第18話 命のバランス

「はあっ、はあっ、はあっ……おぇっ」


肩で息をすると、腐臭がのどにへばりつく。

わたしは、何度も何度もながら、終わりの見えない戦いを続けていた。


ルインド・スライムのHPは、何をやっても、なかなか0にならない。

〈治癒〉でHPを1にして、「初歩の体術攻撃」である〈打撃〉を加えてみると、


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ルインド・スライム Lv.90 HP-10/1

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これは……やりすぎ。

再び〈治癒〉でHPを1にして、今度は素手で殴ってみる。


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ルインド・スライム Lv.90 HP1/1

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さすがにレベル90のモンスターには、ダメージなし。わたしのこぶしが〈腐食〉するだけだ。


──ゼロになれ、ゼロになれ、ゼロになれっ……!


そう念じつづけても、HPがぴったり0になることはない。

ルインド・スライムは、HPが0の近くにあっても、くことなく、繰り返し繰り返し触手を伸ばしては、わたしをなぶるように、身体をまわす。


──ゼロになれっ、ゼロになれってばっ……ゼロに……なって……


心が折れそうになる。わたしは意味もなく、スキルリストにある〈鼓舞〉を使ってみたりする。


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〈鼓舞〉=自分以外のパーティーメンバーの士気を高め、一時的にスキル効果を20%増加させる。

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──パーティーか……ほんと、誰か……助けて……


そんな弱音を心の中で吐いてみる。

でも、わかってる。この残酷な世界で、わたしを助けてくれる人などいない。


パーティー。その単語は、まるで胸に刺さったトゲのようだ。

わたしがカイトと組んだ、最初で最後のパーティーでは、わたしひとりが奴隷のように経験値やスキルを集めさせられて、結局、最後は売り飛ばされるハメになった。


あの頃、唯一、助けてくれたのは、この隠しフロアにんでいたエンシェント・レイシーのおばあさんだけ……その彼女も、カイトのギルドに討伐されて、命を落としたという。


──困ったことになったら、また来るといい。


わかぎわの、おばあさんの言葉が、懐かしい。

あのとき、もっとおばあさんの話を聞けていたら。あるいは──カイトのもとに戻らず、ここでレイシーやトレントたちと暮らしていたら。わたしは羽を失うこともなく、わたしらしく生きていけたのだろうか。


……いや、ダメだ。わたしはもう、この子と生きていくと決めたのだ。

この子のいない人生を妄想するのは、もうやめよう。それより、何かヒントはないのだろうか。あの頃の記憶に、この罠を乗り切るヒントが──


──〈維持〉。これは悪くないね。〈速読〉でも〈維持〉しといたらどうだい。


ちがう、それじゃない。


──〈噛みつき〉があるが、あんたに噛みつかれてもねぇ。


おっしゃる通り。それに、この腐ったスライムに〈噛みつく〉なんて、死んでもごめんだ。


──まあ、〈浄化〉は呪霊やには使えるよ。


「──っ!」


わたしは、ようやく思い出した。「アンデッド」。そう、ゾンビみたいなものを指す言葉。回復魔法が攻撃魔法のように効く相手。

自分のポンコツな頭を呪いながら、わたしは何度も見直したはずの自分のスキルを、もう一度、確認する。


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〈浄化〉=半径100m以内の不浄な場所や存在を浄化し、生命のバランスを取り戻す。ただし、〈浄化不可〉が付与されたものは浄化できない。

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──生命のバランスを取り戻す……って、何?


でも、この際、なんでもいい。

わたしは〈火球〉を放って、からみついてくるスライムと距離を取ると、スキルを発動させた。


「〈浄化〉っ!」


ふわっ、と一面に青くまたたく星のような光の粒が浮かんだ。

ルインド・スライムが、ビクビクッと全身を震わせる。


ビクッ、ビクビクッ……ゴポォッ


何度も痙攣けいれんを繰り返したスライムは、ひときわ濃い腐臭を放つ、灰色の液体を吐き出した。


「……うえっ」


まきちらされる体液のしずくが頬に跳ねて、わたしは思わず、顔をそむける。


ゴポッ、ゴポッ……ブルルルッ


部屋を満たしていた青白い光が消えると、腐液を吐き切ったスライムは、ひとまわり小さくなったようだった。


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ルインド・スライム Lv.90 HP11/10000

(〈浄化〉効果中)

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──10000って、最初のHPの、反対?


