第12話 逃げのびるもの

露天掘りの、巨大な採掘坑。

すりばちのように掘り抜かれた山肌に、いくつもの横穴の入り口がのぞいている。

鉱山王の城は、この巨大な穴を見下ろす高台の上にあった。


狩人のヴィドーは、わたしを半ば抱きかかえるようにして、その高台の崖をくだる。

わずかな足場。落ちれば、命はない。


「……」


ときおり、ヴィドーが動きを止め、わたしをかばうようにマントでおおう。

頭上から、炎の塊が落下してくるからだ。

燃え盛る塊は、背筋の凍るようなうめき声をあげながら、谷底へと落ちていく。

炎上する城から逃げ出した人々が、甲羅に炎をまとったファイヤー・トータスの群に追い詰められて、自ら身を投げているようだった。


わたしの背は、荷物をかついだ行商人のように膨らんでいた。

城を飛び出すとき、ヴィドーが、通路の壁にかかっていた雨よけの上衣コートをつかみとり、わたしにかぶせたのだ。

襲撃者たちが、虹色の羽をもった娘──わたしを求めているのなら、〈飛翔〉で逃げるのは危険すぎる。


金鉱石を運ぶ、トロッコの軌道。

ようやく、そこに降り立ったわたしたちは、ひたすらに走った。


トクン、トクン、トクン


耳の奥で、鼓動がうるさいほどに大きくなっている──。


「うっ……」


突然、こみげてきた猛烈な吐き気。

よろけたわたしを、ヴィドーが抱きとめた。


「……どうした」

「きもち、わるい……ううっ……」


ヴィドーは夜空を見上げ、鉱山の上を舞う騎竜兵ドラゴン・ナイトたちの様子をうかがうと、わたしを支えながら横穴のひとつに入った。


「……長居はできない」

「うん、ごめん……おぇっ……」


吐き気に負けて、わたしは身をかがめた。

そのとき──ふと、小さな違和感に気づく。


「おなかが……」


下腹部に感じる、わずかな膨張。

戸惑いながら、その膨らみをさする。

そんなわたしを見て、ヴィドーがつぶやいた。


「……つわり、か」


こんなに早く──

〈交雑〉のスキルで、鉱山王の子を身ごもってから、まだ1時間も経っていないのに。


坑道の外では、焼け落ちる城が、街が、曇り空を煌々こうこうと照らしていた。

その中を、毒竜たちの黒い影が飛び交う──。


わたしは、岩に腰をおろしたヴィドーの膝に手を置いた。


「切って」

「……なに?」

「ここで、切って」


わたしは、上衣を脱ぎ捨てて、ブラウスのボタンを外した。

ヴィドーに背を向け、うなじの髪をかきあげる。


「……羽があったら、逃げきれない。だから切って」

「……」


こんな辺境のハイレベル地域に、初心者ガイドのフェアリーが来るわけがない。

フェアリーであることに気づかれたら、この魔物の大群を送り込んできたの目をあざむくことなどできないはずだ。

もちろん、〈飛翔〉の発動条件は失ってしまう。でもいま、わたしのお腹には、とてつもない速さで成長していく卵がある。このまま行っても、いつまで〈飛翔〉のスキルを使えるか、わからない──。


