第14話 動きだすまち
「おーい、昨日言ってたマシャンテ・ガラス追加で20枚、どこに収めりゃいい?」
「おっ、仕事が早いねえ。わりぃが、中まで運んどいてくれねえか」
「お安い御用だ……っとっと、おい、
〈幻術師の庭〉と呼ばれていた、旧宮廷薬草園。
その中心にあるドームでは、何人もの職人たちが建物の修復工事を行なっていた。
数百年経っても、光沢を失わない大理石の床。
わたしは膨らんだお腹をかばいながら、その床に落ちた枯葉を手に取った。
トレントが枝を伸ばしていた温室には、植物たちの姿はない。
樹木が建物に寄り添っていた痕跡だけが、染みとなって壁や柱に影のように残っている。
市場都市マシャンテは、すっかり
わたしがカイトに
かわりに、郊外に広がっていた大森林が切り開かれ、スラムが整備されて、王朝時代の旧市街が、数百年ぶりの活気を取り戻していた。
「あの……」
わたしは、欠けた柱を修復している石工のおじさんに声をかける。
「ここは……どうなるんでしょう」
「ん? ここか。このホールは、市民劇場に改装されるんだよ」
「劇場……」
「ああ。いいだろう、この雰囲気。こうして見上げると、旧時代の職人の技に、ほれぼれするね。あの2階の大窓にガラスを張りなおしてだなあ、夜には星空の下で人々が歌い、踊る──。市民のための文化的な生活を再建するたぁ、
「あいつら……?」
「〈
「行政府に……わたしが?」
「あんた、
石工のおじさんは、どこか誇らしげに言った。
冒険者のための戦闘職ギルドだった〈大鷲の鉤爪〉は、いまでは、この街の行政機関になっているらしい。
「……でも、わたし、今日ついたばかりで、宿もまだ──」
「そうかい。なら、なおさら役場に行ってみな。修復の済んだ建物を、行政府が移住者用の仮住まいとして貸し出してるんだ。こいつが、
「それは……ありがたいです」
「それもこれも、ギルドの連中が、ここいらのモンスターをきれいに片付けてくれたおかげさ。旧市街の遺跡はどこも、
おじさんは、わたしの耳を見ながら、付け加えた。
羽をなくしたわたしを、人々はエルフと思うようだった──好都合だ。
耳のとがった、白い髪の娘。
そんなわたしを見て、フェアリーだと気づけというほうが無理だろう。
わたしは、自分を「ボク」と呼ぶのもやめていた。
ガイド・フェアリーは、みな「ボク」という一人称を使うように育てられる──あのゲームと同じように。
でも、わたしには転生前、自分を「わたし」と呼んでいた記憶があるので、違和感はあまりなかった。
〈幻術師の庭〉を出て、大通りを歩く。
あちこちで、
修復した建物で、店を開いている商人もいる。再建が難しい建物を取り壊し、
どこも、人でいっぱいだ。
道ゆく人に場所をたずねながら、役場を目指す。
ギルド本部──マシャンテ外区行政府は、商館のひとつを改修した建物だった。
この街を取り仕切っている有力ギルドの本部にしては、質素な感じ。
中に入ると、転生前に見た、ヨーロッパの古い銀行のように、鉄格子のはまった窓口がいくつも並んでいた。
「はいっ、今日はどんなご用件でしょう──失礼、そのご様子だと、住民登録ですね?」
入り口で立っていた係員が、笑顔で整理券を渡してくる。
「432番の方、どうぞ」
「433番の方、いらっしゃいませんか?」
そんな声が聞こえている。
わたしは、手渡された紙片に目を落とす──472番。まだ、先は長そうだ。
待合のベンチは、すでに満席だった。わたしは、あきらめて壁際の柱にもたれる。
──ふぅ
歩き通しだったわたしは、軽く息を吐く。
ふと、コートの上から、胸にかけた守り袋を探っている自分に気がつく──
ヴィドー……
鉱山都市を出たわたしたちは、避難民たちの列にまぎれて隣村まで逃げのびた。
村内は、
わたしたちは村はずれの農家で、ようやく、
わずかな干し草をかき集め、コートを毛布がわりにして、横になる。
荒地の夜気は、乾いて、冷たい。
わたしが身をすりよせると、無骨な狩人は、自分の胸元にわたしをそっと抱き寄せた。
「……これから、どうする」
