第30話 紀元前から遡って消し去ってやる
馬鹿だなあ。あいつ。あんなこと言うなんて
そう思うかもしれないが、これは城壁の外では常識だったりする。
その日の食べ物も手に入れるのに命がけなあの場所では、落ちたサイフなんてただのマヌケな奴の落とし物としか思わない。もしそんなことがあれば、そのサイフを巡って殺し合いになる可能性だってあるだろう。人を殺してはいけない。そんな倫理なんて、持つだけ損だ。
冒険者という選択肢が無ければ、自分も同じ事をしていただろう。前世の記憶が無かったら、今でもそうしてたかもしれない。
それでも、ここで言っちゃあかんでしょ、とは思うけど。
それだけ染み付いてしまったのだろう。生きるためにはそうするしかなかったのだから。
リズさんも特に驚いた様子はない。こういうのに慣れているのかもしれない。
「ゼスさん。前にも言ったように、それは窃盗にあたります。犯罪ですよ?」
「それはそうなんだがなあ」
ゼスはいまいち分かっていないようだ。
バレなければ良くね?というところか。
「さらに、壁外から市民権を得た人が犯罪を犯した場合、その罪は通常より重くなります」
「うーん」
「また、その罪は貴方の隣にいる人も被ることになります」
その言葉にゼスは黙り込む。右隣には妻らしき人が、不安そうな表情をして彼を見ていた。
「彼女は貴方の責任でこの講習を受けています。
彼女がしたこと、貴方がしたこと、それぞれの行動に責任が伴う事を忘れないでください」
「あなた、ここで真っ当に暮らしましょう。
ここならきっと、上手くやれるわ」
「セナ…」
まだ完全には飲み込めてないようだけど、セナの言葉にひとまずゼスは頷いた。
リズさんは難しいでしょうが少しずつ覚えていきましょう、と優しく声をかけて、次にレンの方を見た。
「ではレンさん。貴方は目の前に倒れた人がいて、その人が助けを求めていた場合、貴方はどうしますか?」
「その人を助けます」
特に考えずにそう答えた。
まあ、こうするのが正解だよな
「なら、もしもその人が帰る家も食べるものも何もなく、衛兵などに頼ることが出来ない場合は、どうしますか?」
「それは……」
咄嗟に答えることはできなかった。
つい考えてしまう。その人はお腹を空かせている。何か食べ物を差し出す。それで関係が終わるならいい。だけどもっとくれと要求されたら?今日寝る所もないんだ。だから住まわせてくれ、そう言われるかもしれない。そうしたら。そいつはそのままずるずると居座るかもしれない。何もせずこちらから搾取してくかもしれない。時には強引に。そんな図々しい奴が信頼できるか?それでも助けるのが正解なのかもしれない。本当だろうか。金が無くなるだけならいい。だけどもし、そいつが男で、姉さんを襲ったら?考えたくもない。嫌だ。その光景を想像したくない。頭が割れそうだ。俺は理解した。俺は、NTRが大っ嫌いだ。憎んでいる。その概念ごと紀元前から遡って消し去ってやる。誰だよ。こんなこと考えたの。悪魔だろ。おかしいって。考えてみろよ。だってさ。自分の大事な人が。目の前で犯されるんだぞ?それに興奮する?嘘だろ。例えばだよ?友達がさ。今日俺のかあちゃん知らないおじさんに寝取られてて興奮したわと言う。もう絶交だよ。そいつと友達だったことが人生最悪の暗黒歴史に刻み込まれるレベルだよ。あれ。なんの話だっけ。違う話だった気がする。確か、助けた人がNTRしてきたら?そいつを殺して自分も死ぬ。
「顔が怖いですよ。レンさん」
ハッとする。
いま自分は何は考えていたんだ。
無意識に悪い方に考えていた。
俺は時々、情緒不安定だ。
転生してから、そうなった気がする。
「……すみません。分からないです」
目を合わせられなくて、俯いてしまった。
「別に責めているわけではありませんよ」
リズさんの声は冷たくなかった。
「ただ、貴方が助けると答えた時に、
なんとなく正しいことだから、そうする、そのように思えて気になったのです」
その通りだった。
「貴方が何を考えているかはわかりませんが、私は2番目の答えの方が好ましく思います。
それが正解でなくても、考え、悩んだ末の
わからないには、その言葉に重みと素直さを感じました。
そういうのは意外と伝わるものですよ。
そして間違いだとも思いません。その人を助けることが正しいかは、あくまで結果によるもので、後になって分かることだからです。
どちらが正しいかなんて、誰にもわかりません。
何が言いたいかとかいうと、常識の正しさに思考を止めて欲しくない。
貴方が考え、決断したことなら、たとえ助けなくても良いと思います。
誰に批判されようと。
どちらを選んでも、その選択を私は応援しますよ。
結果がどうであれ、それは変わりません。
ずっと正しい人なんていませんから。
間違うことを怖れるなとか、自信を持って行動しろだとか。
いろいろ言われるかもしれませんが。
間違うことを怖れていい。
欲望に悩むことはおかしなことじゃない。
そんな人の方が、人間らしくて私は好きです。
だから投げ出したくてもきちんと悩んで欲しい。
考えることは、成長することだから」
リズさんは真っ直ぐな視線で、それでいて優しい、子供を諭すような声で自分を受け止めてくれた気がした。
いつからか、周りを基準に行動するようになっていた。
みんなそうするから、それが正しい。
みんなが避けることは、正しくない。
いつも周りの顔色を伺ってた。
自分勝手に振る舞う人が嫌いで、でもちょっとだけ羨ましく思ってた。
リズは考えろと言った。
それで間違っても、その選択を応援すると言ってくれた。
あの時に言ってほしかった。
あの時、そう言ってくれる人がいたら。
そうしたら、何か変わっていただろうか。
そうすれば、後悔しない人生でいられただろうか。
もう、終わってしまったけど。
それでも、変われるだろうか。
「変われますよ。誰でも。いつからでも」
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