「……時間がない。丁寧にはできん」

「うん……いいよ」


シャッ


ヴィドーが短刀ナイフを抜く、かすかな音。

わたしは、〈維持〉していたスキルを、解いた。


「──ッ」


刃先が背中の肉をえぐったとき、わたしは思わず、声をあげる。

ヴィドーの手が、ビクリと止まった。


「お前……〈無痛〉は」

「……いらない」

「馬鹿な……」

「……いらないから、して」


初めて感じる、炎にあぶられるような痛み。

いつも、冷たさとなめらかさだけを感じていたヴィドーのやいばが、いまは熱く、激しいもののように、わたしの肉に食い込んでいる──


ふいに、ヴィドーが刃を引き抜き、わたしを抱き寄せた。

無骨な胸板に、顔を強く押しつけられる。ムッとする、汗の匂い。


「ん……」

「……じっとしていろ」


わたしを押さえつけたまま、ヴィドーは再び短刀を滑らせた。

激痛に漏らす嗚咽は、分厚い狩人の胸に吸い込まれていく。

ヴィドーの首筋にすがりついたわたしの爪が、硬い男の皮膚を突き破る──


いつもより、ずっと短かったはずなのに、その営みを、わたしは永遠のように感じた。

ヴィドーは〈再生〉しないわたしの背中の傷を、〈火球〉で真っ赤に焼いた短刀で、丹念に止血した。


鉱山を抜け出したわたしたちは、街道に出た。

焼け出された人々が、すすに汚れた顔をぬぐうでもなく、火の手をあげる街を背に歩いていく。

行列にまぎれて、しばらく歩くと、にわかに周囲が騒がしくなった。


「──ハーフ・オークだ! ハーフ・オークが逃げ出してるぞ!」


若い男の声。

人々が、荒地に目を向ける。

人間よりはずっと少ないが、ハーフ・オークの一隊が、闇の中を歩いていた。


人間たちが街道を行くように、ハーフ・オークたちもまた、とぼとぼと群れをなして荒地を進む。

中には、10匹ほどの子供たちを乗せた荷馬車を引いたり、鉱山で使うピッケルをかついだものもいた。


──ハーフ・オークも、家を失ったんだ……。


わたしが足を止めると、思いがけない言葉が聞こえた。


「やつらが……」

「まさか……」


殺気立った空気。人々のざわめきが、次第に興奮を帯びていく。


「やつらだ! ハーフ・オークが、あの魔物どもを街に引き入れたんだ!」

「街から逃げ出すために、俺たちの家を焼きやがった!」


──そんな……ちがう……。


「ブタどもを逃すなっ!」

「根絶やしにしろっ!!」


街道から、武器を手に取った街の人々が怒りの声をあげて駆け出した。


「……やめて! ハーフ・オークは関係ないのっ!」


叫ぶわたしの口を、ヴィドーがふさぐ。

ハーフ・オークたちは、何が起こったのかわからないようすで、呆然と立ち尽くしている。

先頭を切って飛びかかった男が、フォークのようなすきの歯で、大人のハーフ・オークの顔面を突き上げた。


シュブルッ


枝分かれした鉄の歯が、ハーフ・オークの眼球や鼻腔を貫いて、脳天から血飛沫ちしぶきが吹き上がった。


「いやぁっ……!」


泣き叫ぶわたしの声は、群衆の雄叫びにかき消されて、誰の耳にも届かない。

子供を守ろうと、果敢かかんにもピッケルを振るって応戦したハーフ・オークの父親は、血走った眼をした中年の女性に後頭部を石で殴りつけられ、割れた頭から脳漿のうしょうが飛び散った。

人々が奪い合い、四肢を引っ張られた幼児の身体が、耐えきれずに真っ二つに裂ける──。


「やめて……お願い……もう……」


街道に残った人々は、虐殺から目をそむけ、暗い顔をして歩いている。

襲撃者たちは、ハーフ・オークが命からがら持ち出してきた家財道具や食料を奪うと、また死んだような目をして戻ってきた。


バサッ


泣き崩れて、木の根元にへたりこんでいたわたしの横に、何かが落ちてきた。

簒奪さんだつした荷袋を物色していた男たちが、文書入れファイルを投げ捨てたのだ。


「……」


ヴィドーが、無言で文書入れを拾いあげる。

そして、足腰の立たないわたしを支えて立ち上がらせると、震える手に文書入れを握らせた。


「……救えなかったのなら、せめて、忘れないことだ」

「わすれ……ない……?」

「……そうだ。お前は忘れるな。やつらが生きていたことを──」

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