第21話 自覚なき歯車
「ボルゲス……!」
ああっ、と声をあげて、
「懐かしいですねぇ、その声っ。もっとも──
グフッグフフッ……と商人は
「なるほど? 鉱山王は、あの襲撃の中でも、ちゃあんとあなたに
「……っ」
商人が、ねめつけるような視線をわたしの下腹部に送ってくる。
わたしは、思わず膨らんだお腹を手でかばう。
「いいですねぇ、いいっ! あなたを、あのお方に
「……わたさない」
「んんー、あなたもずいぶん、強気な顔をするようになりましたねぇ。母は強し、ですか? ククク、安心してください。その子は、わたしが自分の手元で、
「他の……カイト以外にも、チート冒険者が……?」
チッチッチッとボルゲスは、太い指を振ってみせた。
「ちがうんだなあ、あなたの元ご主人さまのようなボッタクリの
「必要ない……?」
「そこにいる、あなたの
「ど……どういうこと──?」
「そもそもっ! 本心から、我が子を冒険者にしたい親が、どれほどいると思います? 子供たちは、たまたま
──え……?
「そこで、我々はご家族にちょっとしたアドバイスをすることにしたんですよ。『何も、お子さんを危険だらけの冒険に送り出すことなんかない。この1万ゴールドを元手に、転移ポータルで市場都市にお逃げなさい。やっかいもののフェアリーは、我々が引き取って差し上げますから』とね」
「逃げる……ガイド・フェアリーから?」
「そう、そして
「ごうまん……」
「あなたたちフェアリーは、子供たちに冒険を強制する。親子を引き離す。ただ平穏に暮らしていくはずだった者を、レベル1の冒険者に変えて、スキルを与え、戦いの世界に引っ張り出す──なぜです?」
──なぜ……? だって……だって、それは──
「それは……初心者は、やがて冒険の旅に出るんだから、ちゃんとサポートしてあげないと……」
「ハハッ! サポートして
「それは……」
──たしかに、たいていの初心者は、ガイド・フェアリーに笑いかけない……
「それでも、みんながガイド・フェアリーの言うことを聞くのは、あの呪われた低レベル地帯から抜け出すためですよ。森林地帯は、たしかに安全だ。モンスターのレベルも低い。だから、戦いに疲れた大人たちが、救いを求めて移住してくる。だが同時に、低レベル地帯は生活水準も高くない──薄汚れたゴブリンの腰布やこんぼうを集めて売ったところで、何ゴールドになります? もちろん、地位や財産を築いた高レベルの冒険者たちは、森林地帯に見向きもしない。だから経済は、常に停滞している。大人たちが後悔する頃には、〈
「わ……わたしたちは、そんなこと──」
ボルゲスは、ハイハイ、と小馬鹿にしたように手をパタつかせた。
「そう、ガイド・フェアリーは善なるもの──自覚なき運命の歯車のひとつにすぎない。ちっぽけで、かわいそうな存在なんです。だから、このわたしがっ、あなたがたが
ボルゲスが声をあげると、楽屋口からヌッと大きな影が現れた。
わたしは、後輩フェアリーを守るように身構える。でも──何かがおかしい。
現れたボルゲスの用心棒は、わたしたちに背中を向けていた。
そのまま、一歩、二歩……後ろ向きに歩くと、突然、バタリと仰向けに倒れる。
白目を剥いて泡を吹いた男の顔を見て、ボルゲスの顔色が変わった。
「なっ、なんですかこれはっ! おい、おおいっ、お前たちっ、ヤロウどもっ!」
「……相変わらず、うるさい男だ」
低くうなるような声が聞こえた。
用心棒が後ずさってきた通路の暗がりから、フードをかぶった大男がやってくる。
「ヴィドー……」
そうつぶやくわたしに目もくれず、狩人のヴィドーはボルゲスに向かって言った。
「……わかっているな」
「くっ──こ、この恩知らずめっ!」
ボルゲスは悪態をつきながら、ヴィドーに背を向けて逃げようとした。
ヒュッ
「ゲエッ」
ボルゲスの首に、ヴィドーの投げ縄がからみつく。
商人はカエルが潰れたような声を出して、仰向けにひっくり返る。
「あの──」
わたしが再び声をかけようとしたとき、狩人が抑揚のない声で言った。
「……黙っていろ」
パチ、パチ、パチ
わざとらしく間隔の空いた拍手。
「さすがだな狩人──実に見事なお手並みだったよ」
「……」
いつの間にか、客席からひとりの男が見下ろしていた。
ステッキを片手にした、顔色の青白い男──オークションの会場で見かけた紳士。
その姿を見上げたボルゲスが、悲鳴をあげた。
「ヒャッ、あっ、あなたさまはっ──」
青白い顔の紳士は、客席の階段をゆっくりと降りてくる。
「まったく──面倒なことをしてくれたな、ボルゲスよ。お前を捕えるためだけに、いったい辺境の街をいくつ滅ぼすことになったか……」
「ヒィィ」
ボルゲスは、這うように逃げようとする。
顔色の悪い男は、その首にかかったロープを革靴で地面に踏みつけた。首が締まったボルゲスが、汚らしくうめく。
「オゲェ……」
「ああ、まったく無駄だよ。すべては無駄だ」
青白い顔の紳士は、銀色に輝くステッキの先端を、ボルゲスのでっぷりとした尻の上に置いた。そして──
「まったくっ、むいみなっ、ことでっ、わがっ、あるじをっ、わずらわせおってっ」
一言、言葉を口にするたびに、ズドッ、ズドッと、ステッキの先がボルゲスの
「ヒガッ、おっ、お許しをっ──そ、そこにっ、そこにぃっ!」
ボルゲスは、必死にわたしを指さそうとする。
青白い顔の紳士は、ステッキを商人の尻にグリグリとめりこませながら、吐き捨てるように言った。
「そこに、なんだというのだ。この下等生物がっ──」
「アガガ──フェ、フェアリー……おやく、そくの、フェアリーが、そこにっ──」
フロックコートを着た紳士は、ハア……と深く溜め息をついてみせた。
「まったく──どれだけ無意味なことを……このっ、わたしにっ、あのっ、フェアリーがっ、見えていないとっ、思ったかっ!」
ズチャッ
「アギャアァ!」
まっすぐに振り下ろされたステッキが薄気味の悪い音を立てたとき、ボルゲスは絶叫した。
わたしは、思わず目を背ける。
「さて──ずいぶん、無駄な時をついやしてしまった。狩人よ。フェアリーの乙女を連れてきてくれたまえ……ああ、そこでのびている
「……」
ヴィドーが、わたしのほうに近づいてくる。
この青白い男が、いまのヴィドーの雇い主──?
「ヴィ……」
「……黙っていろと、言っている」
わたしの言葉をさえぎって、ヴィドーは無感情な目でこちらを見すえた。
そして、おもむろに腕を伸ばして──オレンジ色の羽の、後輩フェアリーの腕をつかんだ。
「え──」
「いやっ」
暴れる後輩フェアリーの腕をおさえたまま、ヴィドーがつぶやく。
「……〈麻痺〉」
ぐったりとした後輩フェアリーを肩にかつぎ、ズルズルとボルゲスを縄で引きずりながら、ヴィドーは青白い紳士に近づいていく。
フロックコートを着た、悪魔のような男は、ふと気がついたように、
「お騒がせをしたね。だが、
シュンッ
青白い男の足元に、紫色の光が走る。転移陣──!?
確認するひまもなく、男たちの姿は、跡形もなく消えていた──
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