第2章 素材のわたし

第8話 新しい日常

過ごした夜を数えるのは、やめた。


商隊キャラバンは、当初のコースをはずれたようだった。

2週間ほどで着くはずだった目的地ゴールには、いつになってもたどりつく様子がない。


しっかりとほろでおおわれた馬車の荷台。

わずかなのぞき穴しかない、鉄の箱の中で、わたしはいた。


が傾くころ、隊列は移動をやめる。

しばらくすると男たちが、あたりを警戒しながら鉄の箱をテントに運び込む。

そして、わたしは吊るされて、狩人のヴィドーが、羽のをはじめる──。


わたしを買った商人、ボルゲスは、最近では元の依頼人──のことを口にしない。フェアリーの両翼は、貴族の間で評判となり、かなりの高額で取引されるようになったらしい。カネの成る木を、手放すのがおしくなったのだろう。


ここから逃げようとしたことは、いくどもあった。

でも、いつもヴィドーの投げ縄や仕掛けにかかって、連れ戻される。

あるとき、激昂げきこうしたボルゲスが、引き戻されたわたしの左手の指を、いきなり斧で叩き潰した。


「……」


〈無痛〉のスキルで、痛みはない。でも、肉塊となった左手から白い指の骨が突き出しているのを見て、わたしは蒼白そうはくとなった。


わたしの身体は、いくら乱暴に傷つけても〈再生〉される。

そのことが、ボルゲスの残忍な部分を増幅させてしまっているようだった。


ヴィドーが、わたしの肩に手を置いた。


「……目を、閉じていろ」


手首に、感じ慣れたやさしく冷たい刃物の感覚が走る。わたしが〈再生〉しやすいように、ヴィドーが潰れた左手を切り落としたのだ。


その様子を見たボルゲスは、なぜか余計に不機嫌になって、一晩中わたしに罵声を浴びせつづけた──まるで、わたしたちの行為に、かのように。


ボルゲスは、口数の多い男だ。でも、自分の話はほとんどしない。どこから来たのか、何を目指すのか──。

ただ、ひとつだけたしかなのは、カネになる物事にかけては、嗅覚センスを持っているということだ。


湖沼地帯──貴族の別荘が立ち並ぶ、風光明媚な土地を訪れた、ある夜。

いつものように、鉄の箱から引き出されたわたしは、目を見開いた。


そこは、ボルゲスの大テントの中ではなく、石造りの建物の中だった。湿気の多い、地下室。ロウソクの灯りに照らされて、場違いな鏡台がきらめいている。

誰とも知らぬ召使い姿の女性が、暗い表情のまま、わたしの顔に丹念にメイクをほどこす。アイシャドウ、マスカラ、チーク、ハイライト──この世界に来て、こんなメイクなどしたことはなかった。


「ああ! いいですね、いつもにまして、実にいいっ!」


背中が必要以上に大きく開いたドレスを着せられたわたしを見て、ボルゲスは鼻の穴を膨らませた。

状況が飲み込めないまま、いつものようにフックに吊り下げられる。

すると、いきなりわたしの顔にライトが向けられた。

まぶしさに目を細める。暗闇の向こうに、幾人もの人間がいるのがわかった。仮面舞踏会マスカレードのように顔を隠した、正装の男女がわたしを囲んでいる。


いつもより、少しだけ髪を整えた狩人のヴィドーがやってくる。

無言のまま、愛用のナイフを抜く。観衆から興奮したような溜め息が漏れる。

やいばが、わたしの皮を裂き、肉をぐ。

ただ静かに行われる、いつものいとなみ──それにあわせて、騒々しいボルゲスの声が響きわたった。


「さあさあ、この美しくも新鮮なフェアリーの羽、みなさまの目の前でさばかれた貴重な逸品でございます! 飾るもよし、食通グルメなお方は食するもよし! 手に入れた方のお好きなように、煮ても焼いても結構ですよ。では、まず100万ゴールドから! いかがです、100万100万……ああ! 200! ありがとうございます。200が出ましたが、いかがでしょう。400! すばらしいお買い物ですよ、奥さま。おっと、600ですか! これはおそれいります──」


やがて──とされたわたしの羽が、購入者の従者たちによって、しずしずと運び出された。

ヴィドーが、仕事のあとを確認するように、血のしたたるわたしの背を、布で丹念にぬぐってくれる。


落ち着いた声の男が、ボルゲスに話しかけるのが聞こえた。


「ボルゲスくん──今夜のショーはここで終演のようだが、わたしには正直、刺激が足りなかったね」

「これは子爵さま──失敬、ここではお客人でしたな──粋人すいじんのあなたには、わたくしどもの出し物では、物足りませんでしたか」

「いや、彼女は美しい。あの狩人の手仕事も、実に見事だ。それは認めよう。しかし、あの──〈無痛〉というのだったか。涙ひとつ見せず、苦悶の声ひとつあげぬというのは、どうも、ね」

「いやはや、そればかりはご容赦を……。いかに〈再生〉する身体とはいえ、大切なを壊してしまうわけにもいきませんので。ただ──」

「ただ、なんだね?」

「お時間がよろしければ、もうしばらく、今宵こよいの舞台にお付き合いくださいませんか」

「ほう、まだ趣向がある、と?」

「ええ、そろそろ、の時間かと……」


ボルゲスは、わたしの鎖をフックからはずそうと手を伸ばしていたヴィドーに、鋭く言った。


「シッシッ、お前の出番は終わりだ。余計なことをするんじゃないっ」

「……」


ヴィドーが、わたしを目を見つめた。

何の表情もない顔。なのに、今はどこか、悲しそうに見える。


──どうして、そんな顔をするの──


わたしは、ぼんやりと思う。そのとき、


ミシッ


木の枝がかしぐような音がして、わたしはビクリと全身を震わせた。


フーッフーッ……


猿ぐつわの下で、わたしは荒い息を吐く。

来る。いつもの、が──


メキメキメキメキメキメキメキ……


「ん゛ん゛ん゛ん゛っ……」


うめき声を上げながら、吊り下げられたわたしは、ビクビクとのたうち回る。

鎖がジャラジャラと耳障みみざわりな音をたてる。


〈再生〉は、痛くは、ない。

でも、血にまみれた新しい細胞の塊が、身体の奥から引きずり出される感覚は、たとえようもなく熱く、

息が止まり、涙が吹き出してくる。

猿ぐつわをされたままの口元から、唾液がこぼれ落ちる。


すべては、数秒間の出来事。

わたしの身体は、生えそろった新しい羽を、ブルブルッと震わせて、羽毛を濡らす血を払い飛ばす──。


「……ブラボー!」


子爵と呼ばれた男が、感動した様子で手を叩いた。

わたしを囲む観衆たちも、熱狂したように喝采を送る。

ボルゲスは、興奮さめやらぬ貴族たちに囲まれて、上機嫌で何かしゃべっている。


そして──誰も、もう、わたしを見ていない。


「……」


静かに歩み寄ってきたヴィドーが、ふいに、わたしの頬を指で拭った。

涙で流れたマスカラが、無骨なヴィドーの指を、黒くよごした──

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