターや、ギルドが未鑑定の発掘品などは、お持ちではない?」

「あ、そういうのは、ないです」

「そうですか。では、こちらにサインを──はい、結構です。これで4番のポータル・ガイド、ラチェットのパーティーに参加いただいたことになります。ええと……の方は、もうみなさん、おそろいなので、準備がよろしければご出発ください」

「あいのり……?」

「ええ、ポータル・ガイドを入れて、パーティーは4人までですから、なるべく無駄が出ないように人数調整させていただいていまして。転移後は、ポータル・ガイドがパーティーを解散しますのでご安心ください」

「あ、はい……」


わたしは、「4」という立て札の近くで立ち話をしている人々に近づいた。


「あの……よろしくお願いします」

「あ、4人目の方っすね。よろしくっす。じゃっ、早速行きましょおか」


茶色い髪をツンツンととがらせて、バンダナで前髪をあげたラチェットは、転移ポータルの本体に近づいていく。


近くで見ると、思ったよりも大きい。

ねじれたような転移陣が刻み込まれた、巨大なレリーフ。

その中央に彫り抜かれたくぼみに、虹色に輝く水晶玉が埋め込まれている。


「はーい、じゃあ、みなさん、はじめてなんでね、足元に描いてある、その線のところに立ってもらっていいっすか……。じゃ、次に水晶玉に向かって、手をかざしてください。そーそー、いい感じっす。じゃ、そのままで、水晶玉の光を見ててくださいねー」


言われた通り、光をみつめる──と、横に立っていた中年の男性が、おっ、と小さく声をあげた。

その理由は、すぐにわかった。

水晶玉から、ふわりと緑色の光の帯が伸びてきて、わたしの手に触れる。

何かはわからないけど、感じ──。


10秒ほど、そんな交信が続いてから、光は消えた。


「はいっ、これでみなさん、ここに戻るのは、ガイドなしでオッケーになりましたっ。向こうのポータルでも、これをやっとけば、ひとりでも行ったり来たりできますんで」


ラチェットは、そう説明しながら自分の手を水晶玉のほうに伸ばした。


「んじゃあ、ねー」


フッ


風が頬をなでる──いや、動いているのは、空気じゃない。

虹色の光の渦の中を、わたし自身が飛んでいる──。


宙を浮いている感覚はまったくない。

まわりに見えるパーティーメンバーも、立ったままの姿勢。

だけど、なぜかという、はっきりした感覚があった。


ふと、何かが見えた気がして、わたしは上を見上げた。

色と色が混じり合った、渦のような模様の向こうに、うっすらとどこかの景色が見える。

あれは──どこだろう──


そう思った瞬間、周囲を包んでいた光が消えた。

目の前には、さっきと変わらず、転移ポータルがある。


──あれ……?


「はいっ、到着っす。どっすか、一瞬だったっしょ」


ラチェットが鼻のあたまをこすりながら言った。


わたしは、あたりを見渡した。

丸太で組んだ、大きな宿屋、鍛冶屋、馬小屋──そして、その向こうには、鬱蒼うっそうとした森。


森林地帯──。


市場都市のものと寸分たがわぬデザインの、巨大な転移ポータル。

それが目の前にあったので、一瞬、移動していないかのような違和感にとらわれたのだった。

けれども、転移はたしかに、完了していた。


「はい、パーティーは解散しときましたんで。みなさん、よい旅を!」


そう言ってお辞儀をすると、ラチェットは窓口の女性とおしゃべりをはじめた。

わたしは、遠慮気味に横から声をかけた。


「あの……」

「あはい、なんすか」

「ポータルって、他の場所にもあるんですか?」

「他の場所……? いや、自分、知らないっすね。なんでっすか?」

「それは──転移の途中で、他の場所も見えた気がして」


ラチェットは、あからさまに妙な顔をしてわたしを見た。


? ふーん、そんな話、はじめて聞いたっすね」

「そう……ですか。じゃあ、気のせいかな──」


転移ポータルを離れたわたしは、久しぶりの森林地帯の空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。


少し湿った、草の匂い。

木々の香り。


リエスは森林地帯でも大きな村だったけれど、やっぱり森の空気に満ちている。

ガイド・フェアリーとして、初心者の子供たちと駆け回った野山──チート冒険者のカイトに出会うまで、当たり前だと思っていた生活。でも、いまはすべてが遠いものになってしまった。


