第7話 狩人の刃
ハアッハアッ
頬にかかる、
誰──誰かの顔が、目の前にある。近すぎて、誰だかわからない──。
「いやぁ、すばらしい。実にすばらしいですよ」
興奮した男の声がする。この声……あの商人?
わたしの頬を、男の手が撫でる。
「ご覧なさい。このきめの細かさ……エルフも捨てがたいが、フェアリーの肌も、実に美しい──」
──いやっ!
わたしは、重くだるい身体をよじって商人の手から
でも、両足が足かせで固定されていて、ばたばたとのたうち回るしかない。
寝かされた板の上。まるで、陸にあげられた魚のように──。
「……そのへんにしておけ」
わたしの視界の外から、低くうなるような声がした。
商人はヒヒヒと
「大丈夫、一線は超えませんよ。
「んんー! んーんー……!」
猿ぐつわをされたわたしは、助けを呼ぼうと声を出すが、まともに言葉にならない。
「無駄無駄、無駄ですよ、お嬢さん。あなたが眠っている間に、わたしたちは市場都市マシャンテを
「んんんー! んんー……」
「いやはや、かわいいですねえ。しかし、そうやって暴れる姿のほうが、わたしのような歪んだ心の持ち主には、劣情を誘うものだということを、あなたは学んでおいたほうがいい。
「ん……」
そうそう、シーシシシ、と商人は自分の唇に人差し指を当てて、静かにしろと身振りをした。
まるで、わたしの恐怖心をもてあそぶように。
「ああ! 静かになりましたね。理解が早くて助かります。落ち着いたところで、別の
商人は巨体を揺らしながら、杖のようなものを取り出した。先端の金具に飾られた青く透き通った
わたしがその先端を見つめると、宝玉がグルリとめぐって
「──!」
「驚きましたか。ヒヒヒ、
商人は目を見開くと、わたしに向けたルサールカの眼球をのぞき込んだ。
「〈蘇生〉……ガイド・フェアリーの特権ですね。〈浄化〉、〈解毒〉、〈物理防壁〉? なるほど、支援型の従者としては、なかなかいいスキルをお持ちだ。〈念話〉。ふむ。これは、場合によってはやっかいですね。〈噛みつき〉。なんと愛らしい……いいですよ、いいですよ、わたしに噛みついても。ヒヒヒ……〈意思疎通〉? 『言語での交信が不可能な異種族と意思の疎通が可能』。なんと、これはわたし、初めて見ましたね。〈無痛〉。ほう。〈再生〉。ほほう。『欠損した自らの身体を、迅速に再生させることができる。ただしHPは回復しない』──なるほど?」
杖から目を離した商人は、ますます興奮した様子で、一方的にわたしに話しかける。
「いい! あなた、最高の商材ですね! 実にいいっ!」
「……何を騒いでいる」
「ああ! ここは狩人たる、あなたの出番ですよヴィドー。彼女を吊るしてくれますか」
視界に、あの大男のハンターが入ってきた。わたしの足かせを外すと、手かせの鎖をつかんで、グイと引っ張る。そのまま、テントの天井から吊り下げたフックに鎖がかけられ、わたしは宙に浮いた足をバタつかせた。
「……それで? 何をする」
ヴィドーと呼ばれたハンターが、商人に聞いた。商人は、血走った目をギラつかせながら、わたしの羽を指差した。
「その羽を、切り落としてください。根本から、丁寧にね!」
「んんんー!」
「……なんだと?」
「ああ、わかりませんか、ヴィドー! 彼女はカネの成る木ですよ。フェアリーの
「……その商魂には、
「問題ありません! 彼女のスキルを読み上げたでしょう? おあつらえむきに、〈無痛〉のスキルもあるんですよ!」
「……HPはどうするんだ。〈再生〉では回復しないとあった」
「グチグチと口答えを……〈治癒〉も〈回復〉も使えるんだ、死にたくなければ、勝手に自分で治すでしょ。さあさあ、リリムさん、あなたは〈無痛〉と〈再生〉を〈維持〉してください。そうすれば、みんながハッピーになれるんです! 今夜のうちに──そう、20組は採れるでしょうかねぇ、ヒヒヒヒ!」
頼みましたよ、ヴィドー!と言い残すと、商人は狂喜の笑い声を上げながら、テントを出ていった。
「んんー! んんんー!」
わたしは、ヴィドーの顔を見つめて、必死に首を振る。
右頬に大きな刀傷のあるヴィドーは、感情の読めない顔でわたしに近づく。
「……スキルは、発動したか」
「んんんー!」
「……二度は聞かん。好きにしろ」
ヴィドーは、
わたしの肩甲骨の形を、いつくしむように指でなぞったヴィドーは、狙い定めたポイントに、静かに刃先を置いた。
涙が溢れるわたしの目を、ヴィドーはじっと見すえた。
「……いくぞ」
「──っ」
〈無痛〉で、痛みはない。
ただ、冷たい金属が、背中の肉を裂いていくのがわかる。滑らかに、一筆書きのように──。
とても大事なものが──ひととして扱われるはずだった自分とか、人間と友達として暮らしていた記憶とか、そういうものすべてが引き剥がされて、奪われていく感覚──。
ヴィドーの刃物さばきは、静かで、やさしい。それは、職人の技。素材となる生き物に敬意を払い、最大限の価値を保ったまま、美しい材料に仕上げる動作。わたしが、カイトと倒してきたモンスターから、牙やウロコを抜いたのとは、ぜんぜん違う。それでも──わたしは、素材になんか、なりたくなかった。
最初の羽を切り終えたヴィドーが、宝物でも扱うように、その羽を台の上にそっとのせる。
わたしは、ただぼうっとした頭で、虹色に輝くアゲハチョウのような羽を眺めていた──
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