そう、たしかルインド・スライムの初期ステータスは、HP-10000/1だった。

負の初期値が正の初期値になり、負のHPが正のHPに置き換わる──それが、〈浄化〉のもたらす、効果。


──ええっと、これで攻撃したら、またHPがマイナスになったり……?


ダメでもともと。とにかく、やってみるしかない。

わたしは、再びダガーを構えて、〈斬撃〉を繰り出した。


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ルインド・スライム Lv.90 HP0/10000

(〈浄化〉効果中)

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「あぁ……」


疲れ切ったわたしは、その場にへたりこんだ。

ようやく、終わった──。


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リリム Lv.92

獲得スキル: 〈腐食〉、〈悪食〉

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レベルアップしたのをよろこぶ余裕さえ残っていない。

わたしは、獲得したばかりの〈腐食〉で鉄格子を崩すと、這うようにして腐臭に満ちた部屋を出た。


湿気ってカビ臭い地下室の空気が、こんなにも清浄に感じられるなんて。


冷たい床に転がって、ぐったりしていると、わたしの足に何かが当たった。


コツン


飛んできたのは、小石。

ぼんやりと目をやると、頭に双葉を生やした小さなレイシーが、次の石を投げようと構えている。


〈ニンゲン、シンダカ?〉

〈……死んでない〉

〈──ッ!〉

〈でも、もう、降参だよ……〉

〈ウムッ、コウサンカッ、ザマアミロ!〉

〈ひどいなあ……あのおばあさんに助けてもらった、仲間なのに〉

〈マダイウカッ〉

〈そうだよね……人間なんて、信じられないよね……〉


わたしは、黙って目を閉じる。

レイシーがふいに、また石を投げてきた。


〈オマエ、ナイテイルノカ。クサイカラカ〉

〈……臭いのは、キミのせいでしょ〉

〈ムムッ〉

〈ここに来れば……ここまで来れば、ひょっとしたら、まだおばあさんがいて、助けてくれるかなって、ちょっとだけ期待してた。でも……死んじゃったんだね〉

〈……〉

〈キミは、ひとりなの?〉

〈ミンナ、シンダ〉

〈そう……〉

〈オマエモ、ヒトリカ。サミシイノカ〉

〈ううん……ひとりじゃないよ。だから、さみしくない〉


わたしは、膨らんだお腹をさすった。レイシーは不可解そうに双葉をかしげた。


〈ソレハ、ナンダ〉

〈わたしの赤ちゃん〉

〈アカチャン──オオ、コドモ、カ。ワカッタ、ソレハダナッ!〉

〈種……じゃないけど、子供だね。この子のために、わたし、頑張ろうって決めたの。だから、今はひとりでも、あきらめない〉

〈デモ、センセイニアイタイナラ、センセイハシンダ。クサイノニ、ガンバッテモ、ダメダ〉

〈うん……でも、わたしは強くなりたいんだ。だから、先生が教えてくれた、蔵書庫に行かなきゃいけない〉

〈ゾウショコ。オオ、アノ、ヘンナトコロカ、シッテイルゾ!〉


小さなレイシーは、なぜかうれしそうに言った。


〈でも、今日はもう、時間がないんだ。人間が増える前に、帰らないと──〉

〈ムム……〉


レイシーの双葉が、しょんぼりと垂れ下がる。

自分でも思いがけない言葉が、ふと飛び出した。


〈……一緒に、来る?〉

〈──! イイノカ?〉

〈うん……キミが、そうしたければ〉


小さなレイシーの双葉が、ピンと立った──

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