村の中を歩いてみると、わたしが最後に訪れたときの記憶とは、ちがうことがいくつかあった。


村で一軒の宿屋には、真新しい別棟べつむねができていた。

一階にある酒場では、まだ昼間だというのに、入り口の外まで酔客すいきゃくが腰を下ろす盛況ぶり。

身なりを見ると、酔っ払っているのは、みな旅行者のようだった。


──お酒くさっ……。


道の反対側まで、アルコールの甘ったるい匂いが漂う酒場の前を、足早に通り過ぎる。

すると、宿屋に隣接した馬小屋の向こうから、あらぬ声が聞こえてきた。


「……んふふ。ダメよ……」

「お……おい、ネエさん、オレッ、もうっ──」


──ひゃああっ! なにっ!?


あまりにあからさまな、あやしい男女の声。

思わず、馬小屋のほうを見てしまう。

戸口のあたりに、何人かの人影──ほとんどは女性……何人かは男性。

みんな派手なメイクをして、うつろな顔で壁にもたれたり、地面にしゃがみこんだりしている。


──ここって、こんな感じだったっけ……。


大都市から、すぐに遊びにこられる別エリア──それも、が圧倒的に安い場所。

ボルゲスは、森林地帯では「経済が停滞している」と言っていた。でも、ポータルによって、確実にお金の流れが変わっている──それが、どんな形であったとしても。


でも、どうしてギルドは、経済規模の大きなところ……たとえば、シャトーナ王国との間にポータルを設置せず、わざわざ森林地帯と市場都市を結んだんだろう?


考え込みながら歩いていると、いつのまには、村はずれの丘につづく道を進んでいた。

いつだったか、レベル上げに挫折しそうになった初心者の女の子と、夕日を眺めた丘──。


でも、わたしの思い出の中とはちがって、デコボコだらけの道には多くの荷車が行き交っている。

その理由は、丘に近づいてみると、すぐにわかった。


一本の白樫しらかしの木が枝を広げていた丘は、整地されて平になり、建物の基礎工事が進められている。

丘につながる空き地にも、大規模な建造物が建てられるらしく、職人たちが図面とにらめっこをしながら、地面に杭を打ち込んでいた。


道端で、真っ赤な髪の若い男が、広げた図面と丘を交互に見比べながら、ブツブツと何か言っている。

ベレー帽をちょこんと頭にのせて、スモッグを着て、丸いメガネをかけて──西洋の画家みたいな感じ。


「おっかしいなあ……これ、測量ほんとにあってんのかなあ……」

「あの……」

「塔はちゃんと、正面に来るデザインなんだけどなあ……ほんと、大丈夫かなあ……」

「あのっ……!」

「あっっ──! はっ、はい、ぼっ、ぼくですかっ!?」


赤髪の青年は、こっちがびっくりするくらい驚いた様子で言った。


「えっと……すみません、驚かせて。あの、ここには、何ができるんですか?」

「何……何って、それは──これです」


青年はメガネの奥の瞳を、パチクリさせながら、持っていた図面をわたしに見せた。


「──『府立リエス修道学院』……修道院?」

「修道院じゃありませんよ、ここはです」

「学校──?」

「そう! ギルドが設置する、すべての子供たちのための学びの場。文武両道、読み書きや商売の基礎から、剣術、魔術まで、一流の先生を集めて、子供たちの教育を行うんです」


「学校」──この世界に転生してきて、そんな懐かしい言葉を聞いたのは、はじめてだった。

赤髪の青年は、誇らしげに胸を張った。


「モンスターを殺したかどうか、フェアリーに選ばれたかどうか。そんなことは関係ない。どの子供にも、平等に、学びの機会と、チャレンジするチャンスが与えられる。ぼくたちのギルドは、そういう世界を作ろうとしているんです。こんな理不尽だらけの世界の中で、ぼくらは、を取り戻そうとしているんですよ──」

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