「市場都市に、戻る」
「……なぜ」
「フェアリーの国に帰るには、あの人に会うしかないから」
「……そうか」
わたしは、そう言ったきり押し黙ったヴィドーの顔を見上げた。
「どうしたの?」
「……俺は──」
俺は、いけない。
ヴィドーが、そう言おうとしていることは、なんとなくわかった。
わたしは、続きを聞きたくなくて、ヴィドーの胸におでこをすりつけた。
わかってる。
わたしたちは、そういうのとは、ちがう。
普通に笑いあったり、ごはんを食べたり、新しい景色を見たり、家を買ったり、プレゼントをしたり──子供を、育てたり。
そういうのは、たぶん、ぜんぶ、ちがう。
ヴィドーは、吊るしたわたしの身体を刻み、わたしは、ヴィドーの前で血に濡れて震える。
そうやって、わたしたちは同じ時間を過ごしてきたのだ。
彼の雇い主であり、わたしの所有者だった男──商人のボルゲスがわたしたちを捨てたとき、ヴィドーはわたしを束縛し、この肌を
「……」
狩人の胸に染み付いた、濃いにおいを感じながら、わたしは目を閉じた。
翌朝、目覚めると、ヴィドーの姿はなかった。
わたしの首には、見慣れた革紐がかけられていた──ヴィドーの首筋に、いつもかけられていた守り袋。
袋の口を、少しだけ広げてみる。
ザクロの実のように、赤く輝くクリスタルのかけらが、屋根の
「……ななじゅうにばん、472番の方、いらっしゃいませんかぁ?」
行政府の窓口。
わたしの番号が呼ばれたのに気づいて、ハッとする。
「はい……わたしです」
手をあげて、窓口に急ぐ。
丸メガネをかけた、生真面目そうな青年が待っていた。
「やあ、どうもすいません、妊婦さんを待たせてしまって」
「いえ……あの、住民登録を……」
「はいはい、住民登録ですね。文字は書けますか──その、
「えっと……」
ミッドランダー。エルフではない、普通の人間。頭の中で変換するのに、時間がかかった。
「あ、大丈夫ですよ、口述していただければ、僕が代書しますから。では、まずお名前から──」
何枚かの書類を作って、しばらく待つと、わたしに仮の身分証が発行された。
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住民票(仮発行)
証134689-001
氏名: リリム
性別: 女性
種族: エルフ
出生地: 森林地帯
暫定在所: 第3公営住宅204号室
上記の者は本行政府管轄市街の住民であることを証する。
マシャンテ外区行政府
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「こちらが、公営住宅の地図になります。住民票を管理人に見せれば、部屋のカギを支給してくれます。最初の3ヵ月は家賃無料で、4ヵ月目からは月末払いで100ゴールドになります。妊婦さんなんでね、1階の部屋を探したんですけど、2階しか空きがなくて、すいません」
「いえ……こちらこそ、すみません……」
「お仕事をお探しでしたら、向こうの窓口にクエストの発給所がありますから。あ、討伐クエストだけじゃなくて、簡単な織物や縫い物の納品クエストもあるんで、安心してください。それと、妊娠中の方には、こちらの母子健康手帳を支給しています。あ、ギルドの医師団が、2週にいっぺん無料の産科健診も実施していますから、言葉の問題で記入が難しくても、先生が記録をつけてくれますよ。ぜひ遠慮なく参加してくださいね」
「あ……ありがとうございます……」
──すごい。前世の世界みたい。
わたしが圧倒されていると、丸メガネの職員は苦笑いして言った。
「疲れちゃいましたか。すいませんでした、手続きに時間がかかっちゃって。ここはもう、ほんと
「あはは……」
──ん?
わたしは、どこかに違和感を覚えながら、行政府の建物を出た。
なんだろう。この、
その理由がはっきりとわからないまま、わたしは夕焼けに彩られた街を、ぼんやりと歩いていった──
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